お詫び
まぁ、前のブログに仙台に行くと書いてありましたが、仙台ブログのデータを消してしまって書き直していますが、先にこちらを書いた方がよいかなと思って投稿しました。すみません。あと、もう少しだけ時間をください。
大回り乗車をする
夏休みに入って、コンクールに出す作文を考えなくてはいけなくなり、そのネタ作りの為に大回り乗車をすることにしました。
ルートとしては仙台から仙山線で山形駅へ、山形駅から奥羽本線で米沢、福島駅へと進み、福島駅から180°方向転換をして、東北本線を下って白石、仙台へと帰るルートです。料金は190円です。
仙山線
切符を買って4番線へと向かいます。普通山形行です。南北線からの乗り換えに間に合わないかもと焦っていましたが、普通に間に合いました。
車両はE721系0番台と721系1000番台、通称さくら編成の4両編成。座席はめちゃくちゃ固く、長時間座るには座るには向いていません。優しい言い方をするのであれば、姿勢が良くなる椅子です。
10時16分たった一両につき数人の乗客を乗せて仙台駅を発車します。発車してものの数分で東北本線を離れて単線の高架区間に入り、「つ」状のターンをかまして東照宮駅へと入りました。
東照宮駅といえば踏切から見える仙台東照宮駅です。東照宮は古川で起きた大崎・葛西一揆を沈めた際に、監視しに来た徳川家康と伊達政宗が寄ったとされる場所です。
政宗の死後、仙台では無茶苦茶なほど厄災が発生しました。それを沈めるためにちょうど青葉城から北東に位置したここがちょうど良いとされ、建設されました。
夜の江戸時代から日が昇り明治時代へ。明治政府が幕府の遺産の一つである東照宮を当然管理するはずもなく、一時は荒廃しましたが、氏子のおかげで現在は活気を取り戻しています。
実際に前に一度ここの祭りを訪れたことがあるのですが、清掃員のおっちゃんが氏子らしく、いつも朝からここの清掃をしているそうです。また、地元の子供達も訪れており、かなりの頻度で参拝するそうです。地元民のなじみ深いものなのだなと思います。
北仙台駅で交換をおこなったのち、北山駅に到着しました。
ここで昔私はクリスマスの時に一人で鉄道写真を撮ていましたね。電車から降りてきたのは基本的に今日も働かせてられた社畜か若い大学生のカップルでしたね。あぁ、なぜか目から水が滴ります。
北山駅からは車窓には緑しか映りませんが、地図を見ると辺りには住宅地が広がっているんだぁ、と素朴なことしか考えていると電車の無機質な声のアナウンスで東北福祉大前に到着したのを知ります。
私が岩手県の花巻温泉にて宿泊したホテルのサウナでの出来事を思い出します。サウナでゆっくりとしていると力士らしき体格をした大学生が入ってきて、話かけらました。どんな会話をしたかはもう出てきませんが、そこで仲良くなった記憶はあります。そんな彼は確かこの大学にいたはずなのですが、元気にしているでしょうか。
電車はさらに次の国見駅に到着しました。国見駅といえば仙山線の快速電車の停車駅ですが、実は私が仙台に来た頃は確か快速電車が3パターンあったんですよね。(A,B,Cみたいな感じ)ですが、去年のダイヤ改正でパターンが一つのみになったんですよね。時と場合によって使い分けれたので少し残念です。
単線ホームの葛岡駅を出て林の中を走行していると、下の方に道路が現れます。北環状道路です。この道路は主に八乙女あたりから使う人が増えて中山を通り、短時間で愛子方面まで行ける超便利な道路です。とくに電車だと一回南下をしなければならないところ、これで一気に近づけれるのはでかいですね。
広瀬川を渡るとこちらも愛子の一歩手前、陸前落合に到着します。この陸前落合と愛子は仙山線の中でも利用者が多い駅で、こちらも無論、快速列車が止まります。団地があるあたり、昭和のイケイケのころに建設されたのでしょう。ここで乗車していた乗客の半分ぐらいが下車しました
さらにその次の愛子駅ではそれと同等の乗客が乗車してきました。登山姿だったので山寺付近で下車するのでしょう。
熊ヶ根駅に行く途中では熊ヶ根橋が見えます。朱色に波頭を立てる川の渓谷は大変美しいです。
ここから電車は一気に需要がない区間へと入り、山の方へと目指します。車窓から見える景色は山、森、時々うつる農家の家。
車窓的に映えることない景色が流れていると、到着するのは作並駅。
