今回は、当ブログの根幹にして、本質とも言える質問です。加筆しました。
「ネットではオーマジオウとウルトラマンキングどちらが強い?の議論が白熱してました。
結局設定と描写からオーマジオウが強い意見が多数派のようです。
でも実際戦ったらウルトラマンキングが強いと思うのです。
結局、自分の考えを押し通すようなやり方になってしまうものなのでしょうか?
主さんは比較検証することに対して、どんな考えを持ってやってますか?
どんなところをどんな風に考えて検証してるのか教えてください。
そのうえで、オーマジオウの強さをどう考えるか教えてほしいです。ネットでは言われるように全知全能の神なのか?」
まず答える前に僕の考えを話しますと、当ブログの立ち位置は「異なる作品の比較はできないが、それでもあえて比較するなら、どんな結果になるだろう?」という遊びを楽しむ場所です。
正直に答えると、異なる作品の比較ほど意味のないものはないと考えています。
その理由を書き出していきたいと思います。
「そもそも基準が違う」
異なる作品を比較する際に最も大事なのは、何らかの基準を設けることです。当ブログの場合、仮面ライダーを中心に特撮や漫画、アニメなどの登場人物に無理やり基準を設けています。
ですが、本来そんなものは存在せず、あくまで僕の考えで作った妄想の基準にすぎません。
作者も作品も違う中に生きる登場人物を比較するというのは、本来できない行為であるということです。
「作品や世界が違うと何が不都合なのか?」
前述したように基準が違うということは、そもそも比較などできないのです。
例えば、肉体の強さ一つとっても、作品が違えば全く違う基準になってしまいます。2つの作品の人間は全く同じ身体性能なのか?その世界の空気や水の質量は同じなのか?重力などの物理法則はどうなっているのか?
そのへんが全く同じ出ない限り比較はできないでしょう。
魔法や超能力が存在する世界と、我々の住む世界では、存在するエネルギーが違いますよね?
特撮では電撃がまっすぐ敵に向かって飛んでいきますが、現実ではレーザー等使わないかぎりそんなことはできないし、燃焼の三原則がある限り、自由自在に火炎放射なんてできません。
手を触れなければ物を動かせないし、マッハを超える速度で動けば大惨事が起こります。
そもそも変身なんてできないし、怪人もいません。
しかし例外もあります。同じ作者が、同じ作品内に、同じ設定で自分の作品の登場人物を混ぜ込む。いわゆるクロスオーバーというやつです。本来クロスオーバーというのは、そうやって作られるそうですが、現在では異なる作品の登場人物が出てくるだけでクロスオーバーと言われる傾向にあるようです。
厳密に両方の設定を踏襲しつつ、異なる作品の登場人物が競い合うという描写があって、初めて比較が可能となるのです。
そういうわけで、異なる作品を比較するというのは、本来できないことなんです。
「異なる世界では同じ挙動になるか不明」
比較検証をする際もっとも悩ましいのは特殊能力の存在です。
我々の世界では「科学的な分析」というのが尊ばれています。イメージや思い込みで話すのではなく、現象を分析し、統計を取り、傾向を見極めて、再現性を測り、初めて「科学的な検証」ができます。
しかし、異なる世界では全く同じ現象が起きる保証がない。その能力が敵に通用するかどうかもわからない。
例えばクウガは作品中で色々な現象を引き起こしました。
しかし、異なる世界で登場した際、その現象の中のいくつかが再現されるだけでした。武器の生成と変身、超変身くらいです。
本編で見せた金の力やゴウラムとの連携、身体性能の強さ、凄まじき戦士の自然発火など、描かれていない部分の方が多い。
描くチャンスは何度もありながら、それでも描かれなかったということは、その世界にそれらが存在しているのか、存在していないのか?そもそもその力を持っているのか、持っていないのか?
それすらわからないのです。
平成の仮面ライダーシリーズには、過去の作品の仮面ライダーが度々登場したり、そのライダーの力を使えるようになったりしますが、上記のような描写を持って、原点の仮面ライダーと同じ強さ、同じ能力を、同等に発揮しているとはとても言えないのです。また、それを補完するような説明もないので、ここまできたら「全く別物」と考える方が自然だと僕は考えています。
そうなると、異なる世界の作品を比較する時、本編で見せた特殊能力が、どれだけ再現されて、どこまで引用できるのかしっかり考えないとダメではないでしょうか。
例を出すと、時間を止める能力の場合、発動するか?発動したとして相手に100%の効果を発揮するのか?わかりません。
しかし、加速能力だった場合、効果は自分に発揮されるので、発動さえすれば効果は100%で発揮できそうですね。
「強さ比較は、自分の考えの押し付け合い」
結局、自分の中で「基準」を作り、それを元に自分の中で「比較」をして、それを押し通すというのが強さ議論になってしまうわけです。でも、僕はそれでいいと思ってます。
自分はこう思う。あなたはどう思いますか?
そうですか、そういう考え方もあって面白いですね。
こうやってコミュニケーションを積み重ねることで、作品を楽しむというのも一つの醍醐味だからです。
ただ、相手の意見を真っ向否定して聞く耳を持たなかったり、喧嘩腰で自分の意見を一方的に叩きつけるような話し合いは、議論とは言えないかな?と考えます。
「わからないことは考慮しない」
とにかく不明なことが多い人物ばかりです。
特殊能力1つ見ても、ふわっと濁した書き方がしてあるので、説明を読んでも結局どういうことなのか判断できないことが多いのです。
例えばオーマジオウのオーマシグナルは「どんな敵であろうとも変身者の力が上回るようシステム歩度を調整する」と書かれています。一見すると科学的な説明に見えなくもないですが、変身者の力が、どれくらいの幅で、どの程度の倍率で、相手の力に対して何%上回り、どれくらいの時間で効果が発揮され、どれくらい持続し、オーマシグナルの分析力の正確性は誤差何%なのか?
