ニセモノノウタ2 | 天狗と河童の妖怪漫才

天狗と河童の妖怪漫才

妖怪芸人「天狗と河童」の会話を覗いてみて下さい。
笑える下ネタ満載……の筈です。

イカれた彼女とカラオケに行ってきたのである。



カラオケの楽しみ方は人それぞれだとは思うが、なぜか毎回途中で俺が彼女に対してブチギレることになり、そこから俺がふて寝するパターンが定着しつつある。



前回カラオケに行った時はフリータイムだったにも関わらず、俺はたった3曲しか歌わずに眠りについたのだった。



今回はこのパターンについても説教をすることにした。



そもそもパターンになるってことは反省をしてないわけだ。



その理由を聞いてみて、この女はやっぱりイカれてるなと思った。



まず、俺が怒るとすぐ寝ることは前からわかってると。



だから怒らせて眠らせれば自分がたくさん歌えるという作戦らしいのだ。



で、その金はこっちが払うというね。



このように完全にナメられてるわけですよ。



怒ったところでこの男から暴力を振るわれることはない、とか、テーブルをひっくり返したり店員や他の客に迷惑を掛けたり、警察沙汰になることはないと思ってるわけよ。



なんつーかさ、そういうバカ男と比較してナメられても何にも楽しくないんだよね。



俺が怒るってことは相当ヤバいってことを彼女はわかってないのよ。



こっちが心配なのは彼女が職場の人達とカラオケに行ったときとかに自分が周りにどれだけのストレスを与えてるとか何も考えてないと思うのよ。



まずね、マニアックな曲を歌うわけよ。



というか、そのアーティストの曲ばっかり歌うわけよ。



しかもそれは男性アーティストなのよ。



まぁ自分の好きな歌を唄うのがカラオケの一番の楽しみ方ですけどね。



だけどカラオケのボックス内の空気というか流れはあるわけでね。



盛り上がる曲があってからバラードに移行するみたいなね、エンタメ的な基本マナーはあるわけですよ。



彼女もそれはわかってるらしいのよ。



だけど俺が調子に乗るのはムカつくらしいのよ。



今回行ったカラオケは禁煙室が満員でそれで喫煙の部屋になって、そしたらライブルームみたいな感じで小さなステージがあったのよ。



スタンドマイクが置いてあってそこにスポットライトが当たってミラーボールが回る感じの大部屋だったのよ。



で、さっそく一曲目で俺がスタンドマイクを使ってステージで歌って、それで終わったらさ



「最初からそれ使うのは無いわぁ…普通はもっと後でしょ」とかダメ出ししてくるのよ。



この時点で少しイラっとするわけよ。



こいつはスタンドマイクを使う気さらさらねえなと。



スタンドマイクを使うことだけをピークに設定しつつ、自分がもし使うならタイミングを計ってから使うけど、最初から使われたから私はもう使えないみたいな感じなわけよ。



でもさ、そうなると次の曲で彼女がスタンドマイクを使うってパターンもあるわけじゃん。



「お前も使うんかーい」みたいなね。



だけど使わないわけよ。



