仕事のモチベーションが上がらない。
同世代の職人さんと休憩中に喋っていても抱えているのは同じような感覚なんだと思った。
お互いに所属する会社は違っても10年も同じ環境で仕事をやってくると視野が広がってくる。
その人は結婚してて子供もいるので僕とはまた違った視点があるとは思うけど、まぁ何より面白い人なので喋っていても気が楽なのだ。
その人が仕事に対してある疑問を投げ掛けてきて、僕もそれには納得するだけの違和感を感じていたからだ。
その人が言うには、素朴な疑問としては、みんなで和気あいあいと毎日楽しく笑いながら仕事ができないのはおかしいと。
僕はそれに頷いて話を聞いていたのだけど、隣に座っていた65才のベテラン職人さんは違ったみたいで、すぐに怒ったようなトーンで言い返していた。
「そんなねぇ、和気あいあいと仕事なんかしてて現場が終わるわけないでしょ!」と。
一瞬ピリッとした空気が流れたが、先輩はベテラン職人さんに少しだけ強気に言い返した。
「いや、終わるでしょ!こんなのそこまで難しい作業じゃないんだからさぁ」と。
これはタブーのような話でもあるが、難しく考えることと、簡単に考えることは、考えること、つまり頭の中で思考する作業としては同じことになる。
何が違うかというと、難しく考える方がそこには“価値”が発生するからである。
仕事を覚えるまでは先輩たちから厳しいことを言われるのもわかるけど、いつまでこんなことを続けているのだろうかと。
簡単に考えれば物体を“移動”することでそこに“価値”が発生しているだけの話なのだ。
的確な位置に的確な物を移動しているだけなのに、和気あいあいと作業が出来ないのは何かしら別の“移動”がそこにはあって、別の“価値”として“価値”のようなものが常識面して居座っているのが“お金”と呼ばれる“物体”の正体だと思う。
電動工具を使って作業をするには、的確な用途のドリルで的確な素材の位置に的確な大きさの穴を開け、開けたその穴に的確なサイズのボルトを入れ、的確な順番でスプリングやワッシャーを間に挟み、的確なナットを的確なトルク値で締め付ける。
全ては正しいとされる手順で物体を移動しているだけなのだ。
墨出し作業にしても、マジックや墨つぼからインクを的確な場所に移動させて素材に付着させて基準となるラインを描いているだけなのだ。
何が難しいって、そんなのは、ほぼ先輩の機嫌だったりする。
それにしても自分という物体が先輩の望んでいる“移動”をすればいいのだ。
もっと言うと、先輩との会話にしても、会話文の内容は的確な位置に的確な言葉を移動して並べればいいのだ。
この世界は“移動”するのが上手いかどうかの問題でしかないと思う。
和気あいあいと楽しく笑いながら作業することに“価値”があるなら、そのような環境でなければ全てがおかしいのだ。
僕はこれを【移動論】と考える。
これを【移動力】とすると、それは作られた“価値”から突き抜けることは不可能だと思う。
和気あいあいと作業することは難しくないと反論した先輩に対して、ベテランの先輩は更に厳しい言葉を発した。
「だったら、自分が担当者になったらいいじゃない」
これは元請けの現場の担当者のことで、それは職人ではないのだ。
ベテランの先輩が言いたいことは、政治に不満があるのなら自分が政治家になればいいというような、実にクソみたいな解答だった。
つまり、和気あいあいと楽しく作業が出来ない環境を作り出しているのは現場の担当者だと言いたいのだろう。
というか、この休憩中の3人の会話だけでも、殺伐とした空気を作り出しているのはベテランの先輩なのだ。
ただ先輩は面白いので、さらにその先でベテランの先輩と対峙していた。
「オレが担当者だったら、全員クビにしますけどね」
これには僕も笑ってしまったのだけど、ベテランの先輩は真顔で次の返しを考えているようだった。
大ナタを振るうなら全員クビが正しい改革だと思う。
ただ、ベテランの先輩もこの展開は苦しい筈なのだ。
全員クビにはベテランの先輩も含まれていることになる。
そこで僕も具体的にこの業界のおかしなところを言うことにした。
「まず、現場に来ない社長は、いらないですよね」
これにはベテランの先輩も笑っていた。
和気あいあいとしていない環境だからそれをまとめる役目として社長が必要なのであって、現場を離れた社長の出す答えとは現場の正解ではないのだ。
そこに無理が生じるから仕事が楽しくなくなるわけだ。
組織と組織が協力して作業することをJV(ジョイントベンチャー)と呼ぶが、そうなると個人の能力だけで所属先は関係なくなるので、むしろ仕事は楽になるのだ。
