はしぐちのりこです。

 

 

月曜の朝からこんな話で恐縮ですが笑

 

でも大事なことだと思うので

 

書きます。

 

 

 

毒親という言葉が嫌いでした。

 

 

 

 

 

でも「認める」ことから

 

始められることがありますニコニコ

 

 

 

「機能不全家族」という言葉があります。

 

一般的に家庭に存在すべきとされる機能が

 

機能していない家庭のことを指します。

 

 

虐待やネグレクトで養育環境が崩壊し

 

子どもの精神発達が健全になされない状態。

 

その結果

 

大人になったとしても

 

他人との関わりのなかで

 

生きづらさを常に感じ

 

安心感を得ることができない状態です。

 

 

私がこの言葉を知ったのは

 

20代後半のとき(たしか)。

 

この言葉はすんなり受け入れられたんですよね。

 

あ、自分の家庭は機能不全だったんだな、と。

 

 

なのですが、その後数年して出てきた

 

「毒親」という言葉は

 

どうしても受け入れがたいものがありました。

 

※「毒親」は一種の比喩表現であり、学術用語でも医学用語でもありません

 

 

 

カウンセリングでお話を伺っていても

 

同じ感覚の人が多いと感じます。

 

 

そういう家庭で育った自分が

 

もはや当たり前なので

 

(他の家庭と比較することもそうそうないので)

 

結構ひどいことをされていても

 

自分の親が「毒」だとは

 

思っていなかったり。

 

でも本人はなぜか生きづらい

 

 

 

もしくは

 

自分の親が毒親だと

 

うっすら感じているものの

 

認めたくなかったり。

 

 

思えれば楽なのだろうな、と

 

頭ではわかっているんですよね。

 

 

でも思いたくない笑。

 

思ったとしても

 

親のせいだと思い続けるのは

 

苦しいのを知っているわけです。

 

(被害者でい続けるのは苦しいので、当然の感情です)

 

 

 

だから

 

そう思うよりは

 

「やっぱり私がダメなんだよね」

 

「やっぱり私がダメだからこうなったんだよね」

 

 

【自分に責任がある】という考え方に走ります。

 

 

まあ、虐待という構造自体

 

親である私が上で

 

子どもであるあなたが下という

 

親の勝手な意識の下でなされますからね。

 

 

子どもにしてみれば

 

【自分はダメ】が

 

がっつり入り込むワケです。

 

 

 

 

 

どんな親の元に生まれたとしても

 

大人になったら

 

人は自分を再教育できます。

 

 

もちろんこれも本当で

 

私もそうお伝えすることはあるのですが

 

 

そうすると今度は

 

「自分で再教育できるはずなのに

 

 いつまでも

 

 そこから抜け出せない私がダメですよね」

 

と、自分を責め始めるわけです。

 

 

 

先程申し上げた

 

こどもの頃の立ち位置

 

ネグレクトだったり

育児放棄だったり

虐待だったり

感情のはけ口だったり(←わたしはこれ)

 

での

 

【自分が下】という立場での

 

コミュニケーションの仕方しか知らないので

 

そこが安定状態になっているのです。

 

 

どんなに自分を再教育しようと思っても

 

その関係性でのコミュニケーション方法が

 

慣れているので

 

そこから出るのに

 

とてもエネルギーが要ります。

 

安定状態から抜け出すのって

 

心理的抵抗も伴うため

 

そんなにしんどい思いをするならば

 

そこに居続けようとしてしまうわけです。

 

 

 

その最大の要因は

 

社会的に私達にかかっている呪いにあります

 

 

 

「親は大事にしなければならない」という呪い。

 

「親を敬わなくてはならない」という呪い。

 

 

大事にしたいかしたくないか、ではなく、

 

そうせねばならないという

 

社会通念。

 

 

 

親孝行が当たり前。

 

そうできないひとはクズだという

 

社会的な同調圧力さえありますよね。

 

 

 

この呪いが故に

 

自分のされてきたことを

 

虐待と正当に捉えることができなかったり

 

毒親と”客観的に”判断すること

 

= ”自分の心を守ること"を

 

阻んでしまうのです。

 

 

 

たまたまなのですが

 

この方のこの動画を観ていて

 

私も自覚しました。

 

 

ああ

 

子どもの頃に体験したあれは

 

やっぱり

 

虐待と呼べるものだったんだ、と。

 

虐待認定されるべきものだったんだ、と。

 

※リンク先の動画は強い表現も含まれていますのでご注意ください。

 強い言葉ですが、一部は正当な考え方だなあと思うところがあり、

 リンクを貼らせていただきました。 

 

 

 

生まれて最初に出会った

 

大人(親)とのコミュニケーションが

 

あんな感じで

 

デフォルトだったのだから

 

 

大人になってからの

 

人とのコミュニケーションの中で

 

苦しい部分が出てきたり

 

他の人みたいにすんなりいかなかったり

 

変なところにこだわったり(←これ私)

 

逃げたり、回避したり、(←これも私)

 

過度に不安になったりしても(←これも私)

 

当然だよね、と。

 

 

もちろん

 

それも笑えるようになれば

 

ただの個性となりますけどねウインク

 

 

 

親のせいでこうなってしまった!と

被害者意識を持つのではなく

 

私が悪いからこうなってしまったんだ・・・と

自責に走るのでもなく

 

ただただフラットに受け止める。

 

 

 

あんなコミュニケーションを

 

幼少期にずっと受けていたら

 

あなたでなくても

 

同じようになっていたはずなのです。

 

 

 * * *

 

 

親を愛しましょう、とか

 

認めましょう、とか

 

許しましょう、とか

 

そんな言葉もよく語られます。

 

 

それも真実です。

 

 

 

でもそれは、

 

自分の経験を

 

フラットな感覚で認めることができたその先の話。

 

 

それができていないのに

 

許そうだの

 

愛そうだの

 

まだしなくていいです。

 

 

 

被害者でもなく

自責でもなく

ただただフラットに

 

あれは虐待だったのか、と認める。

 

だからこんなに苦しくて当然なんだと、認める。

 

 

あなたが悪いわけでも

 

あなたの努力が足りないわけでもないのです。

 

 

 

 

* * *

 

 

その上で

 

じゃあこれからどうする?を考えましょうよ。

 

 


こんな私でも仕方ないよね、と

 

諦めて受け入れて

 

生きていくのでもよし、です。

 

 

だったら自分を変えたいなあと

 

自分のやりたいことを

 

少しでもやってみる、でも、よし、です。

 

好きに選んでいいのです^^

 

 

 

 

なんだか熱が入っちゃいました。

 

土日にずーっと考えてたからね笑。

 

まずは認める勇気を持ちましょう。

 

はしのんでした。

 



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