最低でもこれくらいの情報がないと判断できないのです。
特に誤差の部分は大事です。ジオウには相手の動きを分析して記憶し、着弾や攻撃の予測を立てて最適解を出して動くシステムがあります。しかし、相手の攻撃を完全に防げるわけではないし、全ての攻撃が当たるわけでもない。つまり、予測には誤差が存在するからです。
こういう「わかりそうで、よくわからない説明」というのが本当に多数存在し、比較検証する時にとても困ります。
ただし、依頼内容で補完されている場合は、仮説を立てて考慮します。なので、不明確なことは考慮しないことにしています。
使える例としては、クウガの自然発火のように「原子と分子を操ってプラズマ化させて」「瞬時に全身を包み込む程度の範囲で」「体内から発火して」「同じ能力を持っていればダメージを抑えることができて」「再生能力があれば復元できる」と、ここまでわかっていれば、何とか使えます。それでも「届く距離」「発生した炎の温度」など不明なところがあります。
こういう時は、この能力は防ぐのが困難で、初手でダメージを受けるかもしれない。とした上で、そこから先の検証をします。
使えない例としては、ディケイド等の「模倣系」の能力。その番組に登場しなかった模倣能力は検証に使いません。カブトのHCUやクウガの自然発火など。
「ネットの声が大きい」
公式設定があり、公式HPに詳細が記載されていて、実際に描写までされていても、なぜか違う解釈を持つ視聴者がいます。それは見ている人間の解釈の違いなので問題ないのですが、それを「絶対的な真実」として譲らない人もいます。
設定や描写を無視して、自分の意見だけを押し通すので、情報を持たない人が見ればそれが真実なのだと思ってしまい、その人もそういう主張をするようになってしまいます。
こうして作られたイメージはひじょうに強力で、こちらの意見を聞いてもらうのも一苦労です。
こういうネットの声にただ迎合するのではなく、自分で調べ、考え、分析して比較検証をするようにしています。
「数値で測れないものでも考慮する部分はある」
全てが数値で表されているわけではありません。
数値化されていなくても考慮するものはたくさんあります。
装甲の強さ、打たれ強さなど身体性能の部分や、戦い方、格闘技術や武器技術などです。
特に技術面や戦い方は数値化できるものではないので、完全に主観になってしまいますが、その人物を知る上で重要です。
特撮系の検証は、必ずと言っていいほど接近戦のシーンがあります。なので、比較検証する際はとても重要な情報として考慮します。中にはクウガの緑のように、一切接近戦をせずに終わる戦いもありますので、そういう時はそういう場面を考慮します。
「オーマジオウの強さをどう思う」
強いと思います。そもそも弱いヒーローは珍しいです。
オーマジオウの場合、わかる範囲でも
・平成シリーズでも屈指の身体性能
・鉄の〇倍という装甲の強さ
はかなりのものだとわかります。
よくわからない部分に関しては比較検証では考慮しないです。
前述したように、何を、どのくらいの範囲で、どれくらいの速さで、どのように変化させる、など情報が少しでもあれば考慮できるんですが、今のままでは「わからない」です。
「オーマジオウは神か?」
変身者のソウゴが人間なので、神ではないでしょう。鎧武のように進化したわけでもないですし。
それは置いといて、かなりいろんなことができそうだ。
と、思う部分もありますが、設定でわかる範囲だけを考慮すると規模が縮みます。
・因果律を操作する → 設定では浮揚と高速歩行をする。とだけ書かれている。
・森羅万象を実体化する → 変身者に各種装備を装着させる。とだけ書かれている。
このように書かれています。
使っている文言に対して、紹介されている事例がちょっと弱いですよね。
重箱の隅をつつくような言い方すれば、けっきょく大したことできないんじゃ?となってしまったりもします。
結局、どこまでを許容するかが試されるという、ひじょうに扱いずらいキャラクターだと思います。
「世界の破壊について」
これ、依頼されていたけど記事にするの忘れてました。
オーマジオウが融合した時空を破壊して、21の新たな世界を創り出したことについての質問です。
よくあるネットの強さ議論では、世界を破壊する=強い という解釈だそうです。
で、当ブログでは、これについてどう思いますか?という質問でした。
当ブログとしては「それはそれ、これはこれ」です。
重箱の隅をつつく話ですが、時空とは時間と空間の意味なので、どこからどこまでの範囲なのかもわからない。
オーマジオウが元の時空を破壊したのは、時空を全て破壊するほどのエネルギーを放出して、文字通り破壊した。という説明はされていませんし、描写もそうではありませんでした。
これがドラゴンボールのセルのように、エネルギーを集めて、文字通り吹き飛ばして破壊するということなら、攻撃力と見ます。が、ジオウの場合、時空は破壊したけど、それを攻撃に使うことができるのか?そこがわかりません。
なので、これをもって1つの世界(例えば宇宙全体など)を丸々破壊するほどの攻撃力。というとらえ方はしません。
設定が「1つの宇宙全体を破壊できるほどのエネルギー攻撃で元の世界を破壊した」となっていたらわかりやすいのですが。
素朴な疑問ですが、時空を破壊して創造したとなっていますが、その時空はどこからどこまでの時空で、その中にいた人間はどうなったんでしょうね。
「最後に」
比較検証というのは、とても難しいです。
自分の記事の中にも矛盾がたくさん存在しているのはわかります。あとはそれをどれだけ許せる範囲に落とし込めるか?そこがポイントでしょう。
当ブログの場合は、まず僕が楽しんで記事をかけるかが問題ですが。自分の主張を押し付けず、こんな考えもあるよ?と紹介させていただく形で比較検証しています。