ノリノリ 闘病記!乳房再建記録 -181ページ目

いよいよ手術・・・ 治療記録パート5

胃カメラ・大腸カメラの検査結果は、異常なし!

そうなるとやっぱり卵巣がんってこと?

旦那にネットで調べてもらった。


卵巣がんはとても見つけにくいこと、

見つかったときは進行している場合が多いこと

胸水がたまっている状態だとステージⅢかステージⅣではないか?


「5年生存率は?」


その答えは、ごまかされた・・・


後で自分で調べてビックリ!!

30%以下だった。


たぶん旦那は気を使ってくれたんだろう・・・


胃カメラ・大腸カメラの検査から手術までの1週間は

普通に過ぎていった。


途中病棟を変わった。


入院して1週間で呼吸器内科から婦人科に病棟を変わった。

婦人科は大部屋が空いてなくて、2人部屋だった。

空き次第移れるようにお願いしていた。


この2人部屋の同室の人が、大変だった。

たぶん50代。なんの病気なのかはわからないのだが、寝たきり。

しょっちゅうナースコールするし、家族のお見舞いも時間は関係なし。

消灯時間ぎりぎりまで大きな声で会話している。


おまけにその部屋はナースステーションの隣、ロビーのすぐ横。

先生たちの笑い声やお見舞いの人たちの声や雑音だらけ・・・


落ち着かなかった・・・

余計に具合悪くなりそうで・・・


婦人科に移って1週間経ったときに、師長さんに相談してみた。


結果・・・・


婦人科病棟の大部屋は空く予定がないこと、他の階で婦人科の

患者さんがいるところがあるのでそこに移るって。


そうこの病院は縦に長い病院で階ごとに病棟が違うんです。

産科と婦人科が6階。そこに入れない婦人科の患者が7階、8階にもいる。

私は8階になった。


8階は形成外科・整形外科の病棟。

でも1割くらいは婦人科の患者さんもいる。

この8階の病棟にこのあと2ヶ月近くお世話になる。


ここで余談・・・・・


入院2週間で3つ病棟を変わって感じたこと。


病棟によって看護師さんの雰囲気がぜんぜん違う!!!


最初の呼吸器内科は、若い男の看護師さんやヘルパーさんがいた。

6階の婦人科は、かわいい、きれいな看護師さんばっかり。

キャピキャピしてる感じ。にぎやかだった。


そして8階は・・・・


ビックな看護師さんが多い(っていっても5,6人。イメージで多く感じた)

まじめないかにもって感じの人が多かった。

もちろん可愛い人も、きれいな人もいるけど・・・


旦那は8階のYさんのファンだと言っていた。


でも全体的に言える事。

みんないい人でやさしくて・・・すごく救われた・・・

だから、けっこう入院生活は楽しかった。


本題に戻って・・・

8階に移って、窓際のベッドになって、日々遠くを見て過ごした。

東京タワーや六本木ヒルズが見える。

夜景がきれい・・・


こうして手術を迎える。


前日の夕方、手術の詳しい説明。

MRIやCTを見せられて・・・


「胃や大腸は異常がなかったので、おそらく卵巣の腫瘍でしょう

 ただ、もしかしたら大腸の表面から腫瘍ができていることも稀にある」


私の腫瘍は大きくなっていてお腹の真ん中に広がって子宮に乗っていた。


「手術には外科の先生にも立ち会ってもらって、お腹を開いて

 もし大腸とか消化器由来のものだったら執刀を変わります」


「卵巣からのものであれば、腫瘍を取って迅速診断をして、悪性であれば

 子宮・両卵巣・体網を切除する。

 リンパ節は状態を見てその場でどうするか決定します。

 リンパ節まで手術になれば時間も長くかかります」


そんな説明だった。


でも不謹慎にも私が一番気になったのは、MRIの写真。


う~ん・・・・背中の脂肪のほうが厚い・・・・・・σ(^_^;)


なんかいろいろ説明されてもなんかひとごとで・・・

自分が手術するってなかなか思えなくて・・・・


先生も言ってた


「norigureさんはすごく度胸があるというか・・・・

 普通はもっと動揺されたりするんですけどね・・・・」


悪性の告知(治療記録パート3に詳しく書いてあります)の日から

開き直って前向きに考えてきた。


それが先生には度胸があるって見えたのかも・・・

確かに昔から度胸があるってよく言われてたけど・・・

それってずうずうしいだけ???まっいっか・・・


先生の話の後病室で旦那に脂肪の話をして2人で笑っていた。

手術前日の夜に笑ってる夫婦もめずらしいよね。


こうして手術日を迎える。


その日は


2006年10月13日(金曜日)


って、ジェイソンがやってくるーーーーーーーーーーーーー!!!


でも大安!!!


日本人だ。大安を信じよう!!!



2006年10月13日(金)


8時半からの手術はあっという間だった(私の感覚・・)

手術台で「麻酔が入っていきます」って言われて、

1・2・3・4・5・6・・・・・・・

6秒で落ちてしまった。


次に気がついたのは、M先生が肩をたたいて


「norigureさん。手術は無事おわりましたよー」


そして次に記憶にあるのは


ICUで旦那や母親と面会した時


私 : 「今、何時?」

旦那 : 「2時だよ」

私 : 「じゃあ予定どおりってこと?リンパは取らなかったのね?」

旦那 : 「うん」

私 : 「よかった」



こうして手術は無事終了した。

予定通り・・・

子宮・卵巣・体網を切除した。


               パート6に続く・・・



えっ??? 大腸がん? 胃がん?治療記録パート4

2006年10月5日


2日前の夕方、担当医の先生から胸水(肺の水)から

悪性細胞が検出されたという話は聞いていた。


でも、もう動じなかった・・・

卵巣がんでも手術すれば治る!そう信じていたから・・・

同じ年で手術した母だって今も元気だし・・・


この日の夕方、旦那と二人で先生から話を聞いた。


胸水、腹水から悪性細胞が検出された。

お腹に大きな腫瘍がある。


普通で考えれば卵巣の腫瘍から胸水が溜まりその中に

悪性細胞あるなら、卵巣の腫瘍は悪性つまりがんということ。


ところが、先生の話によると胸水から見つかった悪性細胞の

種類が卵巣からきたものとは違うらしい。

大腸とかの消化器系に原発があってそこからきたのではないか・・・


病理検査で今はいろんな事がわかるそうです。


現代の医学ってすごい!!


