世界史からパクったようなタイトル。周りの人たちから密かにそう呼ばれていた。

親のしつけが厳しく、児童虐待にも近い親の態度に、自分の心は親から離れて行った。とにかく親が嫌いだった。

高校生になっても、やたらと干渉する親についにキレて、独り暮らしを始めるために家を出た。


親とは、ほとんど連絡もとらず、数年に一回、手紙が親から来るくらいで、電話もせず、もちろん、会う事も無かった。

本当は、親とは絶縁したかったが、今の法律に規定がなくて、それは無理だと言う。昔は、法律で絶縁、離縁ができたそうだ。

一生涯、親と実質的に絶縁できるなら、それがいいと思っていた。ところが、数年前に、当時、大学生だったaさんが登場する。

aさん、僕が、親と絶縁関係にあると知って、親と和解するように勧めてきた。今まで、親と和解するように勧めてきた人たちも何人かいた。

でも、その人たちは、「とにかく和解しろ」と、やや命令口調だったので、自分と親の過去の経緯を知らない人間から、命令口調で和解勧告されても、到底、和解する気にもならなかった。

ところが、aさん、「僕は口が裂けても、親と和解しろとは絶対に言える立場にはないと言いつつ、何とか和解に向けて考えて欲しい」と言う。

初めは、aさんが気をつかって、和解勧告をしているのを知ってはいたが、やはり、親と和解する気は無かった。aさん、機会あるごとに、僕の親の心配をしてくれた。僕は当時、親なんか心配する気持ちなんて無かったのに、aさんは、いつも気にかけてくれた。

aさんは根気強く、和解勧告を続けた。

そうすると、和解を拒否していた自分は、そこまで、気をつかって和解勧告するなら、とりあえず、和解に向けて動こうとなった。

和解すると言っても、親に対して、恨みにも近い感情や不信感がある中で、和解とは相当難しいのだ。

和解に向けて動く気になったのは、aさんの真摯な態度に動かされたと言ってもいい。

しかし、親は相変わらずの姿勢なのだ。つまり、親自身が、自分に対して詫びたり、反省する態度を示していない中で、自分が一方的に和解に向けて走り出す事になった。
とりあえずブログを始めました。理由は、明日、11月12日が自分の誕生日だからです。もうかなりいい歳になりました(苦笑)


つまり、誕生日の前日までにセットして、ブログを始めようと思っただけです。内容や方向性は未定。

くだらない内容やネガティブなものを書くかも知れない。自分が思ってる事を書く予定。


とりあえずブログを立ち上げる事が、先にありき。内容は後からにする。

このブログは、大半の友人、知人には秘密にする予定。もちろん職場の人間や、近所の人にも秘密。

ごく一部の友人には、ここのブログは教える予定。