米子に行ってみようと思って、Webで簡単に検索してみたら、街巡りガイドの制度があることを知りました。市の観光課を通じて、ネットで申し込んでみたら、電話がかかってきて、簡単な打ち合わせ。そこで指示された通り

 

この循環バスに乗ったのですが、降りる停留所をメモするの忘れてたー。運転手さんに、観光センターに行きたいと言ったら、そんなのは無いって言われて困ります。が、よく見たら「まちかど観光案内所」って言うのがありました。運転手さんも、そう教えてくれれば良いのに。途中、鳥取大学医学部付属病院というのがあったのですが、鳥取市ではなく、米子市にあるのですね。

 

まちかど観光案内所の停留所には案内のおじさんが迎えに来てくださっていました。すごい!至れり尽くせりです。しかも今日の観光客はどうも僕1人みたい…。

 

こんな、古風な建物に通され

 

コーヒーをいただきながら詳細の打ち合わせ。米子の簡単な歴史を教えてもらいます。米子城とその城下町、そして川を挟んで町人が住んでいた町があるという、簡単な説明。そして街巡りがスタート

米子にはいくつかの名家、豪商の末裔があるのだそうですが、その一つ、後藤家。米子の鉄道建設に非常に貢献した方で、後藤駅というのがあったのだとか。何代目か忘れましたが、まだ住んでいるのだそうです。

 

ガイドのおじさんが、その近くにある船越さんのお宅に、勝手に入っていき、ちょっとびっくり。鍵もかかっていないし…。もちろん一般公開はしていませんが、観光ガイドと一緒ならば中に入れるんだとか。普通に住まわれているお宅ですよ。

 

天井にあるのは、実は扉。この扉が軒の部分を支点に降りてくるのが、伝統的な扉だったみたいです。今はもう使っていないようです。

 

さらには10メートルくらいの吹き抜けがあって、そこには神棚が。神棚のあるところには2階を作らないと言うのが決まりなのだそうで、だからこんな空間ができたのだとか。

暖簾には、船越家の家紋。江戸時代、港に上がった商品は、全て船越さんが検閲して判を押したものしか、流通させなかったことから、判屋と呼ばれていたそうです。

 

戦前は、地元の大手企業の、ナンバー2的なポジションを歴任していた船越家の当主は、90代にしてまだ元気にハワイとか行っているらしいです。チラ見できた応接間に、ハワイの地球の歩き方がありました。中庭も相当綺麗。その先には、医学部の建物が。戦時中に軍医が足りなくなって、全国に養成校をつくることになったのだそうですが、その一つに選ばれたのが米子。戦後、いったん解体する案が出たそうですが、市長が頑張って、医学も病院も維持し、それが今日の鳥取大学医学部付属病院になったのだそうです。かつては鉄道の街として栄えた米子も、今はこの医学部が一つの産業なんだとか。

 

次に行った、違う家。江戸時代の名家、鹿島さんの家には中庭に、米子城にあったシャチホコが、無造作に置かれていました。鹿島家は、江戸時代に岡山から移住してきて、商売で成功。なんと当時の米子の4割は鹿島家の土地だったのだそうです。

 

現在の貨幣価値で15億円くらいを拠出して、米子城を建て直した経緯から、不要になったシャチホコを中庭に置くことになったのだとか。鹿島家は、数十億を藩に貸していたのだそうですが、廃藩置県で借金を回収できずに、その繁栄に翳りが出たそうです。

 

廃藩置県って、そんな影響もあったのですね。

と言っても、今でも悠々自適らしいです。今はお茶屋さん。奥様が有名なお茶の先生らしいです。通りの名前にもなっていました。

その先には鹿島家の菩提寺があります。ここは、米子では、垂涎の的的なお寺だそうです、鹿島家に加えて、後藤家、そして今の米子では一番力を持つ坂口家の菩提寺になっています。船越さんがナンバー2の会社のナンバー1は全て坂口家。

 

そのあと現在の坂口本宅を外から見ましたが、巨大でした。なんと昭和天皇も宿泊されたことがあるそうです。なんかもうスケールが違う。

観光ガイドのおじさんは、街の建物をなんでも文化財にしたがるのですが、この旧郵便局を文化庁の役人に案内したところ、流石に手を入れすぎていると却下されたそうです。確かに中はリノベーションしたばかりで、歴史的価値は?でした。

 

こちらが件の、坂口さんの昔の会社の社屋。

 

ところで、米子は地蔵信仰の強い街だそうで、ガイドさんが市内の地蔵を数えたところ、最低でも2003あったのだそうです。すごい執念。

 

こんな感じで、お札が貼られていて、亡くなった人がいると7日に一度、9回にわたってお札を貼る風習があるんだとか。閻魔様の裁きのタイミングと関係しているそうです。お札には享年が書かれていて、みなさん80-90代でした。

 

昔外堀だった部分に流れ込む、鴨川。ここで、町人と武家の住む世界が区切られ、また、あの世とこの世をわける象徴だったんだそうです。地名はいろんなところが、京都になぞらえられていました。

 

ここが一番人気のお地蔵様。咲くと書いて、笑うと読むのだそうで、咲い地蔵。

外堀の手前は水木しげる提唱の、河童ロード。河童伝説があるんですって。

 

水木さんはこの通り全体を河童ロードにしたかったのだそうですが、町が変わるとそこは桜とツツジの道。町によって思惑が異なるようで、そんな小ネタも色々披露してくれる、博識なガイドさんは最高でした。

 

普段何気なく見ている街も、こう言うガイドツアーに参加することで、見え方が全く変わってくるものですね。3時間で6000円。完全プライベートガイドですので、安いと思います。

 

最後はガイドさんが監修した

 

定価1,300円のこんな本までプレゼントしていただきました。

 

う、ちょっと重いかも…。