最近テレビは角界での賭博問題で持ち切り。コメンテーターが口から発するのは相撲に対する苦言と文句ばかりである。勿論、これまでの角界の常識は世間の常識とはかけ離れたものであり、批判の対象になるのはおかしくはない。また賭博の背後に暴力団がいる事も珍しくはない。そもそも江戸時代に町の火消し屋が、お祭りでの商業活動をする「的屋」や賭博を主催する「博徒」へと変貌を遂げ、それらの系譜を継ぐ者が暴力団として現在、主に活動している。ここでは暴力団の歴史と背後が主題ではないので省略する。

ここで改めて「賭博及び富くじに関する罪」、俗に言う「賭博法」を記す。
(刑法)第185条 賭博をした者は、五十万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。

「賭博法」という法律がある以上は法律に従うべきだが、コメンテーター達は賭博はなぜ禁止なのかを論じないのか。賭博法の目的にはギャンブルは堕落を生むという社会的法益に対する道徳的な配慮は殆ど無い。もし、その要素があるのであれば同様のパチンコや競馬、さらに消費者金融への規制は大変厳しいものとなっているからである。

競馬は農林水産省、競艇は国土交通省、競輪とオートレースは経済産業省、スポーツ振興くじ(toto)は文部科学省、宝くじは総務省という様に賭博が許されている公営のギャンブルは各省庁の利権である。また、パチンコは敢えて名前を挙げると「社団法人日本遊戯関連事業協会」という警察庁OBの天下り先が取り纏め役である。このように利権が絡んでいるのにも関わらず、それを追及せずに相撲界だけを批判するのは間違いである。

また、日本のパチンコ系の経営者の面々を見ればわかる通り、韓国人もしくは在日朝鮮人の人々である。彼らにはクリーンに日本でどんどんビジネスをして貰いたいと思うが、同時に北朝鮮や暴力団の資金源になっていることも決して忘れてはならない。韓国の李明博大統領が日本との首脳会談時にパチンコ業界への規制を緩めて欲しいとの要望をしたことはあまりメディアでは報道されていないがそういう事実もある。

イギリスやドイツではブックメーカーなど民間の賭博業者が存在し、ラスベガスのカジノも民間が営んでいる。日本だけができないというのはおかしい。

賭博自体が駄目なのではなく、利権が崩されるのが彼らにとって駄目なのだ。もし利権は全く関係ないというならば、日本にカジノ特区を作るなり、ギャンブルを開放するべきだ。この議論が数十年全く進んでいない現状を見ると、やはり利権を疑わざるを得ない。

最後に纏めとして、ギャンブル開放を自分は推進すべきだとは思うが、それは既得利権の除外が目的であり、自分自身がギャンブルをしようとは思わない。また、開放することによる法整備などは並行して国が進めていかなければならないと思う。国は規制をするのではなく、弱者を保護するだけでいい。

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パチンコ「30兆円の闇」―もうこれで騙されない/溝口 敦

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製品名、企業名や出演タレントを全面に押し出さないで、製品の特徴や企業の理念のみをCMに詰め込んだものでいいなぁと感銘を受けたものを集めてみました。動画を並べるため、負荷軽減を目的にデフォルトは小さく表示しています。大きくして見たい方はお手数ですが、動画をダブルクリックして見てください。なお番号は順位という訳ではなく、整理の為ですのでご了解ください。

①「WALKMAN 3000+1 project」[ソニー]
ソニーのWALKMANのCM。iPodなど他の音楽プレーヤーとの差別化を図る為に、歌詞が曲と同時に表示されることをPR。新垣結衣が出演しており、タレントを押し出しているとも一見思えるが、全面的で無い上にCMのイメージ感に彼女の雰囲気がうまくマッチしているために今回選んだ。TVでの放映が無かった様な気がするので、このようなCMを是非とも流して欲しかった。




②「A new dimension in TV」[サムスン]
サムスンの3DテレビのCM。3Dテレビとはただ浮き出てくるだけでは無く、それによって新たな感動や発見が得られるという主旨のもの。アイディアや理念は世界のどこにPRしても通じる内容だと思う。技術の件に関しては色々文句を書きたいことがあるが、今回は純粋にCMだけを評価した。




③「1月17日に生まれた命」[ナショナル(現:パナソニック)]
阪神淡路大震災から1年経った時に放送されたナショナルのCM。大地震の際、悲しみだけではなく喜びも生まれ、その子供達は今もしっかりと育っているというもの。人に焦点を当てていて「人を作る会社」を自負する松下電器を象徴するCMだと思う。是非ともパナソニックに名称変更したこれからもこの気持ちは持ち続けて欲しい。




④「15歳の君へ」[関西電力]
関西電力の阪神大震災後15年のCM。③のCMは地震の1年後なのに対し、このCMは15年と長い年月が経った後を追っている。震災当時の電気がついて歓声が上がるシーンを見ると、今明るいことは幸せと実感してしまう。電力会社の重要性がこちらにも伝わってくる。また15歳の少年少女達はしっかりと生きている姿を見て、自分は関西以外の人間だが、彼らをたくましいと思った。




