お待たせしました。

サプライズはなんだったのか、綴らせてください☺︎



東日本大震災で、ここ福島県須賀川は
かなりの壊滅的なダメージを受けながらも津波による被害がなく、そして死者も出なかったことから、
あまり被災地として認識されず、中々復旧作業が進まなかったそうです。




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講演会に来てくれた
須賀川市立第1中学校の代表の生徒たち☺︎
震災当初は小学校四年生でした。


そして


須賀川市立第一小学校は、校庭に断層がかなり隆起し、校舎も酷くひび割れ、倒壊の危険から、
子どもたちの大好きだった愛校舎は取り壊しが決定し、生徒たちはもうこの学校に通うことが出来なくなりました。



こうして打ちひしがられながらも、仮設校舎で頑張り続けていた学生たちを元気付けよう!と、
かつて同校の生徒さんを教えていたバイオリニストのNAOTO さんがお仲間と作られた曲に、



わが友、まきぞうこと大黒摩季さんが歌詞を書き、
この福島県須賀川第一小学校の第二の校歌というべき応援ソングを寄贈していたことを思い出し、
勿論黙ってはいられませんでした☺︎

NAOTO

※須賀川市立第一小学校へ
応援ソングを提供
HP→Infomation→Other(少し下にスクロール)で上記タイトルがありますので詳細はそちらを見てください☺︎



まきぞうが当時、この須賀川とまだ危険でもあった第一小学校を訪れ、生徒さん先生方の復興への強い願いや、歌いたい言葉などを集め作詞したという素敵な経緯がこの町にはありました☺︎


それが、須賀川市立第一小学校・復興応援ソング

希望のうた
~カワセミのように~

です。

創立140余年の伝統ある学校が、未来に向けて新たな出発ができるよう思いを込めて 作られた
希望のうた」。


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この話を聞いた私は、
せっかくその須賀川市にご縁があり呼ばれたのだからと、
郡山で新幹線を降り、須賀川市へ向かうバスの中で
まきぞうにすぐ電話をし、


「まきぞう!今、福島県須賀川市なの!」

「え!なんと!のりぞう、須賀川にいるの?!!!」


という会話の中、ある提案をしました。


そう、これが、ビッグサプライズ。


突然ですが、と
この曲を、講演会の最後に 会場に流してもらい、


まきぞうさんから 受け取ってきたメッセージを、
会場に来ていた生徒たちや街の方々に伝えました!


『希望のうた、のメロディーを口ずさめば今も鮮明に歌詞を書く前の痛ましい須賀川の風景と、
それでも第一小学校の式典で明るく元気に歌ってくれた清らかな声、皆さんが振りまいてくれた笑顔は、
私の中にしっかり刻まれています。

自分も未だ病気の治療中で今すぐは叶いませんが、活動開始できたら必ずまた皆さんに、会いに行きます!

この「 希望のうた 」が皆さんの明日を照らしてくれて、大黒摩季の元気ソングがその背中を押せたら最高です。その日を楽しみに共に頑張りましょう!
大黒摩季 』



すると

生徒たち、街の皆様からの大拍手が
会場中になりやまず...☺︎


皆様の笑顔、笑顔、笑顔☺︎が
舞台上からたくさん見ることができ
幸せでした!



まきぞうさんは、震災当初から
スマイルプリーズの活動に
率先して参加してくれています!
(クリックすると、国内外から届いた著名人の皆様からの応援メッセージを読むことができます☺︎
まきぞう、皆様、ありがとう!)


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しなやかで、強く、熱き心根の持ち主、まきぞう。


彼女は震災当初すぐ、
体調のことで休業中にも関わらず、私も何かやれることを!と被災地への赤十字活動に参加してくれました。

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まきぞうとは、福島、そして宮城や岩手の海岸線などの避難所などを廻らせていただきました☺︎



彼女のように
強く優しく美しく
ひとりの人間として、ひとりの女として、
いつも
愛に溢れた人でありたいと
思っています



の。