2面3線の快速停車駅です。作並駅といえば東北民で真っ先に出てくるであろう作並温泉。地下鉄南北線仙台駅を使う人は恐らく一度は作並温泉の看板を見たことがあると思います。
とはいえ、この作並駅から作並温泉の温泉につかれる施設は遠く、基本的にバスが一時間に一本出ています。もし、ここの温泉に浸かりたいのならば車をおススメします。
作並駅を出ると南にぐるりと周り、奥新川駅へと急な坂道を進みます。奥新川駅手前のカーブでは車両の先頭部分が見えるほど急であり、鉄オタとしては非常に興奮します。
奥新川駅に到着しました。奥新川駅は宮城県の鉄道駅の中で最も西に位置しており、仙山線の宮城県区間の中で最も標高が高い地点にある駅でもあります。また、こんな山奥で利用者もあまりいないというのに二面二線のホームとなっています。ですが、一応駅の改札を出てすぐのところに集落らしきものがあり、一応利用者もいるみたいです。
奥新川駅を出ると再び急激な坂を上っていき、山形の県境を目指します。
電車は仙山トンネルに入り、山形県へと足を進めます。
仙山トンネルが建設され始めたのは関東大震災の後。採算性があるとされた仙山線は現在も使われているこの仙山トンネルの建設に取り掛かります。
宮城県側の工事は順調に進み、予定時間の短縮にも成功します。一方山形側は工事が進まず、工事の足を引っ張ります。さらに、このトンネルの建設中に6人が殉職しています。
そんな屍を築いてできた仙山トンネルは必ずしも良いトンネルとは言えません。路面はバンピーで跳ねまくるし、フランジの削る音が反響して不気味に聞こえます。小心者の私はボックスシートの端で震えていました。
そうやって震えていると車内放送で、もう間もなくで面白山高原駅に到着することを告げました。
トンネルを出るとすぐに電車は面白山高原駅に到着しました。一面一線の簡素な駅ですが、辺りには景勝地や遊歩道があり、一応北海道のような辺り一面森というわけではないようです。
電車は面白山高原駅を出ると、山形に行く時とは打って変わって坂道を下りながら山形盆地へと進んでいきます。
電車は高架区間に入り、山寺の地を見下ろします。
山寺駅に入線します。この山寺駅では登山客が数人下車し、恐らく、山寺を上ると思われます。歴史的にも名高いこの山寺の地を電車はあっさりと発車し、急ぎの様子で羽前千歳駅へと進んでいきます。
山寺駅という山形盆地の端の方から高瀬駅、楯山駅と足踏みをしながら山形盆地へと入り、羽前千歳駅へと進みます。
山形バイパスをくぐり、左へとRを描けば仙山線の中でもゆかりがある、羽前千歳駅に到着します。
この羽前千歳~山形間を仙山西線とされていますが、当時、仙山線は羽前千歳駅から分岐する形での計画がありました。しかし、山形の住民としては山形市街地の東側を通してほしいという声がありました。計画が決まった際にもその声は途絶えず、結果的に鉄道省に仕事をぶん投げられる事になりました。
そんなことがあったこの羽前千歳駅ですが歴史以外にも面白いものがあり、この羽前千歳駅には山形新幹線が通るのですが、新幹線による標準軌と狭軌が平面交差をする全国的にも珍しいところがあります。
羽前千歳駅から山形盆地の中心地へと入り込み、周りにも、建物が増えていきます。
電車は奥羽本線の区間を走行するために中途半端に都会にそまったE721系の足にはぴったりなのか、絶好調に飛ばしていき山形駅へと電車は進んでいきます。
電車は北山形駅に到着します。一見奥羽本線と仙山線の駅なのかと思っていましたが、奥を見ると何やら別の駅舎が見えます。
左沢線のホームです。左沢線は天童市の西側にある山形盆地の西の端、左沢駅を結ぶ路線です。使用車両はキハ101形が使用されます。愛称としてフルーツラインという名前をもっています。ちなみに読みは「あてらざわ」です。
北山形駅を出ると右にどぶのような色の堀と城が見えます。山形城です。山形城はみんな伊達政宗を生み、一説としては政宗を殺そうとした義姫の家が収めていた最上家の城です。
最上家の先祖には天童家います。天童家は一度先ほども触れた山寺を燃やしているとんでもねぇ奴がいます。
電車は山形城を過ぎると、もう間もなくして終点の山形駅に到着します。車両が留置されているところには電気機関車のED75が左沢線のキハ101形が牽引された状態で留置されていました。
対向ホームには左沢線が止まっていました。