めちゃイケ最終回 | 天狗と河童の妖怪漫才

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妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

めちゃイケが終わった訳ですけどね。



松坂世代の僕としては、なんというか、…なんて言うんですかね?(笑)



テレビ番組だけじゃなく働き方改革も含めて世の中がごっそり変わる時代に直面してる訳ですよ。



昔はパワハラとか“そんたく”(漢字が変換できません)も当たり前の時代だったわけでね。



自分が100%悪くなくても先輩や上司のミスを自分のミスとして謝ることも“そんたく”ですし、それも今ならパワハラだとは思うんですよ。



そういうストレスや権威に対するカウンターがユーモアだったり、お笑いだったと思うんですよ。



笑いに昇華していたんですね。



イジメを助長するってことに関しても、最大級のイジメってのはシカトなんでね、だとしたら最終回に三中くんを呼ばないってこともシカトを助長しているのかと(笑)



こじつけ大喜利みたいになりますけどね(笑)



でも三中くんは芸人になったので不幸や不運はネタになりますから、別に何も問題はないわけです。



というか、三中くんって誰ですか?(笑)



まぁ話は急にぶっ飛びますけど、感動のスピーチのシーンで嫁の犬が映ったのが最高に面白かったのよ。



それで思い出したのが、昔見た笑う犬の冒険?ウンナン、ネプチューン、オセロ、ビビるが出てたフジテレビのコント番組なんですけど。



あれでスナックかバーみたいな店のママが飼ってるネコがいて、ママが客に飼いネコの自慢話をしてて、それで従業員が店の裏口で休憩してたら排気口から顔を出して死んでるママの飼いネコを発見しちゃうコントね。



もちろんコントだから本物じゃなくてネコの人形なんだけど、これがね、死んでるのに絶妙に笑える形だったのよ(笑)



そういう細かい美術のディテールも含めて笑ってたんだと思うんですよ。



価値観が変化していく中でこれからのテレビやバラエティ番組がどうなるのか分かりませんけど。



一言で言うと、我慢しない時代に突入したよね。



我慢することが美しいとされてた時代が終わる。



僕らの建設業の仕事でさえもそれを肌で感じるからね。



テクノロジーの進化でお金の流れも感情も全てが劇的に変化してきてるからね。



僕らの世代には我慢してきた恩恵がないのよ(笑)



下の世代はそこに価値を求めないからさ。



教える側としても迷うのよ。



まぁ戦争になったら日本は勝てないし、弱小国になっていくだろうね。



急に話がぶっ飛んだけど(笑)



常識とか道徳とか真面目が変化すると、つまり環境が変わると笑いも通用しなくなるのかなと。



でもね、めちゃイケの結婚式ごっこで犬の置物を嫁に見立てた意味も意図もわからなかったのよ。



むしろ、スベってんじゃないか?とすら思ってたんだけどね。



全て計算だったとしても、あの空気は本物だったし、あそこであのアホみたいな顔した犬の顔を映すって最高に面白いわけですよ。



絶対的な王者としてテレビがフジテレビがめちゃイケが君臨してる瞬間でもあるわけですよ。



作り手が真面目にふざけてるってことが面白いんですよね。



ちゃかすセンスというかね。



滝沢カレンのナレーションが面白いのと同じような感覚ですけどね。



最後はめちゃイケ関係なくなりましたね(笑)