親から戸籍を分離する手続き、それが分籍届。

メリットはあまり無い。

分籍届とはどんなものか?分籍した後の戸籍事項はどうなるのか?興味本位でやる人もいるらしいが、分籍したら、元に戻せないので体験したいと言う、興味本位でやっても仕方ない。


分籍届を出す理由は様々あって、単に親から独立したいと言う意思表明でやる事が多い。

もちろん分籍届をやったからと言って、親から法的に独立した事にはならないし、税法上の扶養関係が変わる訳でもない。

もちろん、民法上の権利義務関係も変わらない。

だがしかし、この分籍届を出す意思表明は、親からの独立を意味するし、そうした意味で行う人々も多いのが実態である。

だから、この分籍届を出す場合、前向きに評価する親もいるらしいが、大半の親は反発する。何故か?それは、親に対する決別状に他ならないためである。

分籍届を、親からの自立、独り立ちと評価してくれる前向きな親は少ない。

それぞれの親は、成人式は祝うが、分籍届は認めない。そんな封建的な姿勢でいいのだろうか?

もっとも、世の中の親も子も、分籍する手続きすら知らない。

分籍届をたくさん出されては、役所の事務も増えて困るだろう。


田舎の親元に戸籍がある場合、何か戸籍の写しが必要な時、すぐに書類が必要な場合、親元の役所で手続きをするより、戸籍を分離して、自分の住んでる自治体に戸籍を自分だけ移すには、分籍届が便利なのである。

もちろん遠くの本籍地の役所に、郵送で手続きを頼む事も可能だが、便利に地元で戸籍の諸手続するには、親の戸籍の中から自分だけ移す(転籍)には、分籍届が必要になってくる。

でも何度も言うが、分籍届の基本的理由は、親からの独立、自立、又は決別なのだ。

全学連の世代には流行りかけたらしい。

それはともかく、分籍したからと言って、税法上や民法上の独立は意味しない。

また、戸籍の分離と、住民基本台帳上の「世帯分離」とは、全く関係が無い。

親と、戸籍の分離はしてないが、住民票の分離はしているとか言う人々はかなり多いはず。

親と別々に住んで、住民票も別々と言うのは、決して珍しくは無い。

分籍届を出す子は少ない。ブログの読者の中でも少ないだろう。分籍をする理由には、少なからず、重い意味があると思ってもらってもいい。
先日、ある刑事被告人が、親に事前通知なくして、親から戸籍を抜ける手続きをしたと、NHKと民放がニュースで報じていた。親の戸籍から抜ける手続きと、被告人の訴追内容は全く関連性が無いのだが、何故かニュースになっていた。

戦前は、戸主と呼ばれる親が、子供を法的に勘当する制度があった。ある落語家が、自身の体験を元に、これをネタにする事がある。しかし、これは戦後は制度として廃止になった。


今回のニュースでは、その被告人の手続き行為について、詳しくは触れていなかったが、ようするに戸籍法第100条に基づく「分籍届」なのである。


詳しくはWikipediaを参考にして欲しい。


この人の場合は、成人してから20数年を経て分籍届を出している。法的には二十歳になった段階で可能な手続きで、しかも、親の許可が要らない。


実は、僕は、二十歳も半年ばかり過ぎた時に、分籍届を出して親の戸籍から抜けた。分籍届を出したからと言って、法的な権利義務関係は、全く変わらない。


法的な権利義務関係が全く変わらないのだから、わざわざ分籍届を出す人間も少ない。

自分の場合は、親との対立の真っ最中だったので、二十歳を過ぎて、さっさと親の戸籍から脱退しようと思って手続きをした。


もちろん、分籍したからと言って、権利義務は変わらない。


なぜ、分籍届を出すのか?言うまでもなく、親の戸籍から脱退したい一心だった。


戸籍制度に過度な思い入れはないが、親の傘下に戸籍を有するのは、当時としては納得行かなかった。

ところで、分籍届は一度行うと、二度と親の戸籍に合併したり、戻ったりはできない。

Wikipediaにも、女性が分籍届を出しに来ると拒否する役所があるが、それは違法だと書いてあるが、その通りなのです。

しかし、未婚女性が分籍届を出すと、世間的には、あたかも離婚した女性と思ってしまうので、親の反発を買い、そのツケが役所に来てしまうので、トラブルに巻き込まれたくない役所は、拒否、留保と言う「窓口指導」をする事はよくあるそうだ。

しかも、一度受理された分籍届は、二度と取り消せないし、親の戸籍にも戻れない。

このように、何かとトラブルになりやすい分籍届、分籍しても権利義務関係に変化がないのに、なぜ分籍してしまうのか?次回、書こうと思う。


どこの世界にも、組織にも、そして近所にも、やたらと声が大きい人がいるはず。

単に声が大きいだけなら、元気で素晴らしいと思うだけだが、やっかいなのは、他人の権利や主張を遮るために、自己のわがままを押し通すために、わざわざ大きい声を出す人間の場合、大変、周りが迷惑する。


こうした人間に対して、ほとんどの人は、あえて黙認してしまう。わざわざ異を唱えて、声の大きい人間の感情を刺激したくないからで、そうすると、この声の大きい人間は、ますます調子に乗って、わがままを押し通すために、普段から、やたらと、大きな要求を突きつけるようになる。


僕はそうした人間を見ていると、とてもイライラするし、初めは黙認していても、いい加減、そのわがままを切ってやろうと思ってしまう。


近所でも有名な、大きい声型のわがまま人間がいたのだが、近所の人たちは黙認したり避けたりしていた。僕も初めは黙認していたが、あまりにやかましい態度なので、はっきりと怒鳴りつけたら、後はおとなしくなってしまった。


声の大きい人間は、いつでも、どこでも、大きい声さえ出していれば、相手を黙らせる効果があると過信しているのだ。実際に、相手が黙ってしまい、誰も注意しないから、よけいに調子に乗る。


ところで、もっと厄介なタイプがいる。それは、決してわがままから大きい声を出している訳ではないが、やっぱり相手を威圧したり、議論そのものをさせないで、自己の主張を押し通すタイプ。

これは更に厄介な存在である。

本人は、わがままな主張どころか、正義を振りかざしていて、半ば、自己陶酔してしまっている場合もある。


このタイプと対峙しなければならないのは厄介。恐らく、まともな議論や交渉、話し合いは無理。


このタイプは、初めから自分こそが正しいと思い込んでるので、誰か他人が指摘しようにも、どうにもならない程、頭が硬いか、異論反論を受け入れるほど度量がないタイプである。

どこかの知事達に、見られるタイプではないだろうか?


先日も科学者が、「後世の歴史の審判に立つ覚悟はあるのか!」と威圧していたが、相手に議論させない感情的な姿勢は、おおよそ科学者らしからぬ姿にしか見えなかった。

こういうタイプに出会うと、本当にイライラする(苦笑)

科学者なら科学的な根拠を示して主張して欲しいものだ。

ワンフレーズで大声を出して、相手を威圧する姿勢には、説得力はない。