アナログ村とデジタル村 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

携帯電話を家に忘れたことに気が付いたのは電車に乗ったあとでした。



この時代に、2018年の秋なのに、携帯電話も持たずに、初めて行く駅の改札口で、約束の時間に、待ち合わせをすることになりました。



しかも、これ、仕事です。



マジで焦った。



これは人間が試されるよ。



行き先も電車を3回乗り換えて1時間半くらい掛かる場所だったからね。



まぁ僕は普段からガラケーなので、部屋にパソコンすらない超アナログ野郎なので、Wi-Fiの有り難みとか知らないので、日頃から生活に必要な情報を実装してないと生きれない身体になってますから、“やっちまった”と焦るしかないわけですよ。



ポケットに固い感触があったから携帯だと思ってたわけです。



アパートから駅まで傘をさしながら煙草を吸って歩いてたので両手は塞がってるから携帯の存在確認を怠ったわけですよ。



普段の職場なら携帯を家に忘れても不便ですが、まぁ連絡手段としての迷惑は掛かりますけど、なんとかなるわけでね。



今日だけはダメなのよ。



今日は携帯の子の日なわけ。



体育座りして仕事を見学するしかないなと(笑)



電車に乗ってズボンのポケットに手を入れた瞬間に血の気が引いたからね。



ガラケーだと思ってたのに、ポケットからはフリスクの大粒の缶タイプのやつが出てきたからね。



嘘でしょ!?と。



急行列車に乗ってましたから、携帯を取りに戻る時間はないわけです。



というか、携帯がないから時間の確認ができません(涙)



とにかく現場に向かうしかないなと。



僕は松坂世代の37才ですから、社会人になった時から携帯電話は手元にあったわけです。



携帯電話と一緒に18才で上京してきたわけです。



正確にいうと僕は早生まれなので、誕生日は年度末なので、まだ17才で携帯電話と一緒に上京してきたわけです。



あれから月日は流れまして、松坂世代が次々と引退するような時代となりました。



そんな時代に、僕は携帯電話と一緒ではなく、焦りと不安を握り締めて、フリスクと一緒に急行列車に揺られていたのです。



携帯電車が手元にないので電車の中では他にやることがありません。



他にやれることと言ったら【フリスクを食べる】というコマンドしか僕にはありませんでした。



しかし、携帯がなくとも頭で考えることは出来ます。



なんでしょう、最悪の場合に、乗り換えを間違えて待ち合わせの時間に遅刻したり、改札口が二つあって待ち合わせ場所での合流が困難になったとしましょう。



その時は心から謝罪をするしかありません。



深々と頭を下げて、申し訳ありませんでした、と。



ただね、その謝罪をする時の口臭だけはさ…
僕には【フリスク】があるからね…
そこだけは大丈夫かな…(涙)



いや、許されねえわ(笑)



まずね、相手の連絡先がわからないから公衆電話も意味がないわけです。



前日の夜に携帯で最寄り駅から目的地までの乗り換え経路を調べた記憶だけが頼りなわけです。



時間と金額の違うルートが4つ出てきて、日曜日だから電車の本数も少ないから、それによって乗り換えがルートにも影響してるわけです。



ただもう携帯を忘れて持ってないので、移動しながら調べるは不可能になったので、これは確実に行けるルートで行くしかないなと。



それでね、情報のデジタル化はとても便利なんですけど、それに人間が慣れてしまうことでの問題点よりも、根本的な問題として、デジタル化がなぜ便利なのかの前置きとして、鉄道会社の企業努力の怠慢が致命的ですよ。



その理由もよくわかった。



鉄道会社だからなのか、敷かれたレールの上を走る思考で仕事を捉えてるのよ。



乗り換え案内の看板がアナログ時代でも不親切なまま、時代がデジタル化になったから反省をしてないんですね。



優先順位がおかしいのよ。



建設業の職人である僕でさえ、日本語をあまり理解してない外国人には省略化した情報で伝えたいことを伝える最短の手数なり表現をするわけですよ。



駅の乗り換え案内看板とか電光掲示板とか、あれは鉄道オタクが絡んでるよね。



庶民の感覚を忘れたオタクの最も悪い癖が出てるのよ。



とにかく最速解が駅員に聞くことになるのよ。



これもベテランの駅員は頭の中に全部データが入ってるから聞けば問題はないけど、今はその駅員がゆとり世代だから説明が不十分なんだよね。



まず、案内表示が難しいのは上の世代が作った老害的な産物だとしても、
満月満月駅に一番早く行くにはどうしたらいいですか?」

こう聞いたわけ。



各駅、準急、急行の3つあるわけです。



その案内所みたいなカウンターのとこに若手の駅員さんが3人いて 、男女男で駅員さんが並んでて、女の前には駅員のバイブルみたいな乗り換え相関図みたいなのを3人で読んでたわけです。



