3月22日(土)

午前中に運動のためにウォーキングのために出かけました。適当なルートを歩こうと思っていたので、あてもなく詫間〜仁尾へ向かう県道231号線を歩いていく。詫間越を越えて降っていくと右手方向に妙見宮があるのをハッと思い出した。隣町とはいえ、生まれてからまだ一度も行ったことなかったので、この際行ってみることにした。

適当に道を歩いて登ると妙見宮に着く。鳥居を潜って階段をのぼりますが、岩屋妙見宮は不思議な場所で、神社のようでありながら、般若心経を唱えるために看板が置いてある。宮の上には巨石がそびえるあたりは巨石信仰の古代宗教のようでもあります。

あとで家で調べるとやはり、お寺扱いになっているようで弘法大師が開いたようです。

宮に手を合わせてから、急遽巨石の左隣から背後の妙見山へ登る登山道を目指してみる。

20分くらいしたら頂上へ到着。その後尾根を進むと以前登った博智山(ばくちやま)山頂へ行く。そこから八畳岩(はっちょういわ)へ行き下山する。登山口に降りたので帰ろうと思ったら、隣に別の山道らしきものがあったので、行ってみることにした。

登ってすぐに石仏のようなものが。「あ!」と思ってみたらやはり、ミニ八十八ケ所の石仏でした。

道が続いているようなので登っていくと他の石仏もあった。この日は午後に用事があったので、その後家に帰ることにした。

 

3月23日(日)

この日は午後2時過ぎにカメラを持って家を出る。ミニ八十八ケ所の他の石仏も写真に撮ろうと思っていた。まず、本村上地区から須田西地区へ抜ける道へ行く。以前発見していた21番の後の22番〜25番はわかっていたのでこの日はスルーし、私が視認していなかった26番を探す。

石材でできた道標があった。今まで気づかなかったですね〜。

左のアスファルト道は、私が子供の頃は無かったので、この道標も若干移動しているかもしれません。さて、この矢印通り、道から山へちょっと登るとすぐにありました。

四国 二十六番   本尊 薬師如来   土佐西寺

二十六番西寺を調べると、金剛頂寺(こんごうちょうじ)となっているのは、通称「西寺」と呼ばれているようです。その先に道があり石仏が見えますね。

手前の石は…橋?

四国 二十七番   十一面観音   土佐神峯寺(こうのみねじ)

道や民家も近いので、雑草などはある程度刈られているようです。ありがとうございます。引き返してアスファルト道へ戻り須田方面へ歩いていきます。

途中、右を見ると須田・新浜地区が見える場所もある。

右手前のお堂のような建物は、善福寺(ぜんぷくじ)という無人のお寺です。

このお寺にも石仏があります。

右 四国三十三番   本尊 薬師如来   土佐高福寺(こうふくじ)

中 弘法大師像

左 四国三十四番   本尊 薬師如来   土佐種間寺(たねまじ)

 

三十三番は、弘法大師が開創した時は高福寺という名でしたが、現在は雪蹊寺(せっけいじ)という名称に変わっているそうです。

善福寺の山手側にはミニ八十八ケ所巡りとは別の石仏群もあります。

西国三十三ヶ所巡り。こちらは周辺に全部が揃ってます。

さて、善福寺にあるお墓の脇のコンクリート道を登りながら、アスファルト道に戻る途中に石仏があります。

左のコンクリート道を登ってきたところ。

四国三十五番   本尊 薬師如来   土佐清滝寺(きよたきじ)

コンクリート道を登るとすぐにアスファルト道へ戻ります。それから少し進むと明神川の橋があります。

明神橋。天気も良かったので見晴らしが良い。

左から粟島の紫谷山(しきやさん)、高見島、志々島、塩生山(はぶのやま)。塩生山の麓には私も通った詫間中学校があります。で、この明神橋の反対方向に草に隠れるように石仏があります。

この明神橋のすぐ上流に2つの小規模な砂防ダムがありますので、この石仏は移動してココにあるのかもしれません。平成元年の住宅地図には砂防ダムとかアスファルト道は描かれていないのですが、地元道は描かれているので、昔からココにあったのかもしれません。

さて小さい鎌を持っていたので、草を刈ってしまおう!

写真上部が刈る前で下部が刈った後。スッキリしました。

三十六番   不動明王   青龍寺(しょうりゅうじ)

 

再び明神橋へ戻って先へ進むとすぐに右手方向に石仏があります。

アップの写真を撮るのを忘れてしまった。

四国三十七番   阿弥陀如来   土佐岩本寺(いわもとじ)

 

さらに進んでカーブのところにもあります。

有志の皆さんが草を刈ってくれています。

不法投棄はいけません!

