神田松之丞 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

平成最後の国民的歌姫であり、同じ時代を過ごした者として安室奈美恵の引退について記事を書くことが、本来あるべきブログっていうもんだと思う。



本来あるべき姿という定義も難しいけれど、そこに何かしらの基準を提示するならば、友人の結婚式の余興でDA PUMPの「USA」を仲間たちと踊るような、それがリアルな一軍のブログだと思う。



ちなみに結婚式は兄貴のしか参加したことがないという。



その頃は兄貴の友人たちが余興で当時の流行りだった「まるもりダンス」を披露してましたが、新婦である兄嫁の友人たちも、これが…記憶にないというね。



そこの記憶だけがない。



喋ることのない思い出は消えていくんですかね。



そのような人間がブログに書くのは安室奈美恵ではなく、神田松之丞ですよ。



安室奈美恵をオカズにしてオナニーしてたあの頃が、Xvideoもない思春期を過ごしていたのリアルな男の子の本音だとは思いますけどね。



さて、神田松之丞さんって人が何者かと申しますと、講談師の方なんですね。



これからもっと知名度が上がってからブログに書くのでは、それは一軍がやるブログの作法になってしまうので、この【講談師】という名前の時点で、謎のベールに包まれ過ぎてて読む気が失せるくらいが丁度いいかと(笑)



まぁ落語家さんとは違うんですが、似たようなイメージだと思って頂ければなと。



普通にね、まともな生涯を過ごしていれば講談なんて知らないとか、観たことないのが当たり前だと思います。



一龍斉や田辺というね…



墓場まで持っていく話だと思ってました(笑)



お笑い好きとしても完全なる黒歴史だと思ってました。



ルミネよりも先に、生で講談を観たなんて記憶はさ、お笑い好きとしても三軍じゃないですか(笑)



「ひょっこりはんは、1周して面白いんだよね」


こんなことを言うくらいなら三軍のままで結構なんだけど、お笑い好きがギンギンに勃起する芸人が平成最後に出てきたわけですよ。




でもまさか自分の中にある【講談】の引き出しが開くことがあるなんて、思いませんでしたね。



言っときますけど僕は講談のネタそのものに詳しいわけではないんですよ。



そこは違うんですね。



そこだけは汚したくないわけです。



この境界線だけは跨いではいけない、人間界にもあらゆる境界線はあるけれど、覗き込めば深い谷底のような死の淵にある境界線もありますが、そんな世界にも“笑い”というユートピアだけは確かに存在するんです。



その“笑い”を司る者とは人間ではないんです。



それが“芸人”という浮世離れした存在なのです。



ここまで書いておけば、これから先の文章で、たいして面白くもないことを書いても“何か凄いこと言ってんじゃないか”というバイアスが掛かると思います。



誰しも好きなものはあるでしょう。



そうすると自然と人間関係も変わってきますよね。



それを己が引き寄せるのか、はたまた己がそれに引き寄せられるのか、運命というものは不思議なもんでございます。



お笑い好きにしてもそうです。



同じようなお笑い好きが寄ってきます。



何年前でしょうね。



携帯電話が普及して、iモードという、携帯電話でインターネットに接続できる時代になったばかりの頃でした。



家庭にパソコンが普及するよりも速く、携帯電話によってインターネットの世界に誰でもアクセスすることが可能になった時代ですね。



そこに“魔法のiらんど”というサービスが開始されまして、若い人には携帯小説という認識かもしれませんが、当時としては画期的なサービスであったわけです。



無料で携帯で自分のホームページが作れるってわけですよ。



とはいえパケット通信が無料ではない時代でした。



パケ放題という言葉もありません。



メールを送るにもお金が掛かる時代で、お金のない貧乏学生の女の子なんかはメールを半角のカタカナで送っていた時代です。


半角のカタカナだとパケット代が節約できるんです。



今の若い子たちには理解するのは難しいかもしれませんが、言葉を相手に伝えるにも“お金”が掛かる時代がありました。



アリガトの文字にどれだけの想いが込められているか、最後のウまでは打てない、そのような相手の気持ちを想像して補完する、ネット上で他人を批判するにも“お金”の掛かる表現だったわけです。



ようするに、初期のインターネットの世界とは表現する世界だったんですよ。



今みたいにバカはいなかったんですね。



それまでは雑誌やテレビやラジオでしか共有できなかった同志たちと、ネットの世界で集うことになったわけです。



とにかく僕らの世代は人数が多いんですよ。



うちの兄貴の世代が第二次ベビーブームでしたから、そこの人間の数が一番多いわけで、その世代の人達が初期のネットの世界を作り出していたんです。



ネチケットみたいなネットとエチケットを組み合わせた造語であるとか、キボンヌのようなネットスラングとか、オタクの人がまだ市民権を与えられてない時代でしたね。



サブカルって言葉も非日常ですし、しっくり来ないわけですが、世の中的には大きく3つに別れていましたね。



音楽、お笑い、プロレス、この3つが普通の男の子が好きなものとして、共通言語だったと思います。



時代の波が大きく揺れて、それぞれのジャンルでも動きがありました。



音楽ならビジュアル系から青春パンク、お笑いならコントから大喜利、格闘技ならプロレスから総合格闘技と、本音というものがネットによって加速した時代に合わせたのか、最強とは何かと、そんな時代だったと思います。



