こんにちは、nori-t-luckyですニコニコ

先の2回の記事ですが、たくさんの方にご覧頂きとても嬉しいですおねがい

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今日は以下の2つの記事について、仲人さんと綿密に話し合って出した反省点についてお話ししますニコニコ


これらの記事を要約すると、相談所で知り合い、約半年交際した女性とゴールデンウィークにデートをしましたが、なぜか元気がなさそうな様子でした。


仲人さんの耳に入った情報を整理すると、私がたった一度のデートで「冷たい」「清潔感がない」「ケチ」の女性が嫌がる三要素をやらかしてしまったために、交際終了となってしまったというお話ですショボーン


なぜこのようなことになったのか?私はそこに「認識のズレ」があったと考えます。


はじめに

今の相談所で婚活を始めた時、仲人さんは男女の婚活においての意識の違いとして「男は蛍光灯のオンオフ、女は複雑な配電盤」という例え話を教えてくださいました。


その心は「男性は好きか嫌いかの判断がシンプルである一方、女性は様々な要素が絡み合って好きか嫌いかの判断が変わってくる」というものです。


私はこの話は理屈としては理解していましたが、実際に事実と照らし合わせて反省してみて腑に落ちた気がしています。


今回のケースは先に述べた通り、女性の嫌がる三要素を満たしたから嫌われたというのが仲人さんの見立てですが、私はこの事実と「女性の思考は配電盤」というところが今回のポイントと考えます。


なお、今日は「男」と「女」を全く違うものと仮定してお話しするので、「あくまでそういう傾向がある」とご理解頂ければと思います。


「男らしさ」「女らしさ」は今は言ってはいけない言葉ですが、やはり恋愛という場面において無視することのできない差が生まれている以上、上記のような仮説に基づいて考察したいと思います。


①好きと嫌いの認識のズレ

今回の経験から、私は「男性は事実に感情を整合させ、女性は感情に事実を整合させる」傾向にあるのではないかと感じました。


例えば、私はお相手の女性に対し、「半年も交際している」、「いつもお相手からお誘いがある」、「一緒にいて楽しい」などの事実からこれが「好きという感情だ」と結論づけました。

なので同様にお相手の「好き」も揺るがないであろうとたかを括っていたのかと思います。


一方のお相手は、詳細は今となっては知る術もありませんが、デート前までは「好き」に近い感情を持っていたのではないかと思われます。

しかしながら、「冷たい」という私の意外な一面を見たタイミングで、「嫌いかも」と真逆の感情に切り替わってしまい、後に続く「清潔感」や「ケチ」と言った今までは目を瞑れていた行動事実が「嫌い」という感情を増幅させてしまったのでしょう。


そして私はお相手の「嫌い」の感情が芽生えた瞬間を見落としているので、デート中にリカバーをかけることができなかったと思いますショボーン


②きっかけとなった「冷たい」の認識の差

なぜ私はこのサインを見落としたのでしょうか?