四国三十八番   本尊 千手観音   土佐金剛福寺(こんごうふくじ)

 

カーブを下っていくと、博智山登山道の看板が見えてきますが、その手前に石仏が並んでいますね。

左  四国五十一番   本尊 薬師如来   伊予石手寺(いしてじ)

中左 四国五十二番   本尊 十一面観音   伊予太山寺(たいさんじ)

中右 弘法大師像

右  四国五十三番   本尊 阿弥陀如来   伊予円明寺(えんみょうじ)

これらは完全に元の場所から移動させているようですね。

 

さてアスファルト道から登山道方向へ入っていきます。

途中で桜が咲いていました。品種はわかりません…。

しばらく歩くと登山道口へ着きます。

右に見える階段のところが博智山への登山道です。ここら辺までは自動車で入っていけます。で、右の看板のさらに右側に別の道があります。

木の感じからして、かなり最近整備してくれているようです。お言葉に甘えて登っていきまして、すぐ右側に木を伐採してあり、石があったので行ってみる。

石の向こうは急斜面です。

あ!なにやら祠がありました。また元に戻って上をみると石仏発見。

四国三十九番   本尊 薬師如来   土佐寺山寺

三十九番は現在は赤亀山寺山院延光寺(えんこうじ)となっていますが、開創時は亀鶴山施薬院宝光寺だったようですので、石仏になぜ寺山寺となっているのかはわかりません。

さて山道を進んでいきます。山手方向に小さな池が見えてきました。

右側は池の土手になる部分ですが、石仏がありましたが、倒れています…。

四国四十一番   地蔵菩薩   伊予稲荷寺

こちらも現在の龍光寺と名前と違っていますね。あと本尊も十一面観世音菩薩のはずが石仏には地蔵菩薩と彫ってあります。

龍光寺は神仏習合時代は稲荷神社もあったので、稲荷寺としたのでしょう。

周りの枝とか枯れ葉とか取っ払って、起こそうと思ったのですが、石仏が重くて一人では無理でした。また今度にしよう。

さらに道を進んでいく。

京都ではありません。(笑)

さらに進むと石仏があります。

このあたりは竹が多くてやばいことになっている。この道は有志が竹を伐ってくれているのですごく歩きやすい。

四国四十二番   本尊 大日如来   伊与仏木寺(ぶつもくじ)

なぜか、伊予が伊与になっている。

ところでお気づきですか。39番と41番はあったのですが、40番がありません。どこにあるのだろう…。

この四十二番の場所から上を見ると石仏がありました。

近づいてみます。

四十三番   千手観音   伊与明石寺(めいせきじ)

こちらも伊与になっている。この四十三番の場所から沢を渡ります。

振り返って撮った写真が↓

沢といっても、水はほんの少ししか流れていない。湿っている程度です。

再び進行方向の写真。

少し進んで鋭角に折れて登っていきます。まっすぐ進むと下りです。

こんな道を登っていきます。左側は砂防ダムですので、大雨の時はあの沢も水が多く流れるのだろう。

さらに登ると山肌に石像が倒れていました。あらら、明らかに別の場所にあったものがここへ落ちてきた感じですね…。

有志の方が周辺の木を伐採してくれています。ありがとうございます。

四国四十六番   本尊 薬師如来   伊与浄瑠璃寺(じょうるりじ)

この山肌周辺は石がゴロゴロしていますので、このどこかに台座の石があるのでしょうけど…わかりません。

さらに登ります。

道かどうかはわからないが道っぽい。左側は沢です。

数分登ると道?が左へ曲がって沢を渡る感じになりまして、その先に大きな岩があります。

この岩、実は「鬼の門」とかいう名前がありますが、最近つけた名前かな?

そしてこの中に石仏があります。ここは以前から知っていました。

四十五番   不動明王   岩屋寺(いわやじ)

ここから再び元の道を戻って、鋭角に折れた場所へいきます。今度はまっすぐ進んで沢の脇を下っていきます。

ちょっと下ると左側に石仏が見えてきました。

右側は砂防ダムです。

四国四十九番   本尊 釈迦如来   伊与浄土寺(じょうどじ)

あれ。47番と48番が無かったなぁ…。別ルートがあるのかなぁ。わかりません。

そこからさらに下って…

石仏発見。右に見えるのは砂防ダム。

四国五十番   本尊 薬師如来   伊与繁多寺(はんたじ)

