6年ぶりに実家に帰省してきた。
実家は実の家と書く。
それは生まれ育った家?ほんとうの家をさすのだろうか。
そこは父の実家でわたしもたしかに何年か住んだけれども、
その家での暮らしはつねに悲しく、さみしい、争いと憎しみと混乱があった。
都会育ちの母は、この田舎の家で、ストをおこした。
(母の前にここにいた父の弟の奥さんも心を病んだ)
この家で、わたしもストライキをおこした。
自室にひきこもり、本を読み、妄想した。
こわせ、こわせ、こわせ。
あらゆる秩序、制度を、破壊せよ。
この家を、まちを、爆破せよ。
何度も引越したり転校したりながら育ったわたしは
合理的な理由のない、物理的でさえもない
「抑圧」という、えたいのしれない「力」を憎んだ。
たとえば、それはこんな感じだ。
広い家の中に目に見えない線がひかれていて、
向こうと、こちらを隔ててる。
そのボーダーは目に見えないが厳然としてある。
それは比ゆなんかではなく、
誰かが広いこの家に共存しようとして失敗するたびに
「家」にとりこまれそこなった他者が
何度も線をひき、ひきなおすのだった。
わたしは抑圧の象徴であるこの「家」を憎んだ。
苦しみの元凶であるこの家がなくなれば、
もうだれも線をひくことはない、その必要もない。
わたしはこの「家」と密接につながって、
網の目のように支えている、このまちも憎んだ。
この家を、まちを、爆破せよ・・・。
そんな妄想を抱えたまま、
この家を、まちを出て行ったわたしにとって
新幹線をおりたとたん、
飛び込んできた風景は衝撃だった。
高架の新幹線ホームから、見下ろした駅前ー。
その駅のどまん前に、
巨大な「穴」がぽっかりとあいていたのだ。
むき出しになった土の中に石垣がつらなっているのが見える。
なにか建物でもあったのだろう・・・
瞬間、わたしは『戦場』の風景を想像した。
駅前にミサイルでも飛んできたのか。
巨大な穴のまわりはたいへんな人だかり。
穴の真ん中でヘルメットをかぶった人がマイクで何か説明してる。
妄想でも空想でもない、これは現実だ。
デパートやホテルの立ち並ぶ駅前に、
ぽっかりとあいた「穴」
集まってきた人々は穴のまわりで何を考えているのか。
もちろんそれは爆弾が落ちてできた穴なんかじゃない。
ただ、駅前の地下道を整備しようとして巨大な遺跡が出てきただけだ。
でもわたしは、過去から発射されたミサイルが、
地上を突き抜け、まちのど真ん中を破壊したのだ、と思った。
これは過去からの復讐、テロだと思った。
わたしの妄想は、想像を超えて現実になった。
あぁ、なんて愉快なことだろう!
その石垣はお城の外堀でそこは船着場なのだった。
海と陸の境界はその後もつづく大規模な埋め立てによって
痕跡もなく駅周辺から消え去っていたのだが、
今再び見事な石垣として姿をあらわした。
いま、まちのひとたちは、
石垣を取り壊さず遺跡を生かした公園をつくる派と、
ロータリーなどの駅前整備をすべき派とに二分しているらしい。
あの遺跡は過去から落とされた爆弾なのだ。
誰一人、傷つけることもない・・・しずかな爆弾。
こんな駅のまん前に、過去と現在、未来につづく「穴」があいている。
もっともっと掘って、どこまでも掘って、掘りつくせ。
それは、過去の未来のどこにたどりつくのだろうー。
あぁ、なんておもしろい!
実家へむかう重い足がすっかり軽くなった。
あの巨大な「穴」が、
わたしの心にあいた穴を埋めてくれたみたいだ。
今、このタイミングで実家に行く・・・
もしかしてなにか意味があるのかもー
「穴」を見ていて、ふと、そんな気がしてきた。