⑤「小さな命の物語」[パナソニック]
ドラマ仕立てになっていて、製品のPRだけとは言えないが、しっかりBluRayとDIGAさらにVIERAを中に入れている。題名にもあるように、小さな命を大切にする姿勢は③のCM以降「人を作る会社」松下電器のDNAをしっかりと継承されていると勝手ながら思った。石橋杏奈が出演ということで、タレント色が出てしまっているともとれるが、このCMのイメージ感を崩していないので、今回選出した。




他にもいいCMが世の中にはあふれていると思います。そこでこのCMはおすすめ、または感銘を受けたというCMがございましたら、コメント欄に書き込んで頂くか、info@spazions.comまでメールください。次回選考の参考にさせてもらいます。


CM NOW ( シーエム・ナウ ) 2010年 05月号 [雑誌]/著者不明

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CMキャラコレ 2009 (TOKYO NEWS MOOK)/著者不明

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自分の研究室では約半数近くが留学生であり、国際色が豊かであるため、ゼミでのプレゼン資料や研究室内でのメールは原則全て英語。フランス、アメリカ、カナダ、イギリス、フィンランド、中国などそれぞれの出身国が違えど、英語が共通語だ。自分はまだまだ勉強不足で中学校で習ったレベルでの会話になってしまうが、自分の言いたいことが相手に伝わると本当に嬉しい。

企業で言えば、楽天は社内の公用語を英語にし、あと2年後に英語を話せない社員は全員クビという指針を立てた。またユニクロを展開するファーストリテイリングもほぼ同様。社会は英語を話せる人を求めている。

さて小学校から高校までの英語教育はというと、読み書きすることが主となっており、高校卒業したからと言っても、外国人と流暢に話せる人はほぼ皆無である。自分を含めた世代は小学校での英語教育は無かったが、今の小学生は英語の授業がある。貴重な数学や国語の時間を割いてまで、確保した英語教育の場なのに、社会に出たらその会話力は無いに等しい。

ではなぜ読み書き中心なのか。それは、明治以来、欧米の進んだ文明からより多くの知恵や知識を得る為に、英文を読む必要性があった。その為に、リーディングに力を入れてきた。しかし、日本が高度成長を迎え逆に世界に向けて発信していく立場に立った時、アウトプットが必要となり、それまで以上にライティングがより重宝された。それはセンター試験を始めとした、各試験でリーディングとライティングばかりが問題として扱われていることからもわかる。しかし、IT時代を迎えた今、論文の翻訳や映像の自動翻訳はGoogleやYoutubeなどの技術で応用されており、日々改善されている。そのため、文章に関しては言語のボーダーは消えつつある。それに対して、人対人のコミュニケーションはどうか。企業のグローバル化に加え、飛行機などの交通機関の発展によって、世界中を人々が飛び交い、人と人のコミュニケーションの機会は増えつつある。つまり今必要なのは、リーディングやライティングではなく、会話力なのだ。

勿論前者二つを否定しているのではない。会話をする上でも文法が必要なためとても大切であり、書類に関しては全てこれらの力が要求されるため、必要であることは十二分にわかっているつもりだ。要は日本はこれだけ英語の授業時間を割いているのだから、もっと話せるようになれということである。勿論、自分はまだまだ若輩者であり、人生のイロハも全くしらない者だが、今まで生きていた中で、リーディングやライティングで苦労したことは無い。辞書さえあれば、ある程度乗り越えられる。しかし、会話は瞬発力が必要となるため、辞書など使っている暇はない。

以上より、自分は少人数制で国際交流がてら海外の人とのコミュニケーションの機会(勿論全て英語しか使えない)を小学校時代から積極的に取り入れるべきだと思う。現状での日本のALTは授業内で正しい発音を教えたり、その国の文化を伝えたりといったことが多い。しかし、正しい発音や文化を調べる作業
はネットを利用すれば、直ぐに解決できることであり、ALTの必要性は感じられない。例え授業に必要でも大人数であれば、コミュニケーションではなく、所詮講義になってしまう。その為には、外国人を連れて来るのに、財源と労力が必要であるが、日本の将来のためへの投資と考えれば、安いものだ。

私立や積極的な公立の学校では既に取り入れられていると推測できるが、国策としてやらなければ全体の向上にはならない。少子高齢社会の日本では、英語よりも先に国語を身につけろなんて言っている余裕は無い。国語力も大切だが、ディベート力をつける授業をしろと言いたい。勿論文化と言葉を継承する上で国語は大切である。

結局、社会が求めているものに合わせて、教育現場も変わっていくべきだ。急ぐ必要はないとも考えられるが、小学校での教育課程を変えても小学1年生が大学を卒業するまで15年近くかかる。つまり、15年後の日本を考えてから、今何をすべきかを考えなければならないのだ。

最後に、偉そうに英語教育の大切さを言ったが、最初に書いたように自分の英語力は全然無い。だからこそ、自分を含め、これから社会の中心になっていく世代が頑張っていかなければならない。

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