だったら何の為のダメ出しだったんだよって思うわけでさ。



俺もね、最初からスタンドマイクを振り回したりだとか、スタンドマイクを使って何かするみたいな、そういうことは一曲目ではやってないわけよ。



最初は上にマイクが刺さってないから取り付けてみて、マイクの高さとかマイクの角度の調整を歌いながらしてたわけでね。



これは誰かが最初にやらなきゃいけないわけですよ。



それを見て、あそこの部分を回せば調整できるんだな、とか、基本的な使い方を説明してる部分もあるわけですよ。



お膳立てはちゃんとやったわけだよ。



使うタイミングがピークじゃないんだよね。



使い方が重要なんだよ。



タンバリンやマラカスだって使うタイミングがピークじゃなくて、使い方なんだよね。



何でもかんでもダメ出しするやつは自分からは絶対にやらないからね。



グルーヴ感を知らないというかさ。



教室のグルーヴ感だったり、部室のグルーヴ感だったりあるわけでね。



そこには色んな性格のやつとか考え方のやつがいるけど全員が跳ねるって感覚があるわけですよ。



それには何かしらの圧力が不可欠で、それをわかってるやつらは口には出さない共犯関係でその圧力が抜けないようにしてるわけよ。



部屋に入ってスタンドマイクが置いてあったらさ、それ使って何か面白いことやろうぜってなるわけじゃん。



で、最初のやつは普通に使うのは誰かがやらなきゃいけない前フリみたいなデモンストレーションなわけでさ。



なのに、それを見て「最初からそれ使うのは無いわぁ…」っていうブスは何なんだと。



他の連中がスタンドマイクを使いづらい空気醸し出してんじゃねえよブスが!!ってなるわけですよ。



有ると無いっていうのはセンスの問題ですからね。



最初からスタンドマイクを使うのはセンスが無いってことになるわけよ。



つまり、その言葉でこれからスタンドマイクを使うことのハードルを上げてしまってるんですね。



これがもうブスなのよ。



これの正解は
「最初からそれ使うの卑怯だわ~」
なんですよ。



卑怯、ズルいっていう表現ならば面白いに繋がる流れを圧力を逃がさない言葉になるわけですよ。



こういう言葉の使い方すら知らないやつが何も考えずにセンスが無いってダメ出しをするわけですよ。



ダメ出しの言葉選びのセンスからして破綻してるわけだけどね。



サラダの取分けを率先してする女はあざといとか言うブスと同じ発想なのよ。



サラダの取分けをするタイミングの問題じゃなくて、取分ける方法について考えろと。



なんで俺の皿だけプチトマト入ってねえんだよってことも多々あるわけじゃん。



だけどさ、それはそれで面白いわけよ。



そこから始まるわけじゃん。



一番あざといのは女同士の時はそうやって批判してて、別の場面では率先して取り分ける女でしょ。



というか、それが女って生き物でしょ。



その構造を理解した上でブスな女芸人とかやたら騒ぐけど、もうその茶番は見飽きたわ(笑)



