教団X | 天狗と河童の妖怪漫才

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笑える下ネタ満載……の筈です。

老人になってからしたいこと ブログネタ:老人になってからしたいこと 参加中



教団Xをやっと読み終わりました。



すげー疲れた。



なにあの厚さ。



しかも本の内容も僕には、ちょっと難しかったですね。



うーん。



まぁ読んだ感想を一言で言うなら…



『エロ本を買うのをカモフラージュする為に、難しそうな本で挟んでみました』



そんな感じの本でしたね。



エロ本を隠す為に科学とか宗教の本で挟んでレジに持って行くような…



それを全部、1冊の本にまとめてみました!!
みたいなね。



僕みたいな高卒で低学歴のガテン系の職人からすると、この本を読んだ感想は…



“高学歴のむっつりスケベに圧倒された”



…って感じですよね(笑)



たぶん、作者の人は、かなりのインテリなんでしょうね。



性描写とかもインテリな感じなんですよ。



まぁ宗教に勧誘される人達というのは賢い人達だと思うので、そういう性描写になるんでしょうけどね。



そこが低学歴の僕には共感できませんでしたね。



賢い女ってのを抱いたことがないのでね。



やっぱり賢い女ってのは、偏差値の高いセックスをするんでしょ?



“生理”のことを“ケチャマン”だとか絶対に言わないもんね。



羨ましいです。



ただね、作者の人に言いたいのは、いくら頭が良くて小説家だとしても、『おま○こ』とか書いたらダメでしょ?



読者がね、どんなに小説の世界観に浸っていたとしてもですよ?



3回目の“おま○こ”くらいで…



「お前、何回“おま○こ”って書けば気が済むんだよ!!」ってなるからね。



そんなもん、お前のさじ加減1つだろと(笑)



だからこれは物語として、情景としてのセックス描写なんでしょうね。



実際には男だってセックスばかりしてたら飽きる訳ですよ。



じゃあどうするか?



クンニする訳ですよ。



30分くらい、ひたすらクンニし続ける訳ですよ。



自分の性器に対する摩擦による肉体的な快楽よりも、相手を極限まで感じさせることによって得られる、精神的な快楽の方が勝る筈なんですよ。



30分もクンニし続けるってことは瞑想にも近い ものがあります。



クンニに意識を集中させることで、やがてそれは宇宙と一体化していると感じる訳ですよ。



たぶん、みなさんは“セックスとはこういうものだ”という概念に縛られていると思うんですよ。



セックスという行為とは、“こうあるべきだ”と幼い頃から知らず知らずのうちに洗脳されている訳です。



国籍によって女性の喘ぎ声が違いますよね?



それは言語に支配されたセックスであることを証明しているのです。



申し遅れました。



私、クンニ教の開祖です。



男性信者の諸君よ、クンニで女をイカせたことがない者に、愛を語る資格などない!!



クンニを極めし者とは、いかなる場合でも女から許してもらえるのである。



悟りとは何か?



宇宙の真理とは何か…?



究極のクンニとは何か?



それ即ち…



土下座クンニである。



泣きながらの土下座クンニである。



泣きながら土下座でクンニをしているのである。



君達のありふれた言い訳など聞きたくはない。



君達はいつもそうだ!!



「あの時こう言えば良かった…」



「あの時こうすれば良かった…」



「こうなる運命だった…」



バカもん!!



なぜ、そこで、クンニをしなかった?



逆に聞こう!



その時、君達はクンニをしたのかい?



目の前の女を本当に愛していたのかい?



嘘をつくな!!



貴様らの言う愛など、



『フェラチオした直後のディープキスが嫌じゃなかった』



みたいなもんだろうが!!



これだから教団Xを読んで勃起するような男は信用できんのだよ。



男の書いた文章に男が勃起してどうする!!



私は半勃起だったからね。



私は完全には勃起しなかったからね。



私はね、君達のように教団Xを読んでムラムラした性欲のまま女性を抱くという、そんな下品な真似はしないのだよ。



なぜなら私はクンニがしたいのだからね。



なにしろ私はクンニ教の教祖だからね。



守護霊がクンニだからね。



毎朝欠かさずラジオ体操クンニをやっているからね。



クンニ新聞を契約しているからね。



4コマ漫画のクンニちゃんしか読まないけどね。



忙しい朝には、クンニかけご飯だよね。



もっと、忙しい朝には、焼いたクンニをくわえたまま走るよね。



クンニ大学付属高校に通っているからね。



部活はもちろん、野クンニ部だよね。



補欠だけどね。



クンニ甲子園を目指してるからね。



部活だけじゃなく勉強も頑張ってるからね。



うちの学校は“文クンニ両道”がモットーだからね。



もうすぐクンニ祭だから、今はその準備に追われているよ。



修学クンニも楽しみだなぁ。



東京に行ったらクンニツリーを間近で見てみたいなぁ。



将来はクンニコンサルタントになりたいなぁ…



―そして翌朝。―



チュンチュン



…やばっ!?
目覚まし、クンニするの忘れてた!!




不条理の概念とは本当の意味での不条理なのかと。



洗脳に対するアプローチとしてユーモアがある。


チャップリンの表現する笑いが手段なのか目的なのかはさておき、笑いだけを追い求めるとそこには狂気が見えてくる。



なぜなら、より不幸でより残酷であるほど、笑いに昇華したときの振り幅は大きくなる。



その時代の正義によって笑いも変化する。



知識や価値観にも左右される。



善と悪という心理や概念が洗脳に効果的なのは、単純な笑いの構図でも同じことが言える。



ミスマッチのような笑いも“こうあるべき”というモノの破綻から生まれる。



脳内の伝達信号がスパークすると笑いになる。



それは+と-でのショートだとしよう。



それすらも、概念の一部であると笑いの先人達は思考したのだ。



教団Xの作者が小説という表現方法でアプローチしたように、笑いというルートでその頂を目指したのだと思う。




そして最後に残った運命論を笑いで紐解くことになる。




これが、立川談志の唱えたイリュージョンの領域なのだと僕は思った。



言語と言語が偶然に繋がった先に笑いが起こる。


そうなることがまるで必然だったかのように。



コンマ何秒の世界で笑うか否かを脳は判断する。


タイミングが少しずれても笑わない。



音楽などの空気の振動に近い。



その音域を組み合わせたメロディだけで脳は反応する。



うーん。



すげー難しい。



オナニーして寝るとしよう(笑)



明日からクンニしよう。