5月4日、高瀬町の大水上神社(おおみなかみじんじゃ)へ行ってきた。といっても同神社へはこれまで数回訪れている。

初めて行ったのは、高校時代に42km歩くという恒例行事があったのですが、前回のブログの豊浜町(現観音寺市)にあった三豊工業高校から延々と歩いて往路は高瀬町のこの大水上神社まで来て、この境内で昼の弁当を食べた。

当時はこの神社の名前とかも知らなかったのです。(興味も無かった)

社会人になってからあの神社が讃岐二ノ宮大水上神社だとわかったのでした。ちなみに一ノ宮は高松市にある田村神社です。

田村神社は平野の中にありますが、大水上神社は山手にあります。

山手といっても山奥ではありません。

神社の入り口には石碑?があり、その後ろに看板があります。

 

これは県が設置した「四国のみち」の案内図で、昔から使われている道を案内しているものです。

考えてみれば、高校時代に歩いたルートはどうやらこの「四国のみち」を辿っていたようです。

 

大水上神社の中に小さな川が流れていて、その川は「宮川」という名前で、2km下流に瀬丸池(せまるいけ)があり、やがて財田川(さいたがわ)へ合流します。

入り口の鳥居をくぐるとこのような風景に。

道路も舗装整備されているし、鳥居も新しめですね。鳥居前に小さな橋がありますが、そこが宮川です。

 

鳥居をくぐると急に鬱蒼とした雰囲気に包まれます。

 

青々としたもみじも綺麗です。

 

随神門はこんな感じです。

 

参道沿いにある石製の玉垣には古い名前がたっぷりあります。

小野仁右衛門令盛(おのじんえもんはるもり?)

右側は「六ノ○ 近藤○八郎」と見えます。

ちょっと読みづらいのですが、「六ノ…」といえば、この大水上神社から西へ4kmほどのゆめタウン三豊付近が六ノ坪という地名なので、おそらく「六ノ坪」に住んでいた近藤氏なのでしょう。

また高瀬町付近は近藤という姓の方々が結構住んでおられるようです。

近藤氏は古くは近江へ派遣された藤原の一族が近藤姓を名乗り始めたようで、その子孫の誰かが鎌倉時代に讃岐へ来、この近辺の地頭になったという。

(※写真の近藤○八郎がその末裔ということではありません)

 

正面が拝殿で、二礼二拍手をする。

 

右方向に行ける道がある。木々が生い茂っているので、苔がたくさん生えていい感じです。

石段の左側の玉垣には「仁尾村 塩田忠左衛門」と刻んであります。塩田忠左衛門氏は三豊市仁尾町で塩田(えんでん)を経営した人物だそうで、仁尾の発展に貢献した人のようです。

 

石段を登っていくと、磐座がありました。

ここでも二礼二拍手します。右を向くと木の下に小さな祠もありました。

石段を途中まで降りて、そこから神社の後側へ回っていくと、先ほどの宮川が流れており、対岸にも磐座がありました。

石灯籠には「羽方村 惣氏子」と刻んであります。羽方村はこの大水上神社がある場所の旧地名です。

 

そこからいろいろ1時間半ほど歩いて帰りました。

高瀬町はこの近辺ではお茶栽培で知られたところであり、今でもお茶畑があります。

お茶畑にあのような風車があるのは何故だろう。

というわけで、讃岐二ノ宮紀行でした。