すぐ横の砂防ダムから下を見ると登山道の入り口が見えます。

最初はこの道を上って登山口に行きましたね。さらに前を進みます。といってもすぐにアスファルト道に繋がります。

アスファルト道に出たら右前方に石仏があります。

四国五十四番   不動明王   伊与延命寺(えんめいじ)

アスファルト道をさらに下ると、鶏の鳴き声が聞こえる。すぐ近くに石仏があります。

手前から見ていこう。

四国五十五番   本尊 大通○仏   南光坊(なんこうぼう)

文字が判別しずらい。本尊は正式には大通智勝如来のようですが、石仏は漢字四文字で大通と仏は読めますがその間はわかりません。

あと南光坊も読めません。次。

 

四国四十六番   本尊 地蔵菩薩   伊与泰山寺(たいさんじ)

 

四国五十七番   本尊 阿弥陀如来   伊豫栄福寺(えいふくじ)

というわけで、57番まで見てきましたが、40、44、47、48などが見当たりませんでした。

今日はこの辺で切り上げます。最後に、天満地区にある天満池のほとりにも石仏があります。

四国三十一番   本尊 文殊菩薩   土佐竹林寺(ちくりんじ)

夕食の時に、父親(78)に、

「財務省の解体デモが話題になっとるやろ!」

って言ったら、

「え?知らんなぁ。そんなんテレビでやって無いやん」

これが日本のテレビですわ…終わっとる。

 

あと、政府が「エネルギー基本計画」ちゅーもんを発表したんやけど、再エネをまだやるらしい。

再エネ比率を50%にするらしいけど、正気とは思えんな。

太陽光も風力も、それぞれ夜・雨天・無風だと電気は発生しないのに比率を50%に増やしてどうすんのかな。

結局待機用の発電設備が必要になるが、原発は危険度が高すぎるし、廃棄物の問題も解決していない。ただ、今ある原発を発電せずに置いておくのは無駄中の無駄。

それと高効率の国産火力発電所を増やせばいいのに、CO₂が出るからってやらないって…

アホとしか言いようがない。

日本のCO₂排出割合は、世界の3%しかないのに、一生懸命対策しても温度上昇を下げる効果は0.006度にしかならないという試算もある。(杉山大志氏による)

 

頭の悪い私が間違っているかもしれない単純な計算をしてみる。

地球全体の気温上昇1.5℃を止めたいとする。この時、日本の排出割合は3%だから、温暖化対策とやらをやって2%に抑えたとすると、削減したのは1%ですね。

1.5℃×0.01=0.015℃となる。この間違っているかもしれない計算でさえ、マイナス0.015℃の効果しかありませんし、上記の杉山大志氏の0.006℃なんて体感できません。そのために何兆円もの税金を注ぎ込む理由って何なの?

まぁ結局は儲け話と偽善かなと思ってます。

テレビ・新聞は再エネは「良い事」という前提ですので、こういう都合の悪いことは言いませんし、各地で山の木を伐採して太陽光パネルビッシリ見たいな報道はあまりやりませんね。

 

こないだ、太平記を読んでいて、奈良県吉野町の金峯山寺の場所を、Yahoo!地図(航空写真)で探したら、西隣の大平山にビッシリとメガソーラーがあってびっくりした。

熊本阿蘇山の外輪山西部の(大津町)とかひどいね。あと南部の山都町も酷いらしいが、Yahoo!地図の航空写真は更新されてないのか、メガソーラーが見当たりません。

それを2年前に地元のテレビが報道したらしいですが、あんた達が推進してたんだろ!と言いたいね。壮大なマッチポンプ。

 

こういういった話題を聞くたびにストレスを感じる。財務省も自民党もマスゴミも解体してほしい。

こないだから、(角川ソフィア文庫)太平記 武田 友宏 (編集)を読んでいました。

太平記は鎌倉幕府後半から室町幕府前半の軍記物です。全40巻あるものを、昔の読み方・それを現代語に直したもの、さらにその前後のあらすじを添え読みやすくした本ですが、本の内容については皆さん読んでください。

テキトーだなと言われればそれまでなのですが、私が紹介したいのは第35巻の政治鼎談 ー北野通夜物語ーです。北野とは京都の北野天満宮のようです。とある三人が南北朝時代の戦乱に関して談義するシーンですが、その中の一人は過去に幕府に在籍し今は普通の人になった人物でした。

その人は↓のように言いました。(抜粋)

 

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 世の中が治らないのは当然〔道理〕で、なるべくしてなったのです。外国や我が国について十分御存じの方の前では、なまじっかお話しする必要はないのですが、いささか政治の原点に立ち返ってみようと思います。

