友達からの着信であることは携帯の画面にそう名前が表示されているからで、だけどその相手が本当に友達なのか誰なのか、いくら悩んでもわからない。
電話に出るしかないのだ。
前回は「もしもし」と声を出した瞬間に電話を切られたので、そのせいで自分から男という情報を相手に与えてしまった可能性もある、だから今回は自分からは何も喋らないつもりでいた。
沈黙すらもコミュニケーションなのかもしれない。
だけど無理だった。
電話の相手が友達だという可能性が、いや、希望というものが、ほんの僅かにでも残っているのなら、それは、自分が声を出すことで決まると思った。
沈黙する時間そのものが言語としての意味を示し、
君も私もあなたも僕とが存在していた無邪気だったこの世界から、
それが意味として収納されてしまうまでのタイムリミット、
それは動物的な防衛本能として鼓動する心拍数のリズム感なのかもしれない。
その沈黙の意味が何かを確定してしまうギリギリの瞬間の瞬間に、
そこに真実というものがあるのならば、
音を求めた。
言葉よりも、
声よりも、
何かが生まれる、
何かが始まる、
そうなる前の、
音だけが欲しかった。
肉体が奏でる音だけが音であると
それは上唇と下唇の皮脂が剥離する摩擦音であり、
口内で舌と唾液による破裂音であり、
それはつまり、
感情とは、
沈黙や静寂とは、
おとのない世界、
それこそが音楽そのものでしかなかったのだ。