もちろん社長は二人もいらないので、なんとなくアホらしくもなる。
ベテランの先輩というだけで給料に差が生まれることにも疑問を感じる。
年功序列で終身雇用なら分かるが、その“価値”にも疑問が出てくる。
面白い先輩と、新しくこの業界に入ってきた新人くんの話になった。
その新しく入ってきた新人くんは世代だと僕と同じ30代後半で、年齢は僕の1つ上なので、面白い先輩と学年は同じだと思う。
その新人くんは同じ作業をずっとやらされていて、もう少しで1年になると愚痴を溢していた。
これもどうかと思うのだ。
下の世代がいないのは仕方がないにしても、働き盛りの世代に同じ作業を1年もずっとやらせるのは損でしかない。
本人は業界のことを当然ながら詳しく知らないから、それでも我慢して1年も同じ作業を続けているが、それがその作業の全てではないので、この業界で10年やってきた同世代としては納得できない部分として仕組みがおかしいと思った。
これを何か別の仕事に例えるならば飲食業なら【皿洗い】という1つの作業があるとする。
これを1年間ずっと続けましたと。
だけど同じ【皿洗い】を1年間続けた人にも作業をする環境(会社組織)で差が生まれてしまうのだ。
同じ【皿洗い】でも扱う食器の種類で、身に付くスキルが同じ1年間でも全く違ってくると思う。
外国製の高価な食器やグラス、形状や洗い方や洗剤まで異なれば、それを扱う際に使う筋肉や神経も異なると思う。
同じ【皿洗い】でも、プラスチック製の食器だったり、種類も4つくらいしかない作業では、【皿洗い】としてマスターするスキルの差は同じ1年間という時間を費やしても出力できる能力は全く違うことになる。
食器を洗うにしても、何から順番に手をつけて、注文や時間帯や客層や季節や洗った皿が乾燥するまでを瞬時に計算した手順だったり、それらを1年間でどれだけ失敗して学んで経験値を獲得するかだと思う。
実際に皿洗いをやったことはないけど、仕事という流れ(移動)には正解があるので、それを別のことに置き換えると同じ要領だと思うんですよ。
それで、最初の段階だとバカ扱いされるわけです。
いいから目の前にある皿を洗えと。
目の前にある現象に対して、引っ張ってくる選択肢の数が多い人は、目の前にある皿を洗うだけでも色々と考えてしまうわけですよ。
使えないやつが数年後に化ける理由はここにあると思うんですね。
全ての疑問に対する答えが出るから納得した正確な作業(移動)が出来るわけです。
アホな先輩はとにかく速さ(移動速度)しか求めませんからね。
そういうアホな人の方が経営者としては扱いやすい(移動しやすい)という、それはそれで(経営者は移動しないので)仕方がない現象なんですけど。
1年間同じ作業を続けて嫌になって別の会社に行っても、前の仕事で何をやっていたかを問われた時に、1年間【皿洗い】をやってましたでは通用しない【皿洗い】もあるわけですよ。
その皿洗いがどこまでやれる皿洗いなのか、本人は何も悪くないのに、それが最終的な給料にまで変化してしまうわけでしょ。
この仕組みや、このシステムの上であぐらをかいて喋ってる人や、この仕組みをこれから作ろうと頑張っている人を見ていると、こっちの気持ちまでが暗くなってくるんですよね。
こんなもん後輩の人生をいくらでも弄べるわけでね。
組織内の人間関係までは入社してからでないと選べないからさ。
そんで、そういう作られた挫折にまんまとはめられちゃった人に対して、今度は間違った励ましの言葉をかける連中もいるわけでさ。
どんどんおかしくなってくからね。
その面白い先輩が感じていることは、たぶん僕と同じようなことで、(こんなんで金儲けしちゃって本当にいいの?)ってことだと思う。
権力者が移動を制限して操作していることを。
それは脳内の伝達回路での神経細胞による電気的な刺激の移動によって生まれる物質が感情までも左右することにも繋がる。
生まれた環境を選択することは不可能だ。
それが幸せなのか、不幸なのかも、そこから移動しなければわからない。
ただ、それが不幸だったとしても、それが絶望だったとしても、それを“面白い”に移動することができれば、ほんの少しだけでも移動をすることが可能であるならば、それは人類の進化だと思う。
あらゆるものが移動して地球を形成している。
(おい、急に話が飛躍したぞ、笑)
この宇宙の中で、量子が移動を繰り返した成れの果てが人間だとして、もうさ、いい加減に、みんなで和気あいあいと楽しく過ごしたいと思うんですよ。
全ての価値を無効化する【移動論】を銀河系に突き刺したいですね。