恥ずかしがり屋の小1次女さん。
基本もじもじ。
おともだちに「おはよう」も言えないし。
兄さんに「ごめんね」も言えないし。
ママに「大好き」も言えないし(1回言われた)
そんな次女と話していて。
「次女ちゃん、朝とか恥ずかしくておともだちのところ自分からいけないことあるじゃん?恥ずかしいがそのうちなくなったらいいよねぇ」
「次女ちゃんは、恥ずかしいとおともだちだからなくなってほしくないよ」
「え?恥ずかしいとおともだちなの?」
「そうだよー次女ちゃんの中の次女ちゃんと恥ずかしいちゃんはおともだちだから、恥ずかしくなるんだよね〜」
「へーぇ、仲良しなんだね」
「そうよ」
という返しをいただき。
「恥ずかしい」という感情にネガティブを抱いていて、無くしてしまえばいいと思っているのは私だけなんだと気づきました。
次女は「恥ずかしい」を抱えながら勇気を出して行動しているんだなー。
決して「恥ずかしい」が、なくなったわけではなく。
「恥ずかしい」を乗り越えるというのは「恥ずかしい」を持ったままの行動なんだなー。
確かに「恥ずかしい」のはなくならんか。
次女の言葉に「おぉ〜っ」と考えさせられました。