明治維新の学習モデル | きみが輝く時

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1874年までに明治政府は、「廃藩置県」「徴兵令」「地租改正」「学制」などの政策を行ってきました。これらの政策を中心になって進めてきたのが、大久保利通です。

 

大久保は、これから進めなくてはいけない政治を、こんなふうに考えていました。

 

「私たちが進めてきた政治のおかげで、日本は、外国に植民地にされずにすんだ。しかし、まだその力は弱い。このままでは、とてもイギリスなどの強い国と対等につきあっていくことはできない。これから、やらなくてはならないことは、イギリスのように、日本を工業の国にして貿易を進めることだ。そして、もうかったお金で、国民の生活を豊かにし、イギリスと同じくらい強い軍隊を持つことだ。」

 

この考えには、そのころの政治家のほとんどが賛成でした。しかし、その政治をどうやって進めるかで、意見が2つにわかれました。

 

あなたは、次のA・Bどちらの考え方に賛成ですか

 

 

(A)の考え方

そのころ、「日本も今すぐイギリスのような国民の選挙で議員を選び、国民によって選ばれた人々が政治を行う、民主主義の国になるべきだ」という考えを持つ政治家がふえていました。

 

板垣退助・江藤新平・後藤象二郎たちは「国民のために国を作ったのだから、国民の考えを政治に生かす仕組みを作るのは、とても大切なことです。そのためには、イギリスのような議会政治をお手本にして、選挙を行うべきだ」と考えていました。

江藤・板垣・後藤の考え方は、当時、大変進歩的な考え方でした。3人が進めようとしていた政治は、現在の政治の進め方と同じようなものです。

 

 

(B) の考え方

大久保は、(A)の考え方には反対でした。どんなに正しい仕組みでも、今の日本がすぐにまねできるとは考えられなかったのです。

「国の土台ができたばかりの日本には、リーダーが強い力で、国を引っ張っていく政治がいいのだ」というのが大久保の考え方でした。その理由を大久保は次のように言っています。

 

いま進めなくてはならない政治の大目標は、日本をヨーロッパの国々と対等な国にすることだ。それは決して簡単なことではない。国民に大きな苦労や我慢を、お願いしなくてはならないような政治だからだ。

 

しかし、鎌倉時代から数百年間も武士に支配されてきた日本の国民には、日本が自分たちの国だという気持ちがまだ弱い。日本の政治が、いま何をしなければならないかを、理解している国民は大変少ない。

 

まして、そのために、自分たち一人一人にも責任があると考え、国全体のことを考えられる国民は、ほとんどいないと言っていいだろう。

 

このような国民の意見を今すぐ政治に生かす仕組みを作るのは、国のためにも国民のためにもならないのだ。

 

今、何をしなければならないかを、一番理解している私たち政治家や役人が、リーダーとなって政治を進めるのが、今のところ一番いいのだ。

 

 

あなたは、A・Bどちらの考え方に賛成ですか