前回の粟井ダム・龍王神社から次の週の日曜日である4月7日、桜満開の季節ということで、人がたくさん居る場所には行きたくなかったので、記憶の中で小規模な桜があったと思い出し、
車を走らせ三豊市豊中町の笠岡地区の宇賀神社と生目神社(いきめじんじゃ)へ行ってきました。
天候は晴れていましたが、若干の風と霞みがありました。場所は北東の高瀬町との境目付近であり生目神社から北は高瀬町という感じ。
まずは宇賀神社の駐車場に車を停める。ほぼ人が居なくてよかった。
鳥居の前の社務所へ通じる参道を工事中でした。コンクリート舗装するのでしょうか。
鳥居とか狛犬さんは新しめですな。宇賀神社は年に二回”濁酒(どぶろく)”を作る行事があり、毎年のようにローカルニュースで取り上げられます。
右の”鉄骨通路”は謎めいてます。
鳥居を潜ると灯籠、随神門、拝殿へと続く。大きな注連縄が目を惹きます。
出雲大社のそれに比べれば小さいですが。二礼二拍手をします。
我々一般人は勝手にお酒を作ってはいけません。(笑)
四国ではこの宇賀神社だけ許可されているらしいです。
本殿の後にはこのような石も祀られいます。
本殿のある場所から南に御旅所があります。背後は七宝山脈です。
宇賀神社から東方向に目を向けると、桜が群生しているのが見えたので行ってみることにします。
途中、昔の鐘があったりしました。
モノクロ写真
この小さな交差点を左へ行くと、満開の桜が!
あ…墓地でした…すいまんせ。しかし綺麗に咲いていました。左側の道を行きお墓を抜けると舗装道路に出ます。
そこから東方向へ進んで振り返って撮った写真。↓
そのまま道なりに進んで山方向へ行くと行き止まりだったので引き返して、この道を西方向(この写真の向こう側)へ歩いていきます。
右側に池があり、土手の下に歴史を感じる灯籠がありましたが、池の名前はわかりません。
この道を左方向へ行くと生目神社へ行く看板があります。
坂道を上がっていくと途中で分岐があり、真っ直ぐ(車道)行ってもいいのですが私は分岐方向へ(コンクリート道)。
この道を進んでいくと階段が現れ、左側にまたもや池も出現。
池の土手南側から写真を撮ると、七宝山脈を背景にした笠田地区から下高野地区や比地(ひじ)地区がよく見えます。コンクリート道は桜に隠れています。
七宝山脈の向こう側は瀬戸内海(燧灘(ひうちなだ))です。
さて、土手を戻ってコンクリート道へ戻り坂を見ると鳥居と階段があります。
かなりくたびれてますね…。みなさん自動車で車道の方を使うのでしょうか。でもこの寂れ感がいい雰囲気をかもしだしてます。
夜はかなり怖いかもしれませんね…。階段を登り切ると…。
こちらにも満開の桜が。左手方向に鳥居がありますので、そこから短い階段をのぼります。
生目神社(いきめじんじゃ)に到着です。先ほどの寂れた参道とはちがってかなり手入れがなされています。
注連縄のある拝殿前で二礼二拍手をしました。拝殿の横には小さい祠もあります。
五輪塔や右側の祠はかなり古そうです。
さて、そこから車道を下って戻ることにします。振り返ってパシャリ。
急な坂道を下っていくと途中に井戸があります。
こちらにも祠が。看板には↓のような事が書かれています。
生目の御神水
祭神 水波能売大神(みずはのめのおおかみ)
水の神様
幸福の泉
祭神 榮井大神
井戸の神様
モノクロ写真。榮井大神は読み方がわかりません。サカエイノオオカミかな?
お知らせ
この井戸水は
飲料には
適しません。
生目神社総代
このような注意書きも。(笑)
そこからさらに下っていきます。
若干散り始めてますが、まだまだ綺麗です。
下っていくと参道鳥居前の池の土手にでます。土手北側から宇賀神社を撮りました。宇賀神社の向こう側は観音寺市方面です。
宇賀神社の下の名前のわからない池の土手の下に歴史を感じる灯籠がありましたね。
で、池の下に見える道が先ほど登ってきた参道のコンクリート道です。そういう位置関係です。
道を戻って宇賀神社へ戻ってきたのですが、裏手を見るとまた別の場所にも桜が群生しているので行ってみることにしました。
ちなみに、↑山の左側の桜がある場所が生目神社です。
鳥居には”長穂大権現”と書いてあります。
どうやら地元住民の氏神?のようです。
なるほど、長穂と書いて「ながお」と読むわけですな。天正12年創建。
天正12年といえば、長宗我部元親が四国統一をする前年ということでかね。
石柵の名前は馬渕さんばかりですな。横には五輪塔もあります。
ちなみに、女優の馬渕英俚何さんの出身は三豊市豊中町らしいです。もしや!!!?
さて、再び宇賀神社へ戻ってきて、宇賀神社の横の池にもちょっとだけ桜がありました。
車を停めた駐車場にも。
人がほとんど居なかったので、静かに鑑賞できました。
令和六年四月七日の桜だよりでした。