最近、古代の讃岐 木原溥幸編(美巧社)という本を読んでいたら、やはり古代がテーマなので古墳の名前がたくさん出てきます。

讃岐國は瀬戸内海に面しており、平野部も多いのでわりと早くから、大和地方と繋がりがあったようです。そのため、県面積の割には古墳も多く、四国で一番大きな前方後円墳がさぬき市大川町にある富田茶臼山古墳もあります。富田茶臼山古墳へは10年くらい前に行ったことありますが、写真等は撮ってなかったな…。

 

で、5月18日(土)。さぬき市は遠いので、本の中に出てきた母神山古墳群へ行ってみました。調べると場所は、観音寺市の総合運動公園…。

私が中学生の頃は「みとそう」と言ってました。当時は三豊総合運動公園という名称だったような気がします。

中学生の頃はそこに古墳があったなどとは知らず、興味もありませんでしたね。ただバスケの試合をしに行くだけ。

 

現在「みとそう」といえば三豊総合病院のことです。ややこしいですが、三豊総合病院は三豊市ではなく隣の観音寺市にあります。同病院のある場所はかつて三豊郡だったからです。

 

もう一度、で、5月18日(土)。駐車場に車を停めてから歩いて30秒、で鑵子塚古墳(かんすづか)が体育館の玄関の向かいにあります。

看板は下記のように書いてあります。

 

鑵子塚古墳

母神山古墳群の盟主的な大円墳で、墳丘は2段に

築かれており、幅約10mの周濠が掘られていた。

和泉砂岩を用いた複室構造の横穴式石室をもつ。

6世紀後半頃に築造されたものと思われ、被葬者は、

三豊地方の有力な豪族であろう。昭和48年の調査により

金銅製単鳳環頭太刀の柄頭、金銅製馬鈴、トンボ玉、

須恵器などが出土している。

墓域直径 48M   墳丘高  6.5M以上

石室全長 9.82M  鼠大幅  2.55M    高さ   3.20M

                    観音寺市文化財保護協会

                    観音寺市教育委員会

 

近くには最近できた看板もありました。

私が居るのは下の方の「現在位置」のところです。上記の本には「母神山(はがみやま)古墳群」や「瓢塚(ひさごつか)古墳」も掲載されていました。

ここで気づいたのは、この運動公園がある山一帯が「母神山」であるということです。Yahoo!地図などではこの山の名前は記載されていません。

さてそこからテニスコートの右側を抜けて、遊園地・トリムコースの先の駐車場へ。その上にある前方後円墳の瓢塚古墳へ行きます。

駐車場の右側から一旦、”母神山を斜めに貫く道路”へ出てそこから歩道を山へ入っていきます。

歩道はミニ八十八ケ所巡りがありますが、その途中に瓢塚古墳はありました。

え?これが前方後円墳? と思うかもしれません。大阪の大仙陵古墳のようなイメージを思い描いていたらすいません。

となりに看板がありました。

記事の上側の看板には、この雑木林の中にはたくさんの古墳があったようです。

三谷3号墳と思われる高まりの上にはミニ88の一つがありました。

「三谷」というのは、運動公園のすぐ横に三谷池がありますので、そこから名前を取ったのでしょう。

歩道を進んでいくと、舗装道路にでて、その先にある住宅街をぐるっと一周して、そこから三谷池の横を北東へちょっと歩くとすぐ、

ホテルへ上がる道があるので上がってみます。

ホテルは、昔は「かんぽの宿」だったところです。ホテルの駐車場に行っても何もなかったので、下って元の道へ。

そこからまた北東へ歩くと、今度は山裾に入る道が右側にあります。入ってすぐ、山の上に上がる歩道(階段)があるので登ってみます。

途中、移築された古墳がありました。

看板には下記のように書かれてあります。

 

黒島林1号古墳の石室(移築)

昭和41年観音寺荘建設工事に伴う発掘調査後、

この場所に移築したものです。

古墳の規模は、直径20m、高さ4m前後の円墳です。

埋葬施設は、全長5.8mの両袖式の横穴式石室で、

6世紀末頃に築造されたと考えられています。

観音寺市文化財保護協会

 

観音寺荘というのはかんぽの宿の事だと思います。さっき行ったかんぽの宿(現ホテル)を建設するときにこの黒島林古墳群が出土し、1号墳の石室だけをここへ移築再現したようです。

この黒島林古墳の名前の由来がわからないのでネットで検索したら、当時の黒島林1号墳調査報告(昭和42年)のPDFであったのでダウンロードして軽く読んでみると、この林の所有者が黒島神社だったのでそう名付けたようです。黒嶋神社は運動公園から北北東に600〜700mの位置に今もあります。

