梅雨の晴れ間に

 

何日か前に見つけた

紫陽花の花が満開になっていました。

 

さて、術後の話です。

HCUがあまりにしんどかったので、

その日のしんどさを100として、

朝昼夜の自分の体調を表にしていました。

名付けて「3末しんどさ表」

 

手術当日の目覚め後は、100⇒100⇒100で

翌日は、朝100.昼100、夜90 

二日後は、朝50、昼50、夜80

三日後は、朝20、昼20、で喜んでいたら夜に80

四日後は、朝20、昼80、夜80

五日後も、朝20、昼80、夜50

六日目になって、やっと 朝20、昼20.夜30

と書かれています。

 

術後1週間は、とにかくスカッとすることはなく、

頭を開いているのだから、

当たり前のことなんだけど、

頭痛や吐き気など、いろいろな症状で、しんどい毎日が続いていました。

 

そういえば、

手術前の説明の時に、

「食欲不振や目の見えづらさを感じることがあります」

「手術の影響で、顔がしばらくむくみます」

「多くの人が麻酔から目をさますと吐き気をうったえます」

「口が開きにくくなります」

って伝えてもらっていたことばかりです。

 

人は、気になることが、その時の状況によって、

どんどん、変わっていくのがわかります。

手術前は、死亡率や重篤な後遺症のことばかりが

気になって、生きていることが一番の願いでした。

それが、クリア出来たことがわかったとたんに、

今の自分の症状をみて、感じて、

「あ、そうだった。そんなこと言われてた。」って思い出しました。

しばらくは、この症状とお付き合いしなければならない

とっても大事な情報でした。

 

人によって違うとは思いますが、

頭の傷周辺には、ほうたいがぐるぐる巻かれていて、

右目は、全く閉じたままで、目の周辺は

赤くはれあがっていました。

右目はしばらく自力で開けることができませんでした。

廊下を歩くときに、見えにくくて、とても不安定でした。

自分の身に起こってはじめて、

これが、顔がはれるってことなんだと理解しました。

 

おかゆを食べようと思うと、痛みで口が開けられなくて、

これが開口障害ってことなんだと納得しました。

そして、どこにも、書いていなかったし、説明もなかったけれど

頭の中というのか、耳というのか

どこからくるのか、「ビビビ・ビビビ」と

時々不快な音が聞こえてきました。

 

主治医からは、

目は、そのうち開いてきますよ。

口は、痛くても、時々開けて下さいね。

変な音も、そのうち消えると思います

と言われました。

 

術後は、「そのうち」を待つ日々でした。