先日、【やぶ睨み】と言うキーワードに出くわした。
この言葉、日常生活で使う言葉ではない。この言葉が出た時に、一瞬、意味を考えてしまった。
文学的な言葉では無いだろうか?あるいは、年齢を重ねた方が使う言葉のような気がする。
見ての通り、やぶ睨みとは、見当違い、見当はずれの視点、考察などを意味する。
かつて、在籍していた会社の社長は、【常に大衆は間違っている】が口癖だった。
僕はこの言葉に賛同していた訳では無かったが、付和雷同しやすい性格を持った人なら、この言葉は戒めとして受け止めるべきと思っていた。
この社長は、僕と性格が似ているところがあって、世間の流れに素直に乗せられないタイプであった。
社長は個性的で、そして、素直じゃあない。あえて世間の流れに逆らおうと言う、かっこいい言葉で言えば【反骨精神】があったように思う。
世間がひとつの見方や流行、考え方、世論に一極化する流れには、僕はついて行けない。
だからあえて、世論とは違う見方を立てようと思ってしまう。それは僕の、今後とも変わらない性格だと思うし、別に変えようとも思わない。
世間の常識や、大勢に逆らう見方をするのだから、当然にして少数派の意見になる。馬券で言えば大穴とか言うのだろう。
世間に逆らう見方を立てる以上、異説、珍説、トンデモ説などになる訳で、それを世間に公表したり、周りに開陳するのは勇気の要るところ。
下手をすれば、その少数派の意見は、【やぶ睨み】と言われてしまうからだ。
世間の常識、そこに何の疑いも無しに、当然のように受け入れたり、あるいは、聖なる教えと称して、疑義を挟む事すらタブー視して、神聖にして、その教えに盲従する考え方には、どうしても僕はなれない。
自分自身の少数派の見方が、やぶ睨みになるか、それとも、真に正しい見方として評価されるか?
その人の日頃の積み重ねにかかっていると思う。
日頃の能力の鍛えがものを言う。
わざわざ、少数派としての意見を立てるために、デタラメに考えたり、山師的で大穴狙い的な、非科学的、非論理的な事を考えて主張するのは、やぶ睨み以前の問題。
異説を立てた以上は、時間の経過と共に、検証の対象とされて、全く的外れな見方との結論が出れば、【やぶ睨み】と烙印を押されてもやむを得ない。
そんなリスクがあっても、どうしても、付和雷同したくはない。そんな性格を持った人間が僕である。
この言葉、日常生活で使う言葉ではない。この言葉が出た時に、一瞬、意味を考えてしまった。
文学的な言葉では無いだろうか?あるいは、年齢を重ねた方が使う言葉のような気がする。
見ての通り、やぶ睨みとは、見当違い、見当はずれの視点、考察などを意味する。
かつて、在籍していた会社の社長は、【常に大衆は間違っている】が口癖だった。
僕はこの言葉に賛同していた訳では無かったが、付和雷同しやすい性格を持った人なら、この言葉は戒めとして受け止めるべきと思っていた。
この社長は、僕と性格が似ているところがあって、世間の流れに素直に乗せられないタイプであった。
社長は個性的で、そして、素直じゃあない。あえて世間の流れに逆らおうと言う、かっこいい言葉で言えば【反骨精神】があったように思う。
世間がひとつの見方や流行、考え方、世論に一極化する流れには、僕はついて行けない。
だからあえて、世論とは違う見方を立てようと思ってしまう。それは僕の、今後とも変わらない性格だと思うし、別に変えようとも思わない。
世間の常識や、大勢に逆らう見方をするのだから、当然にして少数派の意見になる。馬券で言えば大穴とか言うのだろう。
世間に逆らう見方を立てる以上、異説、珍説、トンデモ説などになる訳で、それを世間に公表したり、周りに開陳するのは勇気の要るところ。
下手をすれば、その少数派の意見は、【やぶ睨み】と言われてしまうからだ。
世間の常識、そこに何の疑いも無しに、当然のように受け入れたり、あるいは、聖なる教えと称して、疑義を挟む事すらタブー視して、神聖にして、その教えに盲従する考え方には、どうしても僕はなれない。
自分自身の少数派の見方が、やぶ睨みになるか、それとも、真に正しい見方として評価されるか?
その人の日頃の積み重ねにかかっていると思う。
日頃の能力の鍛えがものを言う。
わざわざ、少数派としての意見を立てるために、デタラメに考えたり、山師的で大穴狙い的な、非科学的、非論理的な事を考えて主張するのは、やぶ睨み以前の問題。
異説を立てた以上は、時間の経過と共に、検証の対象とされて、全く的外れな見方との結論が出れば、【やぶ睨み】と烙印を押されてもやむを得ない。
そんなリスクがあっても、どうしても、付和雷同したくはない。そんな性格を持った人間が僕である。