このままもう二度と会うことはないと、そう思っていたOさんが職場に復帰したのである。
このまま会社を辞めてしまうような“ゆとり世代”の男とは違った。
彼は世代の垣根を越えた、世界にひとつだけのクズだった。
ここからがクズの真骨頂なのだ。
ちなみに建設現場には詰所と呼ばれる職人が休憩をする場所があります。
そこにロッカーや長テーブルと長椅子を並べて職人たちが休憩したり弁当を食べたりする。
朝、僕が詰所に着くと遠くにOさんの姿が見えた。
ひとまず安心した。
詰所のテーブルは業者や班ごとに分かれて並んでいる。
そのテーブルとテーブルの間を通って自分の座る所まで歩くことになる。
Oさんは僕たちの班のテーブルの一番奥に座っている。
その隣が僕の座る位置。
なので自分の席に辿り着くまでの間に、僕よりも先に来てすでに座っている職場の人達に何度も朝の挨拶をしながら奥へと入っていくことになる。
なので順番からしてOさんと挨拶を交わすのは一番最後になる。
「おざーす!」(おはようございます)と僕から朝の挨拶をしたその返しで、Oさんから休んだことや音信不通で無断欠勤になったことへの軽い説明や謝罪が僕を通して間接的に職場の人達に向けてあるだろうなと。
というか、それが大人としての最低限のマナーだと思う。
僕「おざーす!」
職人A『おざーす!』
僕「おざーす!」
職人B『おざーす!』
そして、いよいよOさんの出番である。
僕「おざーす!」
Oさん『おざーす!』
僕「……。」
なんもないんかい!!
いやいやいやいや、
マジか!?
そこは何か言うべきでしょ?
いや、
さすがである。
入社した2日目の昼で早退するわ、音信不通の無断欠勤を含めた5連休を社交辞令だとしても簡単に詫びるような男ではない。
いや、そもそも詫びるような男なら職場に戻っては来ない。
じゃあ、なぜ、Oさんは職場に戻って来たのかって?
それはもちろん…
クズさんは、Oだから。
どの面下げて戻ってきとんねん(笑)
とはいえ、Oさんには信頼や信用を失うだけの土台がまだないので、その落差や落下する速度で人を判断するのはよくない。
土台どころか、目の前にぽっかりと穴が空いた状態なのだ。
これは逆に凄い。
何が逆なのかもわからない。
まだ裏側しか見てないので裏切られることもない。
音信不通だった理由は携帯を踏んづけてぶっ壊れたからだとOさんは社長に説明していた。
そんなわけないだろうと誰もが耳を疑うようなクズによって使い古されたアリバイだった。
クズあるあるでもある。
ひとまずここは泳がそうと。
そのかわり、前と何ら変わってない携帯を普通に取り出して僕らを笑わせてくれればそれで許すと。
休憩の時、隣でゲームに夢中になっているOさんの携帯をチラっと盗み見た。
なんと、携帯が新しい機種に変わっていたのである。
いや、それはそれでムカつくわ(笑)
なにこのモヤっとする感じ。
これ、携帯だから許されるのかもしれないけど、感覚としては間違ってると思う。
例えば、自分の不注意で車をぶつけて、そのせいで時間に間に合わなくて仕事を休んでたやつがさ…、何で次の日、新車に乗って来ちゃうんだよ!
Oさんは新しい携帯でドラゴンボールのゲームに夢中になって遊んでいた。
まあ下手に反省して神妙な感じになるよりはいいかなと。
仕事を再開するとまた膝が痛いとOさんは足を引き摺り始めた。
本人が痛いと言えば痛いのである。
これがダメ職人の裏技の1つなのだ。
職人はタイプ別に成長する。
最初に習った親方や会社のやり方だったり、本人の能力にもよる。
職人に求められるのは、“速さ”“美しさ”“品質”の3つ。
この3拍子を持ち合わせることが1流の職人なのだが、これはなかなか難しい。
速さ=技術。
美しさ=センス。
品質=知識。
速さだけを求めると残りの2つが低下する。
美しさだけにこだわると、遅くなったり法律や設計上のルールとして定められた規定を違反することになる。
品質の良いものを作ろとすればするほど迷ったり悩んだりと遅くなったり、品質や安全上の問題はないけど見た目が悪くなる場合がある。
この状況判断を頭で瞬時に行いつつ手元も同時に動かすことになる。
先輩から言われることはわかってる。
「もっと速くしろ!」
「お前センスねえな」
「そんなことも知らねえのか?常識だろ!」
仕事だけでは100点は取れないのだ。
積み重ねた信用と信頼でやっと一人前の職人になるのである。
しかし、そこには自分の能力をどれか1つに特化させる職人もいる。
速さ至上主義の職人たちである。
とにかく速さだけを追求したその仕事ぶりは凄まじい。
図面を無視した完全オリジナルだったり、適性な部品や部材がなくてもあらゆるものを代用してとにかく仕事を終わらせる。
当然ながらギャンブルスタート的な速さなので、全部やり直しという最悪の結果にもなる。
「仕事が速いから手直しも速い」とか、「だったら結局一緒じゃねえか!」という、わけのわからない理屈になる。
建設業の職人も基本的に出来高で評価されるので、速さは評価の基準になる。
話が長くなったけど、つまりOさんの入社してからずっと膝が痛いってのは…
「オレまだ本気出してねえし」という、保険でもあるのだ。
もちろん掛け捨ての安い保険だけどね。
このような裏技を巧みに使う職人はOさん以外にもいる。
「オレなんか休憩してない」アピールとかね。
本人の仕事が遅いからそれは当たり前の話なんだけどさ。
「オレばっかりキツイとこやらされる」とかね。
協調性がないやつの愚痴には具体性がないのよ。
だから笑えないのよ。
汚れる仕事は嫌がるし、責任の重い仕事も嫌がるから、他のキツイとこは誰かがやってんのよ。
みんなアピールしないで笑顔でやってんのよ。
眠れなくて睡眠薬を飲んでるとか言われても、生きてるんだから病まない方がおかしいでしょ。
自分の理想と現実にギャップがあるから病むんだよ。
クズにはなりたくないという人として真っ当な希望があるから病むんですよ。
じゃあ、クズってどんな人なの?と。
クズは悩むことないの?