でもこの状況が今後も私を苦しめることに・・・


先生の話では大腸、胃などにがんの原発があるかもしれない。

胃カメラと大腸カメラの検査をしましょう。


そんな話だった。


でも自覚症状はまったくない!

食欲もあるし、快便だし・・・


これにはショックを受けた!!!


もし胃や大腸になにか見つかってそれも手術するってなったら・・・


王監督だってすごい痩せて大変そう・・・



どうしよう・・・・・



実はこの話を聞いた翌日が、胃カメラ・大腸カメラの検査の日だった。

だからまたしても考える時間がなかった。

何日か後だったら、あれこれと考えてしまったかもしれない・・・


検査してみないとわからないよね。


またしても開き直り・・・


  

2006年10月6日


朝から大腸カメラの検査の為、下剤を飲む。

2ℓ飲まないといけない。


順調に下剤を飲んで・・・・出した・・・


10時頃検査に呼ばれた。

横になって、マウスピースをくわえて・・・・・・


後は覚えていない。寝ていた。

気がついたら大腸カメラの検査に移っていた。


事前の検査の説明のときに、喉が敏感だということ、喉が狭いこと

を伝えたら、眠ってもらうから大丈夫ですよって言われていた。


なんでもすぐにオエ~ってなっちゃうから、胃カメラは絶対出来ない

って思ってた・・・


でも大丈夫だった。これだったらいつでも出来る。


検査が終わった。

先生どうなんですか?  聞いてみた。

「ポリープ一つ無かったよ」

たぶんそう言われた・・・


鎮静剤の影響でボーっとしていて・・・


時計を見たら30分くらいしか経っていない。


なんとなく・・・胃も大腸も何もなかったように思った。


結果は・・・・・


胃も大腸もきれいな状態だったって。


よかった(‐^▽^‐)


              パート4に続く・・・

MRI そして 悪性告知・・・ 治療記録 パート3

2006年9月29日


入院3日目


MRI検査を受ける。


MRIって?????


磁気がどうのこうの・・・・・


よくわかんないけど、とにかくうるさかった。


工事現場みたい。


狭いし・・・


耳栓して目を閉じていた・・・・


10分くらいで終了!


前日から・・・

入院してから卵巣に腫瘍があるって言われたので

PCで調べることもできず、友達に電話しまくった・・・


卵巣腫瘍の経験者もいたし、妹にも電話した。


妹に経過を報告したあと、病室に帰ろうとしたら、声をかけられた。

白衣の集団!!!4人か5人


その後わたしの主治医になる、M先生(後は誰がいたか覚えていない)


病棟ロビーでテーブルを囲んで・・・


「不妊治療されてたんですね・・・」

 そう私は子供が欲しくて病院に1年半通っていた。

 ただ仕事をしながら治療をするのは大変で・・・

 1年ほど病院には行っていなかった。

 40歳を目前にして一大決心!

 仕事を辞めて、治療を再開しようと思っていた矢先だった。


「右卵巣に腫瘍があって、かなり大きくて・・・

 子宮にのっている状態です」

「卵巣腫瘍の場合、良性か悪性かの診断は手術しないとわからない。

 悪性の場合、もう子供は望めないでしょう」

 ・

 ・ }この間の会話はあまり覚えてない・・・えっどういうことって

 ・                           頭の中が真っ白だった

最後に

「子供はあきらめてください。あなたのの方が大切ですから


なんか悪性って決めつけてる感じ・・・


私 : 「悪性の可能性が高いってことですか?」

        それだけ聞くのがやっとだった・・・


先生 : 「この間抜いた肺の水から悪性細胞が検出されたら

      悪性だと思います。今の段階では悪性の可能性の方が

      高いです」



悪性ってことは卵巣がんってことだよね・・・

えっ!!!まじで!!!


実は私の母親は、今の私と同じ39歳で子宮がんになりました。

親子で同じ年齢で婦人科系のがんに・・・・・・・


運命???


ベッドに戻って呆然・・・


結婚して3年半・・・

子供が欲しくて不妊治療して・・・

最後のチャンスと仕事辞めて治療を再開しようと思っていたのに・・・


仕事が忙しすぎて治療をストップしていた1年の間に

腫瘍はどんどん大きくなっていた・・・


もう子供はあきらめるしかない・・・


涙がとまらなかった・・・

夕食もほとんど喉を通らなかった・・・


でも私にはやらなきゃいけないことが・・・


旦那に伝えないといけない・・・


きっと旦那の方がショックを受けるかもしれない・・・

私がしっかりしていないと・・・



結果的にこの悪性告知の状況がかえってよかった。

突然言われちゃったから・・・それも一人で・・・ロビーで・・・

深く考える余裕がなかった・・・


開き直った・・・・・


病気になったのは誰のせいでもない!

何かに気をつけていたら予防できたかって、それはできない!

母と同じ年で!これは運命!!!

がんばって治すしかない!!!


                 パート4に続く・・