サラダの取分けなんてさ、体育会系とか上下関係のある社会人とか芸能界だって若手が率先してやるのは当たり前のことじゃん。



最初に誰もが通る道じゃんか。



重い荷物は若いやつが運ぶとかね。



先輩に媚びるとかじゃなく誰かがやらなきゃいけないわけよ。



うちなんか実家が本家だったから、小さい頃から正月とか法事のときなんかはそれは大勢の嫁さん連中が集まるわけよ。



飯の支度なんかが始まったとするじゃない、その状況下で何も行動を起こさないって発想は、あざといとはまるで意味が違うわけよ。



育ちの問題まで関わってくるからさ。



これは女だけじゃなく逆もあるわけ。



ちょっと前に婆ちゃんの1周忌があった時に兄貴の嫁さんは甥っ子がまだ小さいから法事には参加しなかったわけよ。



そうなると、お寺の休憩室とかにみんな集まった時には暇な俺が親戚にお茶を淹れて出すことになるわけよ。



なぜなら俺が独身だからね。



いい歳して嫁がいないってのはこういうときにめちゃくちゃ恥ずかしいけど、やるしかないわけよ。



かといって長男の兄貴にやらせるわけにはいかないからさ。



自分がどう思われるかよりも爺ちゃん婆ちゃんの孫として恥をかかせるわけにはいかないというね。



そういうのも親戚の人達がみんなわかってる上での行動なわけでね。



むしろ「あざとい」発言をするやつがあざといわけよ。



わざとハードルを上げて他を蹴落とすわけよ。



いかに物事を本質的に考えるかなのよ。



みんなで飯を食いに来てんだから目の前に運ばれてきたサラダは誰かが取分けなきゃ食えねえだろって。



男社会ならそんなもん率先してやらなかったら先輩からフォークで刺されるわけじゃないですか。



社会人に成り立ての頃にね、会社の人達との飲み会が終わった帰りに、会社の寮の廊下に同期全員で並ばせられて1個上の先輩から説教されたわけですよ。



「てめぇが潰れてどーすんだよ」って同期の一人は蹴られてましたからね。



彼はもっと上の先輩から飲まされたから潰れたのに、1個上からは蹴られてましたからね。



それからは先輩たちの焼酎が誰が何割りなのか好みを暗記したりするわけですよ。



1個上に蹴られるからね。



だから女子ならサラダの取分けくらいね、目隠ししてでもやれなきゃおかしいでしょ。



だって男は全員その取り分ける側の場面を通ってるわけだからさ。



プライベートだとしても社会人としての常識みたいなのあるわけじゃん。



そうなると男女差別だ!みたいなブスが出てくるけど、これには逆もあるわけよ。



イカれた彼女のせいで俺は何回も転職してるわけだけど、過去に商社の立食パーティーに参加したこともあるわけよ。



スーツ着てさ、名刺交換なんかしちゃってさ。



でだ、俺はがっついて自分から食事を取りに行って皿を持って並んでたわけだけど、そしたら商社の女性社員が慌ててやってきて「お取りしますよ」ってなったのよ。



それがその世界での常識で正解だったわけよ。



すげー恥ずかしかったもんね。



「いいです」って思わず断ったけど、逆に相手に恥をかかせたことにもなるわけじゃん。



それで俺の後ろに並んでた先輩はその女性社員から取り分けてもらってたのよ。



だけどその先輩はそういうのを勘違いするわけ。



「あの子はオレじゃなくて、お前と喋りたかったんだよ」ってね。



その次元の発想だと、あの子はあざといってなるんだろうけどね。



その先輩は男前だけど対人恐怖症みたいなとこがある人だったから、コミュニケーションのデータ量が少ないから誤解しちゃうわけでさ。



その先輩の後ろにはうちの会社の社長も並んでたのよ。



その時に働いてた会社の社長は女の人なんだけどさ。



前は銀座のジュエリーショップで働いてて、バブルの頃に部長が客で通ってて知り合って、それで元愛人なんだけど会社は実質的に部長が経営者で離婚してからはその元愛人が社長になったのよ。



そういうね、やり手の女からの無言の圧力も働いてたから女性社員も慌ててやってきたってのもあるわけでね。



あざといかどうかってのはさ、どれだけの視点を知ってるかが重要だと思うのよ。



そうでないと意味が真逆になることもあるわけでね。



一番やっかいなのは、そういう言葉の罠に引っ掛かることなのよ。



誰かを成長させる言葉に対して金を払うのならまだわかるけど、足踏みさせる言葉に金を払うのは違うだろと言いたいわけ。



というか、物事の本質を知ることに金を払う必要はないと言いたいわけよ。


お金という概念を超えた先が重要だからね。



とはいえ女の子はお金が大好きですから困ったもんだ。



好きなアーティストの曲を歌うのは構わないよ。



ライブに行ったりCDや物販に金を使うのもわからなくはない。



大好きな曲を聴いて涙を流すのもいいでしょう。



だけどな、俺の歌が下手クソだと罵るのは構わないけど、そのアーティストと比較して何も響かないってのは違うからな。



この曲を聞けだとか、自伝を読めとか俺に言ってきたからにはそれなりの覚悟があるんだろうな。



歌うのもそれを語るのも感動するのも構わないけど、それを誰かに説く段階になったらそれはもう好きとは違う。



ニセモノだってことを理詰めで説明するしかなくなるのだ。



言葉を生業とする仕事の者がニセモノの言葉を拡散するのは金と心のどちらを動かす目的か、それよりも危険なのは、それを信じて行動を起こす者への無責任な表現は罪でしかない。



続く