もちろんクズにも悩みがあります。
職場に復帰したOさんから夜中に連絡がありました。
電話で喋っているのに、なぜか小声で話すOさん。
仕事の悩みなのか、プライベートの悩みなのか、僕に打ち明けるというOさんからの信用と信頼には全力で応えようと。
「あのさぁ…社長って、給料を前借りさせてくれるかな…?」
あのぅ…
だけど、金に困ってる時の気持ちは痛いほど理解している僕です。
金に困った状態では仕事に身が入らないし、間違った判断をしてしまう。
サラ金やヤミ金に手を染める前に利息のない相手からお金は借りるべきなのだ。
とはいえ、他人からお金を借りるのは信用と信頼が大前提の話である。
積み上げた信用や信頼から借りれる金額も変動する。
しかし、Oさんにはその積み上げる最低限の土台すらまだなかった。
Oさんは穴の底から「金貸してくれ~」と叫んでいた。
これには参ったが、金に困ってると打ち明けたことに対する最低限のアドバイスをすることになる。
「Oさんが働いた日数分の金額なら前借りは出来ると思いますよ」と。
「会社としてもそれは回収が可能な金額なので、あとは社長に相談してみて下さい」と。
これはあくまで人道的な配慮である。
犯罪者を生まない為の、それによって無駄な税金を使わせない為の、社会の底辺でのそれはそれは最低限の優しさでもある。
Oさんに対する疑惑は2つある。
1つは給料を前借りして辞めるパターン。
この業界には職人が辞めるとなると難癖をつけて給料を全額支払わない悪党の経営者もいる。
当人が適当な仕事をして喧嘩別れをした場合が多いけど。
あとは会社が倒産しそうな場合に先に貰えるだけ貰って逃げるやつもいる。
仕事に対する責任感で最後まで会社に残った後輩たちを残して、てめぇだけはとっとと給料を前借りして逃げる悪党もいるのだ。
そういうやつが仕事では先輩面して偉そうにしてたのだから、金というのは恐ろしい。
つまり、社長というのは部下が優秀なら口を出さなくても書類上は誰が社長をやっててもいいのだ。
社長に求められるのは、差し押さえられるだけの資産を所有しているかだけだ。
給料の未払いの時効は2年間なので、裁判に勝っても差し押さえる資産が何もなければ金は永久に貰えない。
このような社会の底辺で我々は生きている。
ニートがこの業界をスルーして仕事がないと騒ぐのは賢い選択だろう。
2つ目の疑惑はOさんは前の会社をクビになっている。
会社は正社員をクビにする場合は給料を補償しなければならない。
その手続きをしに行くからと、Oさんは仕事を休んだ日もあったのだ。
1ヶ月分の給料を貰ったばかりなのに、もう給料がないのはおかしい。
そのことを問い詰めても金に困った現状は変わらないので何も言わなかった。
その翌日、Oさんは前借りをしに社長に会いに行くと言った。
社長からは電話で僕にOさんが入社してからの出勤日を確認するように言われた。
僕から社長にはOさんから電話があったことや前借りの話はしていない。
僕はOさんにも出勤日数の確認をした。
とにかく休みまくっているからだ。
この日は膝が痛くてとか、医者に行ったとか、説明しながら「あとは出てる」と、辞めた前の会社から補償された給料を貰う手続きをするからと休んだ日を1日ちょろまかそうともした。
それもまぁいいでしょう。
無事に社長から前借りした翌日にはこんなことを僕に言うのである。
「飯代だけが足りないから貸して」
は?
「土曜日にまた社長から前借りするから、それは月曜日に返すから…五千円だけ貸して」
お前はバカか?
飯代って…
実家だろ?
五千円って結構な飯だよね?
酒飲む気満々だよね?
その日はとぼけて金は貸さなかった。
本当に必要ならもう一度ちゃんと言ってくるだろうと仕事に集中していた。
その次の日、「計算したら二千円だけで良かった、二千円だけ貸して、月曜日に返すから」
この≪五千円を提示してからの一晩寝かせて二千円貸して≫というクズの発想ね(笑)
どんな計算違いで三千円が不要になったのか知らないけど。
あわよくば三千円でパチンコを打とうとするクズのアメリカンドリーム的な発想なんだろうね(笑)
面白いから二千円貸したけど、くれてやったに等しい。
「そろそろ引っ越しして独り暮らししたいんだけどさ、社長って保証人になってくれんのかな?」
今は保証人よりも、大家や管理会社との間にあるローン会社との契約が保証になると説明した。
源泉徴収書や納税証明書が必要になると。
「なんだよ、それじゃあ女のとこに転がり込むしかねえじゃんか」
クズは穴の底からでも転がることが出来るらしい。
転がることがロックンロールであるように、女のところに転がり込むことをルームシェアだと言い出すのは間違いない。
二千円はちゃんと返ってくるのだろうか?