注:倒壊した建物などの写真を掲載しています。

写真は地元の方のアドバイスのもと撮影しています


2024年6月9日


ライブで訪れた富山を離れる前に、今回立ち上がった能登半島地震被災者支援プロジェクト「イート・アンド・ジャズ for 能登」メンバーのご夫妻(奥さんは元ジャズクラリネットの生徒)とともに能登半島の状況を視察して来ようということなりました。もちろん、地元の方々から集まった情報に基づき、どこまで行けるのか、行ってよいものなのかを精査しましたが、富山側の関係者は一様に「ぜひ行ってみてください」と、僕の背中を押してくれました。



出発地の富山県氷見市街も、一見まったく平穏な日常を取り戻せているかと思いきや、街のいたるところに震災の爪跡がなすすべなく放置されており、身がすくむ思いでした。


ニュース番組でも度々報道された氷見の酒屋。これで死傷者が出なかったというのが信じられない。6月3日の地震でさらに倒壊が進んでいるらしい。


保存されていれば歴史的建造物であったに違いない醤油蔵。日常を取り戻している町並みに突如こうした風景が現れ、息をのむ。


午前8時すぎに氷見市を発ち、車で国道470号(能登半島の東側を回るルート)で石川県に入り、まず七尾市に寄りました。街中を歩くと、富山県内で目にしたものよりも被災状況がさらに厳しいものであることは明らかでしたが、すでに様々な演奏会やアートイベントが復興のシンボルとして力強く動き始めていることもわかりました。


七尾の市街地は氷見以上に傷んでいる印象。震災から5ヶ月たつのに、家財が散乱し発災当時のまま時間が止まったようになっているのを目にし、胸が痛みました。


倒壊した建物の傍らで、粛々と日常が営まれ…


公費解体等の手続きに時間がかかって倒壊家屋に着手できないという、いたしかたない事情があるにせよ、二次災害を招きかねない状況と、何よりも発災当時の恐怖をフラッシュバックする光景が市民生活と隣り合わせにあるのを目の当たりにして、もどかしい気持ちになります。




この先通行止めが予想される470号を避け、海側の国道249号に入り、穴水町〜能登町を経て珠洲市に向かいました。


幹線道路は応急処置的に復旧が進んでいましたが、気をつけて運転しないと予期せぬ段差に車体が大きくバウンドします。


午前11時すぎ、今回の震災で輪島市に次いで被害が大きかった珠洲市に到着しました。珠洲市役所に着いて最初に目についたのは、ボランティア団体が支援物資を配るテントでした。大人たちが列に並んでいる間に遊べるようにと、射的や輪投げや綿菓子のコーナーが設けられ、子どもたちが歓声を上げていました。この付近は、電気や上水道は仮復旧したものの、土地の起伏が変わってしまったため下水道が使用できないエリアがあるとのことでした。


そんな中、演奏場所を失った高校の吹奏楽部が屋外で定期演奏会を開催するという情報が入り、足をのばしてみました。会場に到着すると、廃駅のプラットホームを利用したステージに楽器や椅子、譜面台が並べられ、演奏会の準備が着々と進められているところでした。



震災以来部員が減少し現在8名。そこにボランティア団体が「楽器のできる団員」を募り送り込み、さらに地域の有志が加わり30名規模の立派な吹奏楽団と合唱団が編成されたとのことです。




顧問の先生にご挨拶していると、同行したスタッフがクラリネットパートの子たちに声をかけてくれました。通りすがりの見知らぬオジサンでしかない僕のそばに、高校生とボランティアのメンバーが目を輝かせて駆け寄ってきました。僕はもう反射的に鞄から楽器を取り出して、「一緒に吹いてみよう。みんなの音を聴かせてよ」。こうして即席の「パー練」が始まりました。



パー練記念に金箔サインステッカーをプレゼント。オレンジ色のシャツの方々が東京からのボランティアメンバー。楽器演奏経験のあるスタッフを送り込む…このようなボランティアのあり方には新鮮な感動を覚えました。

それにしても、廃駅のホームを利用したステージの背景には、倒壊した建物が。こんな景色がもう当たり前になってしまっているのです。



リハーサルで聴かせてくれた、NHK連続テレビ小説「『まれ』(能登が舞台)のテーマ」の力いっぱいの演奏と合唱には、いろんな思いで胸がいっぱいになって涙がこぼれました。時間のつごうで本番は見られませんでしたが、元気でがんばって、また来るからね!と手をふって珠洲を後にしました。


少し前に文化放送のラジオ番組『田村淳のNews Club』で、現地を視察してきたジャーナリストが、「発災直後の〈ボランティア来るな〉という風説を五ヶ月たった今も引きずってしまっている。物見遊山と言われてもいいから、行って人と話をし、コンビニでお茶一本買うだけでもいい。そして見たものを多くの人に伝えることが今は必要」という趣旨のことを述べていて、今回の訪富にあたって、(もちろん今回はライブの仕事で行ったわけですけど)、現段階で行く意味があるのだろうかと悩んでいた僕を勇気づけてくれました。ニュース報道やネットの情報だけではいまひとつ伝わってこない、現地にたたずんでみないとわからない厳しい現実のスケール感と、想像以上に力強く明るく立ち上がろうとする人々の姿に胸を熱くし、きっとまたここに帰って来ようと思いました。


僕にできることは音楽しかありませんが、どの段階でどう関わっていけばよいのか、これから各方面と連携を取りながら考えていきます。