甥っ子にお年玉と両親にも1万円ずつお年玉をあげた。
両親にお年玉をあげたのは20年ぶりかもしれない。
この20年何をやってたんだって話になるけど、まんま元カノとの交際歴になるのは偶然だろうか?(笑)
この先どうなるかわからないから貰える時は貰っといてよと受け取ってもらった。
90%息子のことを疑ったとしても残り10%でも息子のことを信じてくれた両親には感謝したい。
やってる仕事内容は貧乏時代と変わらない。
同じように社会に貢献していたのだ。
悪いことすりゃ金を作るなんて簡単だけど、そのルールじゃなく真っ当に生きてお金を稼ぐのは難しい。
いくら親とはいえ収入で息子の実力を判断するのは仕方ないと思う。
言ってることは同じでもどこかマイナスな雰囲気は漂う。
コロナ渦に独立という(正確には朝礼でぶちギレた勢いのまま辞めたらコロナ渦突入)なかなかの無理ゲーを生き延びることが出来た。
もちろん独立したことは家族には内緒にしている。
今の自分は不幸かと言われればそうでもないが幸せではないと思う。
趣味とか夢中になれるものがある方が幸せだ。
何事にも限界があることは体感としてわかった。
肉体にも精神にも限界はある。
それは限界まで頑張って入院してわかった。
恋愛にも限界はあるし、会社組織にもシステム的な限界はある。
それらを自分の半径にいる家族に理解して貰うことが難しいことが人生は難しいのだ。
僕の経験からすると限界の先は好転しかない。
それだけドン底だったってことだね(笑)
恋人にしても会社の社長にしても「このままじゃダメになる」と叫んでも止まれないのだ。
最後まで足掻いたというか狂ってたとは思う。
電車賃がなくて現場から5時間歩いて帰宅するのはどうかしている。
その前日に後輩に千円貸していたのに翌日休まれたのだ。
過ぎたことはどうでもいい。
反省しないからダメなんだろうけど(笑)
兄貴に言われて気付いたら今年は厄年の本厄だった。
早生まれだから勘違いしていた。
厄払いに行ってきた。
やれることをやって最後の最後は神頼みである。
甥っ子は今年の春に小学校に入学する。
早生まれなのでまだ5歳なのだが、掛け算をマスターしていた。
1桁の足し算も全て暗記していた。
なので小学校に行く前に2桁の掛け算を暗算でやれるのだ。
正直、引いた。
確か掛け算は小学校2年生で習う筈である。
それまで算数の授業は何をするのだろうか?
叔父さんである僕は九九を覚えるのがクラスでビリだったので危うく特殊学級行きになるところだったというのに。
友人の何人かは別のことで特殊学級行きになり、そこで針の穴に糸を通したり積み木で遊んだりしてそれが正解なのかもわからないまま何とか無事に生還してきたのだ。
僕は3月31日生まれというレベチの早生まれだったので、幼稚園での順番は何をやるにしてもクラスで一番最後だったのだ。
そのつもりで自分は最後なのが当たり前だと思っていた。
甥っ子は小学校にあがる前に2桁の掛け算をやっているのだ。
この時点で甥っ子に3年負けている。
甥っ子は名前も漢字で書けてる。
僕は漢字の練習は罰ゲームだと思っていた。
小6で年賀状を書くときに初めて【様】という漢字を覚えたのだ。
それは数学の勉強が社会で役立つ理由がわからないからやる気が起きないのと同じで【様】を覚えないと年賀状は届かないと理解したからである。
甥っ子のお遊戯会のDVDを観ることに。
幼稚園児なのに好きな女の子がいるという。
甥っ子が「この子」と言う好きな女の子はブスだった。
性格重視なんだなとそういうところも賢いことに感心した。
おっぱいの大きさではなく女の子を好きになるのは賢い。
人生をやり直したいです(笑)