ここの考察には、少し私の人格形成を交えて話したいと思います。


私は父、母、姉の4人家族で育ったのですが、父は口数が少なく、母はとにかく気が強い、という家庭でした。


また、姉も文武両道で隙がなく、母と同じく気が強い性格なので、幼少期から強い女性を標準として認識していました。


よって、女性に対して「か弱い」というイメージを全く持っておらず、「優しい物言い」というものが習慣として身についていないのかもしれません。


なにせ、身内の女性が1言えば10反論が返ってくる人達なので、1言ってシュンとしてしまうという反応には慣れていません。


加えて、①で述べたように、私は女性の「好き」が急に「嫌い」に変わるという意識が欠けていたため、ここが大きく流れが変わってしまった瞬間だと思います。


③「奢る」ということの認識のズレ

私はいわゆる「奢る奢らない論争」はカップルの数だけ、もっといえば人の数だけ正解があると思うので、この手の議論は不毛だと考えています。


しかしながら、仲人さんとも色々お話しして、「デート代は全て奢るとデートの成功率が上がるから基本戦略としよう」という結論に至りました。


なぜここに認識の違いが生まれたのかについてはもう少し掘り下げてみたいと思います。


念のためもう一度言っておきますが、「奢り」と「割り勘」のどちらが「正しい」かは人の数だけ結論があるので、ここでは認識のズレに焦点を当てて述べます。


まず、①で述べたとおり、私は強い女性に囲まれて過ごしました。

また、母はかなり強烈なフェミニストだったため、女性を対等、もしくはそれ以上に扱うというのが私の意識に染み付いていたと思います。


私の認識では「奢る」という行為は庇護する対象にするものであって、経済的に自立し、社会的な地位を確立している女性にとっては失礼にあたる行為だと、ずっと認識していました。


実際に私は何名かの「毎回奢られるのは嫌」という女性に遭遇しており、奢りと割り勘は半々くらいで適度に混ぜるというのが最適解と考えました。


この話を仲人さんにしたところ、婚活においてそのような性格の女性は少数派だと助言されています。


一方のお相手の女性は、仲人さん曰く「普通の女の子らしい性格」ということでしたが、私は当時、「普通の女の子」がなぜ「奢ってほしいのか」を理解していませんでした。


以前、お相手の女性から「私は誕生日とか特別な日はご馳走してほしいので、結婚後もそんな関係を築けたらいいと思っています」と言われたことがあります。


これはお相手の女性が「たまに割り勘にされるので、大事にされていないのかと不安になる」と仲人さんに相談した時に、このように私に伝えれば良いとアドバイスをされた結果だったそうです。


そして、さらにここにも認識のズレがあったのですが、私は「特別な日」を額面通り「年に数回しかない日」と解釈していたのですが、いわゆる「普通の女の子」は一回一回のデートが「特別な日」であり、「デートで奢ってくれない」のは「誕生日にプレゼントがない」くらいのショックということなのでしょう。


女性の名誉のために補足しておくと、女性は「ご飯をご馳走になったらお茶代をご馳走して返す」という考えを持っており、言うなればプレゼント交換のイメージで「奢る」という行為を捉えているようです。


一方の私は「経済的な対等性」に基づいて判断するため、金額を半々、端数はこちら負担が妥当と考えていたので、「プレゼント交換」という楽しみを「そろばん勘定」という味気ないものに変えられたように感じさせてしまったのでしょうね。


以上のように、「奢った奢らない論争」の本質は「奢る」という行為に対する意義づけが人によって異なるというところであり、その本質に触れずに論争を起こすので、半永久的な平行線の議論が繰り返されるのだと私は考えます。


もちろん、私は好きな女性を悲しませてまで歪んだフェミニズムを貫き通す気はありませんので、結論として、まずは「多数派である奢ってほしい派」に合わせた対応を取るよう心がけるという結論に至りました。


最後に

仲人さんとお話をし、以上のように今回の失敗を考察しましたが、仲人さんからは「女性への対応は世の婚活男子は皆間違い、そして苦戦するのだ」と励ましの言葉を頂きました。


もちろん、女心を完全に理解して、完璧に対応できればよいのですが、人は誰しも間違えるものです。


もし間違ってしまった時のために、仲人さんは「女の子の表情が曇ったら『どうしたの?気になることがあったら遠慮なく言ってくれると嬉しいな』と優しく言ってあげてほしい」というアドバイスをくださいました。


当時この方法を知っていれば、もう少し違った結果になったのかもしれませんが、痛い授業料を払って私の中で今回の件が1つのストーリーとして腑に落ちたと思います。


女性慣れしていない私のことなので、当分はこのリカバリー手段に頼ることになることになると思いますが、少しずつ正解に辿り着ければと思いますニコニコ


今日はうって変わってシリアスな論調になってしまいましたが、また気を取り直して面白い記事を書いていけたらと思います爆笑


それではまた、お会いしましょうパー