さて、さらに上へ階段を登っていくと山頂?に出ました。

なぜ「山頂?」と書くかというと、上のPDFには発掘当時の母神山の地図も描かれていて、私が到達した78m付近より高い90.1mの山頂も描かれていたからです。

後でわかる事ですが、高速道路建設などの採石のために山頂が削られたようで、この78m地点が現在の山頂になってしまったようです。

現山頂周辺は木が生い茂っているので展望はききませんので、下山します。

階段を降りたら、舗装道路には戻らずに山の歩道(ミニ88ルート)を歩きます。数分歩くと八十八番大窪寺の地蔵があり、さらに進むと一番の霊山寺の地蔵もあります。

なぜか中途半端な位置が一番札所と八十八番札所になっています。

やがてコンクリート道路に出るのですが、その先は薮で歩けそうも無かったので道を降りて舗装道路へ出ます。

南へ歩くとすぐに上へ登る細い道路と交差するので、上へ行ってみます。突き当たり(丁字路)を右へいくと、何やら祠が見えます。

石には「龍王宮」と彫り込まれていました。左にある説明書には、高速道路建設のために山を削り、山頂にあった龍王宮をこの位置へ遷座したと書いてありました。

この写真の左がわへ歩いていくと袋小路だったので引き返し、先ほどの丁字路を左側へ歩く。

太陽光パネルを見ながら、デイサービスセンターを横切り歩いていくと、最初の”母神山を斜めに貫く道路”へ出ました。

【写真:この道を向こうへ進むと元の瓢塚古墳入り口へ戻ります。私は手前方向へ歩きました】

道なりに南東方向へ歩くと、左側に茨谷上池があり、土手の先に南無阿弥陀佛の石がありました。

わかりにくいですが、断念したミニ88ルートがここへ繋がっていたようです。(この石はミニ88ではありません)

また道路へ戻って歩いていきます。山裾を通るルートとの交差点があるので、山裾の方へ歩いていきます。

途中、このようなお堂もあります。ちらっと地蔵様が見えます。こういうのがある場合、この道は古くからある歴史ある道だと言えます。

すぐ横には神社もありました。階段を登ってみたら、白山神社でした。

神社のすぐ裏はグラビア印刷の会社です。二礼二拍手をして階段を降りまた道を歩きます。

左手に双子池が現れます。写真に見えている右へ行く道路の先はなぜか閉鎖されていました。

帰ってからYahoo!地図でみると、道の先には須賀神社というのがあるらしいのですが、なぜ閉鎖されているのかは不明です。

この写真の正面の山の尾根上には久保田塚古墳があるようです。

この道を進んで池の堤の横を通っていくと集合住宅の横を通ります。集合住宅の奥にお墓が見えたので、ミニ88があるだろうと見当をつけてお墓の方へ行ってみます。すると墓の奥(山裾)にやはりミニ88がありました。

それから西方向へ歩くと東円寺というお寺に出ました。

本堂の裏には神社もありました。

左:千尋神社

右:金毘羅宮、天満宮

この左側にはミニ88もあります。

この東円寺のすぐ北に千尋神社はあります。随分と立派な石垣がありますね。

神社本殿は山の上にありますので、右の石段を登っていきます。その前に、なになやら看板があります。

なんと、この石垣は歌舞伎を観る観客席だったという!

階段の途中には三宝宮や伊勢宮もあります。

階段を登ると拝殿が見えます。拝殿の前で二礼二拍手をします。

奥に見えるネットは、ゴルフ練習場のネットです。

本殿の後ろに舗装道路があるのですが、その先は水道施設なので行き止まりなのですが、そのすぐ横にも神が祀られていました。

右に札があるのですが、文字が消えてしまっています。

 

最初に紹介した本「古代の讃岐」には千尋神社古墳群という言葉も書かれており、ネットで検索するとやはり、

調査報告のPDF(昭和48年)がありました。それをDLして読んでみるとやはり周辺の地図もあり、そこには古墳群の位置も描かれております。

この祠は古墳と何か関係があるのか無いのか。不明です。

 

それから境内の手水舎の奥にも祠がありました。

千尋神社古墳群調査報告PDFにはこのあたりにも古墳があったと印がしてあります。

さて、千尋神社には土佐諾(とさなぎ?)大明神というのもあります。

ネットで検索しても情報は出てきませんでした。

 

千尋神社の北西方向にはやはりミニ88があります。

そのおくに側溝のある巡礼ルートがあります。

 

途中にある五十四番札所 延命寺 本尊:不動明王

その後ろには泉が!

といっても、枯れているでしょうが…

 

道を進むと池の堤に出ました。谷田池というらしいが、読み方は不明。(たにた・たにだ・やた・やだ)

堤を向こう側からこっちへ歩いてきて撮った写真。この石はミニ88ではありません。

池の横にミニ88ルートがあるので歩いていくと、最初の瓢塚古墳の入り口にある”母神山を斜めに貫く道路”に戻ってきました。

再び自由広場駐車場に戻ります。最初から2番目の写真にある「トリムコース」という場所は要するに子供用のアスレチック器具がある場所なのですが、そこにも古墳跡があります。

この上母神(かみはがみ)8号墳の石室あとは、実は横の自由広場駐車場にあったものをここへ移築したようです。

写真の奥にも古墳があります。

上母神1号墳

 

上母神2号墳

 

なぜ「母神山古墳」という名称じゃないのか不思議だなと思って、帰ってネット検索すると、やはり過去の調査報告PDFがありました。

どうやらこの北西にも古墳があり、そちらは下母神古墳というそうです。

 

ちなみに、下母神古墳跡には太陽光パネルが設置されている。ふざけているとしか言いようがない。