 昔は、民(国民)の窮状を調査する使者といって、君主(天皇)から使者が諸国へ派遣され、民の窮状をお尋ねになりました。その理由は、君主は民を体とし、民は食料を命とするからです。いったい食料が尽きてしまえば民は困窮し、民が困窮すれば、年貢を納めることができません。疲れ切った馬が鞭を怖がらないように、君主が仁徳によって導こうとしても従わず、利益を優先して常に不正を行います。

 そもそも民が罪を犯すのは、臣下の罪です。臣下の悪事は君主の責任です。君主が良臣を選ばず私利私欲を貪る不忠の臣を登用すれば、横暴に振る舞って、民を虐待するため、民の嘆きが天に達し、その天が災難を起こします。災難が生じれば国家は混乱します。これは君主が天の道理を守らず、臣下が君主を蔑ろにするからです。もし国家が秩序を失えば、君主は政権を保持できません。その結果、民が被害に苦しみ、国家は戦乱で荒れ果てるのです。

****************

 

これを読んで、今の政治家と官僚と補助金に群がる人たちに読めと言いたい。

南北朝時代と今とは政治の仕組みが違うので、為政者の立場も過去とは違います。現代は天皇陛下は政治には関わっておりませんので、上記の紹介する「君主」や「臣下」は政治家とか官僚などに相当しますね。

 

今も昔も政治が腐敗するのは世の常なのでしょうか。いったい今の政治家は誰のために政治をしているのでしょうか。彼らの頭の中にすっぽり抜けてしまっているのは「国家」と「国民」ではないかと。すっぽり抜けた場所には「選挙」と「銭」が入り込んで、国民から取り上げたお金を貪りまくる。

国民の賃金が上がらないのに、彼らは天下りして退職金をガッポリ貰って去っていく。その利権は身内と共有し、その場所は他の人には渡さない。

そのためには、その仕組みを自分たちで作ってしまうのだからタチが悪い。

 

テレビ・新聞は国家の危機的な状況を報道せずに、偽善的なSDGsとか夫婦別姓とか外国人労働者や再エネとかをやっている。さらにややこしいのは、こういった偽善を学校で教えている。子供を洗脳している。

それを続けていくと破滅しかない。

 

アメリカのトランプ大統領はそれを止めるために、メディアの言う「めちゃくちゃ」をやっている。トランプ大統領がやろうとしているのはナショナリズムで、もちろん「人種のるつぼ」と習ったアメリカ合衆国の民族は多種多様なので、この場合はもちろん「アメリカファースト」ですね。

欧米はグローバリゼーションの危険性に気がついて引き返しているが、日本政府とメディアなどは猛烈に突進している。日本国民のずいぶんの人が気づいているのに、政府は見猿聞か猿言わ猿。

もちろん政府が決めたことは官僚や地方自治体もやらざるを得ないし、文科省の下にある学校もやらなければならない。

 

どうしたらいいのでしょうか。

 

この根本原因は私は『教育』にあるのではないかと思うのです。教育といっても国語算数理科社会ではなく愛国教育が全くないのです。どちらかと言えば、オブラートに包みながらも漠然と「日本は悪い国」という雰囲気であり、さらに国語や歴史はテキトー。それよりも英語とかプログラミングとかを優先したりしている。

こんなことを書いているこの私も、戦後教育の中で育ったのです。戦後教育はGHQが指導したというのは周知の事実なのに、それでもまだやっている。

戦後教育を変えたがらない人たちの中には、ある程度は反米主義というのも笑ってしまう。

愛国教育というとそう言う人たちは必ず「戦前に戻る」「戦争を始めるのか」などと言うが、国民を煽って戦争をするほうへ仕向けたの多くの部分は新聞だというのも知っている。

 

今フジテレビが問題になっていて、しかしこの問題は昨年末からネットでは話題になっていたのに、テレビが騒ぎ始めたのは年が明けてからでした。

NHKや他の民法はフジテレビのニュースを重要視していましたが、国民はそれほど気にしていないのではないかと。

いや、被害の女性を心配するのは当然ですが、フジテレビの体制とか改善策とか幹部の人事とかは国民からは「どうでもいい」ことです。

それよりも、他のテレビ局 あなたたちはどうなんですか?と言いたいですね。ま、テレビはもはやオワコンと言われて久しいので、どうでもいいか。

 

さて、太平記の第35巻にはもう一つ面白いエピソード十文得るのに五十文 ー金銭の流通というのもあります。興味を持たれた方はぜひ一読を。