何がどこにあるのかわからないくらい物に埋もれながら、そしてどなたに何をどこまでお話できているのかわけがわからなくなりながら、、



離婚というものもそうですが、物事、始める時はよくてもやめる時にすごくパワーがいるというのが通説で、それはそうだろうと思っていました。


でもそれは、それ自体を悩んでいる最中のことが多いからなのかもしれません。


実際福島スタジオを続けてきたのも、「どうせ倒れるなら前のめりに!」という謎の心意気でやってきて、やめられない、やめたらダメだという、周りからは「意固地になっているだけじゃないか」と指摘を受けながらでした。



それを今回、ふと自身の離婚のことを思い出してみても、「離婚は大変よ」と散々いろいろな方のそれを見てきて覚悟して挑みましたが意外とすんなりだったかも…とも思いました。


もちろん感情の起伏は起きましたけども、私は離婚しようと思い立って実際実行するまでに10年、その間に十分悩み抜き試行錯誤し、それでも離婚しか答えが出なかったので、迷いがなかったですし、苦しかったけれど結果、元夫からも後で離婚してありがとうというようなやり取りが起きたくらいなので、そういう形もあるのかな…


などと今更ながら、自分のこれまでと今回のことと重ねていろいろ考えてみています。



私も、「柔軟な頭を、想像力を」と唱えていても、やはり年々、世の中?自分の中?の「こうあるべきに違いない」とか「こうでならなければいけない」とかいう考えに囚われがちです。



そして、自分のやっていることに自信が持てないというか、伝えられているかというところが不安でした。


絶滅しそうな?モダンというものにこだわって、気づいたら周りに誰もいない、という変な覚悟?想像?もついしてしまいます。



だから、福島スタジオクローズをお伝えして、ただただ、自分の力不足に申し訳ない気持ちと、一方で、突き放してでも他のところへ向いてもらうのがきっとよいのだという、諦めなのか何なのかわからないですが、そういう感情もあって、誠意を持ってはするものの、淡々と?素っ気なく?事務的にしなければと思っていたのです。


でも、子どもたちから、「レッスンやりたい!」と真剣に言われて、この思いを無下にはできないと思わされました。



後から来てくれた初期メンバーの子からも、「ここしばらく泣いたことなかったのに、閉めると言われた時久しぶりに泣いて、自分でもびっくりした」ということ、


貸していた稽古着を返しに来てくれたけど、今日の出来事などを話したら彼女なりに少し考えた風で、「レッスンできる時にすぐ行けるように、やっぱりまだ借りておく」と言って、


そして「先生が60歳くらいになったら行ってあげる笑」といつもの彼女らしい憎まれ口をききながら、足取り軽く帰る様子を見て。



私もまだまだ、まだまだ浅いなぁと感じさせられました。







江口にとって大人の舞踊団ありきで、そこに子ども部(私の時は子ども科と呼ばれてましたが)がおまけ的にあって。

スタジオ閉めて大人だけにと周りから勧めてもらってどこかしっくりこなかったところがあるのですが、そこなのかなぁと思いました。

私がジュニアメインでプレクラスをやり出したように。

そこでそのまま繋がるかわからないけど、触れてもらう場というか。


度々、「海外での幼少期のバレエは教養であってガッツリではない」ということを人に説明しながらも、やっぱりどこかで、教室教室しなきゃいけない、というのがあったのかもしれないです。

それがあったから、今いる子たちが将来的に十分なレッスン時間を取れなくなる、私1人では教えきれなくなる、ということを懸念し、閉めた方がよいと結論したわけです。


でも私が一番、江口モダンにこだわり続けている理由ってなんだろうと考えると、まだ学生でいろんなことで悩みまくっていた時期に、とにかく踊るということだけが共通言語・共通目標みたいな中で、様々な年齢・職業・立場・環境の人たちと共に切磋琢磨できたことだと思うのです。

何にも続けてこれていない(趣味にしても仕事にしても、あるいは結婚生活とか諸々…)の中で、本当にこれだけ続いてる、やめても戻ってきてしまう、そういう存在なのです。


私自身で完成・ゴールが見えていないからというのもあるのかもしれません。

まだこんなこともできる、あんなこともできる。

やってみたいことはたくさんある。

今だって、次に取り掛かろうとしているのは、不相応な大作で、物を片付けている時にも関わらず本まで取り寄せて。


それでももちろん、離れてしまえばそこまでこだわるものでもなかった、というのも十分あり得ます。

離れても戻ってきてしまうものというのがやはり大きい存在で、それが私は踊りだったというだけで。

他に離れてそれっきりのものもたくさんありますから。


願わくば、子どもたちが、離れてでもまたやってみたいと思えることに出会えますように。

そして、その中に何人かでも、その離れてでも戻ってきてしまう“心から求めるもの”が踊りだという人が、出てきてくれたらいいな。

私がおばあちゃんになって踊れなくなるくらいまでに。


だから、今は生徒さんたちにモダンはこういうものなんだと見せられるような作品を作りたいです。