クラシック演奏家であるということ② | チェリスト山口徳花のブログ

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チェリスト&チェロ講師/ベルリン&デュッセルドルフ/Duo Axia(スタジオピオティータ・レジデントアーティスト)/東京藝大・ベルリン芸大卒/

こんばんは。チェリストの山口徳花です。


「クラシック演奏家であるということ」シリーズ2回目の今回は、曲との向き合い方に関して私の価値観を書いていきたいと思います。


私がいつも大切にしていることは、

どんな時も、世界初演のつもりで曲に向き合う

ということです。

このように思うようになったきっかけはちょうど10年前、東京芸大時代に始めて作曲科の友人の新作を初演したことでした。

芸大に入るまでは、「作曲家」といえばモーツァルトやベートーヴェンのような
「大昔の外国の偉人」
のようなイメージを持っていました。
それはまるで架空の人物であるかのような、どこか現実離れした存在でした。


でも、芸大(に限らず多分ほとんどの音大)には普通に作曲科という科があり、私からすれば神業のように思える「作曲」というものを専門的に、日常的にやっている人達がたくさんいました。
そして私が入学してすぐに親しくなった子がたまたま作曲科でした。

たしか2年生の時だったと思うのですが、作曲科の学生の必須課題で二重奏を作曲するというのがあって、その友人はチェロとピアノのための曲を作曲しました。
その授業では曲を提出して終わりではなく、器楽科の学生に演奏を依頼して初演までこぎつけることが課されていて、そんなわけで私はその友人の書きたてほやほやの新曲を初演することになったのです。


新曲初演は初めてでしたが、その時は幸い楽譜をもらってから初演まで結構時間があったため、作曲者である友人本人に何度も練習に立ち会ってもらい、一つ一つ確認作業を進めていきました。

曲の各部分のイメージや、どんな音色が求められているかなど、事細かに説明を受けながら曲を形にしていくのは、新鮮で喜びに満ちた作業でした。
そして同時に、”過去の”作曲家の曲に向き合う時もこうありたいと強く感じました。

チェリストのスティーブン・イッサーリスが書いた、「もし大作曲家と友だちになれたら…」という素敵な本があるのですが、まさにその発想です。

作曲家を大切な友達と思えるようになると、曲に対する見方、向き合い方ががらっと変わってきます。

大切な友達がどんな想いでその曲を書いたのか、どのように演奏してもらうことを願っているか…
私達クラシック演奏家が向き合う曲の作曲家は残念ながらもうこの世にいない場合がほとんどなので直接訊くことはできませんが、遺されている資料や他の曲、作曲背景や時代背景などを手がかりに愛情を持って想像力を働かせていくと、
「曲がこちらに向かってくる」
のを感じることができます。

例えば、2月のデュオリサイタルでも演奏するベートーヴェンのソナタ(ピアノとチェロのためのソナタ第4番)の2楽章の始めに置かれているアダージョの中に、”teneramente”(愛情を込めて)と指示されている箇所があります。

いつも私の練習を監視しているミニチュアベートーヴェン。

グロテスクとも言える不協和音が執拗に続いた後、突如全ての声部(パート)が一瞬「ソ」の音だけになり、それをきっかけに世界が180°変わって、深い静かな愛情をたたえた旋律が紡ぎ出される…
これを打っている今も涙が出てくるくらい、この曲全体を通して最も美しい瞬間の一つです。

この曲を以前弾いた時に使っていた楽譜には、ここの「ソ」と、そこから始まるteneramenteの旋律の間にはスラーがかかっておらず、そのため「ソ」のみをニュートラルに独立させて弾き、その後ブレスし直して次の旋律を歌い始めるイメージで弾いていました。

しかし、最近他の版を見たり、色々調べていくと、ベートーヴェンは元々その「ソ」から次の旋律に繋がるようにスラーを書いていたことが判明!
(写真を載せた方が分かりやすいに決まってるのですが、著作権的にまずいのでごめんなさい…)

もう衝撃すぎて30分くらい呆然としてしまいました。笑


どういうことかというと、空虚なニュートラルなものとしてしか認識していなかったその「ソ」の音は、実はその中に次のteneramenteの旋律を秘めた「ソ」で、そこから旋律が生まれてくるということではないかと思うのです。

そうすることでその「ソ」に、密度というか、一種の緊張感が生まれ、よりteneramenteの感動が高次元のものになるように感じます。

ただ、まだこの発見から日が浅いので、これに関しては引き続き様々な視点から検討を重ね、具体的にどう音にできるかを試行錯誤しなければなりません。


そのようにして、作曲家、そしてその曲と心を通わせる時間にはかけがえのない幸せを感じます。

楽譜から作曲家の心をできる限り読み取り、作曲家の望んだ形で生命の宿った音楽をお客様に届けること、それが演奏家の使命だと私は思っています。


この流れでいくとシリーズ3回目は次の段階、演奏会本番でのお客様とのコミュニケーションについて書こうかなと思います。


それではまた!