……多くの人が、「出雲大社」と答えるのではないでしょうか。
でも、日本書紀にも古事記にも、出雲大社は登場しません。
大国主命が、天照大神たちの侵略で出雲を譲り渡す際、「私を祀る神殿を作ってほしい」と頼み、立派な建物が建造されたというくだりがあり、それが出雲大社ではないかと考えられているのですが……。
もしそれが事実なら、出雲大社は大国主の墓ということになってしまいますよね(^^ゞ
むしろ、日本書紀には、大国主(葦原醜男)の神が祀られている場所について、「出雲の石くまの曽の宮」であると書かれています。
そして、「出雲の石くまの曽の宮」とは、出雲市斐川町神氷に鎮座する曾枳能夜(ソキノヤ)神社であると考えられているのです。
写真でご覧になればわかるように、小さくかわいらしい神社です。
でも境内は掃き清められ、今も大切に斎祀られているのがわかりました。
現在のご祭神である伎比佐加美高日子(キサカミタカヒコ)命は、出雲の首長であり、大国主命を祀る神主の長でもありました。
娘の肥長姫は、蛇の姿をしていたとありますから、斐川そのもの、あるいは斐川に関係する巫女だったのではないでしょうか。
「長」は蛇を意味し、蛇は川の神でもありますから。
つまり、この神社は古い、古い出雲を守ってきた人々の社なのです。
もしかしたら、出雲大社よりずっと古く、もっと出雲の神に関係が深いかもしれない曾枳能夜神社。
出雲を訪れる際は、ぜひ参拝してみてくださいね!
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