とりあえず検査は一通り、終了。
(正確にいうともう一つあるけど)
いわゆる本態性、家族性の高血圧であって、他の原因はなさそう。
処方した薬も効いてきている。
ということがわかったので、医師もまぁ一安心(?)したようす。
あの超絶クールな声で脅されていたわたしはちょっと、拍子抜け。
「じゃあ、一ヵ月後にきてくださいね♪」
って妙に軽やかな声。
もしかして彼女も緊張してたのかな・・・。
後はとにかく服薬して血圧をコントロールするだけである。
突然死とか、脳血管障害とか、そういったリスクは
血圧のコントロールによってかなり回避できる(はず)。
わたしの座右の銘は「なるようになる」だけれど、
「死なない程度に生きる」ことも大事だな、と思った。
といっても、
人は生きるために生きることはできない。
でも、一杯のコーヒーのために生きることはできるだろう。
必要なのは、希望だ。
今回なんとなく、父の気持ちを少し理解できたような気がする。
人は何より「わからない」ことで不安が増し、怖れに縛られるようである。
だとすれば、「自分がわかるように」すればいい。
それだけの話なのだけどー
どうやら人は本能的に、良いことは知りたいが悪いことは知りたくないらしい。
じぶんがそうなってみてわかった。
「悪い話を聞きたいかって?」
そりゃ聞きたくないに決まってる。
まぁそれでも、わからないことの不安や恐れよりは「マシ」
それに、じぶんで考えたり判断することを阻害するような「わからない(状態)」は
わたし自身、じぶん自身の尊厳を損なうことだ。
悪い話を聞いてキブンが良くなる人はいない。
キブンの悪い話はしたくないし、聞きたくないよね。
でも、それじゃだめなんだ。
父はさいごまで神頼みと医師頼みで、
病気にも、家族にも、じぶん自身にも向き合えなかった。
といっても、そんなの急にできることじゃないんだろうね。
ふだんから、じぶん自身に向き合ってないと・・・
それにはレッスンが必要?
そう向き合うのは、じぶんだけじゃなくて、
たいせつな人も、かもね。