僕の質問に最初全員シカトしましたからね(笑)



当事者意識が回送列車なんですかね。



(誰が答えるの?)みたいな間があるわけですよ。



で、位置的に僕から一番近い男の駅員さんが隣にいる女が読んでた乗り換え相関図を奪う感じで、調べ始めたわけです。



僕の質問はアナログですけど、デジタルな質問に対応する回答なら駅員はいらんのですよ。



彼らはまだ若いからプロとしても育つ速さは各駅停車ですから仕方ないですけど、ゆとり世代は成長速度が遅延してるわけです。



僕の質問に対する回答は「5番ホームになります」と。



ありがとうございます!!と、お礼をして5番ホームに向かったわけです。



携帯電車はないですが電光掲示板を見れば現在の時刻と発車時刻が分かります。



だが、しかし、5番ホームの列車が電光掲示板にあるどれなのかが分からないわけです。



このうちのどれかが、5番ホームに来るからそれに乗れば問題はないけど、僕としては発車時刻が知りたいわけです。



目的地までの時間は路線図の丸の中にある数字だろうと理解できますが、基準となる発車時刻が分からない。



これは駅員の説明不足だけの問題ではないんですね。



これを僕が他の人にも同じように説明することが難しいと感じるわけですよ。



この電光掲示板を改善しないことには、他の業務に支障が出るのはわかるわけです。



誰が見ても分かる“情報”でなければ、他のことに手が回らなくなるのは、他のことに目を向ける余裕すらも奪うわけです。



僕が外国人を扱うのが上手いのではなく、説明するアイデアをお互いに考えることで“的確な情報”の正解が生まれるわけで、外国人は日本語がわからないからダメだとか、日本語を勉強してから来いとか、俺がずっと一緒に付いてないと仕事が回らなくなるという謎の付加価値というのは、駅の案内表示が難しいままなのと同じで、それを鉄道オタクを経由することにより、やっぱり鉄道オタクは物知りだなと謎の付加価値が生まれてるからデジタル化されて便利になるわけです。



人間の感情はアナログですが、ビジネスはデジタル化なんですね。



歩きながら読めるサイズの案内表示で、案内表示を通り過ぎるまでに理解することが出来る内容でなければデジタルが破綻したらアウトですよ。



混乱を収めるのはデジタルではなくアナログですよ。



なぜ、こうなるのかも考えるわけで、携帯がないから考えるしか暇が潰せないので、これって、たぶん、駅の看板は広告収入のスペースが優先順位としてあったと。



それが最近だとデジタルサイネージみたいな液晶になりつつあるわけで、ようするに、乗客が迷わずに目的地まで通過されたら広告効果はなくなるわけで、迷うようにデザインされてるわけですよ。



もちろん次の電車を待つ時間で、乗客がお金を落とすことにも繋がりますからね。



それがテナント料にも影響しますから、改善されることはなく、利用客はデジタル化のサービスで乗り換えをスムーズにするしかないわけですね。



これだけの数の人間の脳みそが行き交う場所なのに、迷うっておかしいのよ。



アナログのアイデアがMAXまで到達してないのに、それをデジタル化してもカッコいいだけでそれは不便なのよ。



歩きスマホの注意看板の矛盾というかね、歩きスマホしてる人はその看板を見ないし、なぜ歩きながらスマホを見るのかは説明するべき情報が看板としてアナログで解決されてないからでしょ。



スマホよりも魅力的なモノがあればそっちを見るからね。



それなら広告効果も手元の画面じゃなくなるし、必要な情報がそこにあると信頼にもなるわけでさ。



天狗「ってか、話が長ぇぇーよ!!」



河童「まだ目的地にも辿り着いてないもんね」