音楽ならGLAYが20万人ライブであるとか、お笑いなら松本人志の24時間大喜利であるとか、プロレスなら小川直也の暴走であるとか、ネット上で信者やアンチによる最強論に対するアンサーのようなエンターテイメントが繰り広げられていたわけです。



ただ、違ったのは、音楽やプロレスはネット上では言葉のやり取り、知識や理論的な討論会なのですが、お笑いだけは、大喜利だけは違ったんですね。



面白いやつの言ってることが正しいと。



大喜利やろうぜ、と。



細々と魔法のiらんどの片隅で“お笑い”について、お笑い好きがせっせと、大好きなお笑いについて日記みたいなのを書いておりますと、大喜利の投稿軍団の総裁みたいなやつから喧嘩を売られるわけですよ。



松本人志の名の下に全国のお笑い好きが、大喜利好きの連中が、ネットの世界でも大喜利サイトなる公開死刑場を作り上げていたんです。



そこには名人と呼ばれるような投稿職人や大型サイトの管理人や投稿軍団など、大会のようなモノまであり、すでに上の世代によって大喜利力による上下関係のような世界が出来上がっていたわけです。



そんな世界があるとは知らずに、【お笑い論】なんてもんを趣味で書いていたら、大喜利テロリストに見付かってしまい、公開死刑場へと招待される形で巻き込まれてしまったわけです。



僕は関東の人間なので関西の基準を知らないわけです。



そこにいる人達は僕も含めてリアルでは社会人なのですが、関西人の人は思い出作りでM1グランプリに出場しても1回戦を勝ち抜くだけの実力があるんですね。



ネット上でのそういうやつらは性格も悪いんですけどね(笑)



でまぁ、僕が天下取るわけですよ。



これは方法論ですから、それでいうとジャンルが違っても19~20才くらいでも“ココ”を発見すれば勝てるわけです。



発見してもリアルは年功序列ですから、どんな世界でもそれは変わらないわけです。



そんなネットの住人の中に嫌われ者というか、変わった人がいたんですね。



ネット上の名前であるHNが“萬黒斉ぺろまん”という人がいたんですね。



誰からも相手にされないけど、古参というね(笑)



ただ、その人も自分のホームページで笑いについて書いてたので興味はあったんですよ。



ネット上で絡まれまして、そのノリで彼の弟子になるみたいなね。



僕の他にも弟子はいたんですけど、その人は大喜利の大会で2回も優勝してて、僕は最初の大会で決勝まで残って敗れて、次の大会では狙いに行ったのに準優勝で、彼に連覇されるという結果だったんですよ。



なぜ連覇という現象が起きるのかもちゃんと考えたりしてさ。



それはいいとして、優勝と準優勝が萬黒斉ぺろまんの弟子という謎の趣味ですよね。



全ては趣味の空間なんですよ。



ただ、優勝者と準優勝者が嫌われ者の弟子になるという、そういうノリというか選択肢はそれも含めてプロレス的な方法論だと思うんですよ。



萬黒斉みたいな名前を考えることになってさ、アイデア出すけど優勝したやつからダメ出しされたりしてさ、それでようやく正解みたいな名前を作ったわけ。



萬恋亭

(ま満月こ痛てぇ)



それいいね、なんて内輪だけで満足したり、そんなことをやってたわけ。



そしたら僕のホームページの私書箱に萬黒斉ぺろまんから手紙が届いたわけですよ。



「実は俺、芸人なんだ」つって、
「伝統芸能の講談師なんだ」つって、
「今度、会いませんか?」なんつって、



こいつ、気持ち悪いな思って(笑)



どんだけ逆算しても勝算ないだろと。



そう思ってた当時の自分が間違ってたと。



宝の山を見付けていたんだなと。



ただ、残念なことに、そいつは、後の、神田松之丞ではないという…



だからこそ逆に凄いのが神田松之丞ですよ。



そりゃ僕もお笑い好きでしたから、本物の芸人さんと会えるなら会いに行きますよ。



一緒に飯食って、自宅までお邪魔させてもらって、「こいつを見てれと」と、師匠から貰った扇子だと。



扇子は扇子だろ、と思ってたら「ここんとこ見てくれ」と「ここんとこ、よぉ~く見てくれ」と。



扇子の掴むところに何やら書かれてる。



そこにあったのは「談志」の文字。



「うちの師匠は談志と親しかった」と。



「この本を貸してあげる」と。



そこで渡された本がツービートの「わっ、毒ガスだ」



いまだに、借パクのまま…、クローゼットのどこかに眠ってる。




古いけれど、それでもお笑い好きとしては嬉しいと。



「これからのテレビはピン芸人の時代になる」と。



次に連絡があった時には、芸人仲間を紹介してくれると。



これは嬉しいと、芸能界の裏話でも聞けるんじゃないかと、吉本か人力舎か、一体どこの若手芸人なんだろうかと。



それで、やって来たのが「仲良くしてる講談師の……」



もう講談師はいいよ!!と(笑)



どんだけ狭いとこ狙ってんだと(笑)



それがまた凄い良い人なのよ。



残念ながらブログの文字数制限をオーバーするので、これで終わりますけど、当時の前座時代の愚痴とか大変さも聞いてたので、それも引っ括めて、神田松之丞がどれだけの天才なのかが少しでも伝わればいいかなと。



ラジオだけでも相当面白いですからね。



お笑い界をひっくり返して下克上を再び可能にするだけの実力も兼ね備えた本物の天才ですね。



講談のネタはまだ1度も観たことないけど(笑)