焼肉をご馳走してくれるというのでシッポ振って待ち合わせ場所に向かった。
ここ最近は焼肉を自腹では食べてない。
僕が思うに、いくら稼げるかよりも、いくら貸してもらえるかが大切なのだ。
それと同じように、自腹で食べることよりも、ご馳走して貰えることに意味がある。
まぁもちろん何もしないで焼肉をご馳走になれる訳ではない。
愚痴を聞くことになる。
ただ、愚痴を聞けばいいってもんじゃない。
共感する力、共感力が必要になる。
これが割り勘だと成立しなくなる。
ご馳走する側が上位であるからこそ、遠慮なく愚痴や不満を120%で吐き出せるのだ。
ご馳走される側はそれを聞くことで、ご馳走にありつけるという関係性になる。
ご馳走される者には共感力と肯定力が求められるのだ。
なんでもかんでも共感すればいいって訳でもない。
人間関係とは複雑な感情が絡み合う。
相手の立場を完全に理解することは難しい。
その生い立ちから全ての物語は始まっているのである。
何かと忙しい現代社会では物事や人物を簡単な言葉に当てはめて処理しようとする。
ちゃんと理解しようとはしない。
その時間すらないのかもしれない。
浅く広く付き合う人間関係の何が面白いのかがわからない。
人間の面白さは深さにある。
本を1冊読む、映画を1本観る、それに匹敵する物語が1人の人生に内包されたままでいる。
不満や愚痴が高まるということは人生の物語の中で重要な場面でもあるのだ。
しかし、それらを周囲に語ることは憚られる。
自分のストレスを発散することで相手の時間を拘束することになる。
そんなことを考える人間だからこそストレスが溜まるのである。
だからこそ、ご馳走することでその全てが解消されるのだ。
ご馳走される者とは、そこそこのクズでなければならない。
ご馳走する側とは、そこそこのクズにご馳走するのである。
プライドの高いクズは扱いにくい。
ご馳走とはプレイである。
ご馳走される時点でプレイは始まっているのである。
ご馳走される者とは、ご馳走してくれる相手に対してはドMであり、ご馳走してくれる相手を困らせる対象に対してはドSでなければならない。
ご馳走してくれる王様や姫様を守るナイトである。
ナイトの報酬はご馳走、それがゴチ屋である。
今回の姫様を困らせた相手とは『元劇団員の女』であった。
元劇団員の女サイドにも物語はあるのだが、絶対擁護がゴチ屋としての必殺技であり腕の見せどころでもある。
30代の元劇団員という女がコネで職場にやってきたが、仕事はできないと。
上司や男に媚びを売るばかりで肝心の仕事は出来ないらしい。
何よりも厄介なのは、全てを元女優を理由にして片付けるというのだ。
元女優は煙草を吸うと。
仕事の合間や移動する際にも元女優が煙草を吸う時間を待たされるのが迷惑だと。
その煙草を吸う理由も元女優なのだと言う。
煙草を吸う役になって、その役のせいで煙草を吸うようになったと。
役者がよく言う、撮影後も役が抜けないとは、このことなのだろうか?
元女優だけあって、映画やドラマの話題になれば盛り上がるかと思えば、それも違うそうだ。
テレビドラマを観ていても、どうしても女優目線で見てしまうから作品を楽しめないと。
これは職業病なのだろうか?
ナチュラルに嫌われ役としての適性や存在感に、本人が気付いてないだけじゃないだろうか。
仕事の要領や物分かりも悪いと言う。
女優や役者という職業は、待つのも仕事だと聞いたことはあるが…。
それを真に受ける純粋さでは、プロの世界では通用しないだろう。
つまり、演じることの表面的な環境に馴れ合って過ごしてきたことになる。
全ての職業や人物を演じる為の材料や教科書は目の前にある。
圧倒的な存在感があれば誰でも女優になれると思う。
その差は何かというと、オーディションに落ちたのではなく、オーディションに行っただけなのだ。
オーディションをする側の心理や動作を観察するだけではなく、オーディションという場面で、オーディションに落ちる役すら魅力的に演じることすらできていないのだ。
肩書きは女優でも売れる為の戦略を聞く耳を持たなければ飯は食えない。
別の仕事をするにしてもスキルや考え方は同じである。
枕営業をするにしても、リスクとリターンを考えなければ女が下がる。
どんな職場でも間違ったアドバイスをしてくる先輩はいる。
つまり、一見すると愚痴のようだが相手のダメな所をちゃんと理解していることになる。
それと元女優という、その女のキャラクターは面白い。
仕事先で知り合ったライバル社の男と付き合っていたが、重いと言われてすぐにフラれたそうだ。
それもしょーもない男らしい。
付き合ったばかりの男からすぐに捨てられる時点で、女優としてはベットシーンでの演技力もイマイチだったということになる。
悲劇のヒロインとは、角度を変えれば喜劇のヒロインでもある。
焼肉と女優物語、ご馳走様でした。