こんにちは心屋カウンセラー、ピアニスト、古谷ちずです。
わたしは、17歳の時、思春期に飛び立ち損ねていわゆる摂食障害になったのだけれど、
その時のことは、本当によく覚えているのです。
きっかけはダイエット。
根が頑張り屋なのでかなりやせたのだけれど、
反動の過食とともに、やってきたのはひどい抑うつ状態。
なにも頑張れない、なにもやる気にならない、本当に心も身体も活動停止状態。
まだ高校生だったから、この、優秀なはずの(笑)自分に何が起きたのかわからなかった。
両親の自慢の娘ではいられなくなって、
オリジナルな自分の模索のために、反旗を翻したときでもありました。
今思えば、そのためにさなぎになったのだとわかるけれど、
当時は迷子過ぎて、どうしていいかわからない。
音大に行くために、エリートコースで学んでいたピアノも続けられなくなり、
何のために生きているのかわからなかった。
夜な夜な、田舎道を自転車で「町」まで行き、(コンビニなんてなかったからね~)
閉店ぎりぎりのお店で食料を買っては、
家族に会わないよう自分の部屋に直行してむさぼるように食べてた。
何かに突き動かされるような衝動。
でも、自分はそれを許せないわけ。
この豚野郎、って。
鏡に映る自分を見て、これでは外に出られない、と
絶望して。
今のように、摂食障害という名前もなければ、
情報もなかったので、苦しかったよ。
相談できるカウンセラーもいなかったしね。
おかげで、病気に安住しなくてすんだのだと今はわかる。
病気の名前や分類は、そこに安住する危険もふくんでいるのだと、
知っている人は知っている。
幸いにも、自分で自分の道を、まるで謎々のように曲がりくねりながら、掘り続けざるを得なかった、
その経験は、情報がなかったからこその、貴重なオリジナルの宝地図なのです。
ほら、車のナビを使うと楽だけど、道を覚えないし、
道のトピックに気づく力もつかないよね、
あれと同じ。
例えていうなら、崖から転落して、
ピアノの道に帰ってくるまでに、それから長い年月の紆余曲折があったのだけれど、
帰ってきたときの喜びと、学び、気づきはとても大きい。
続く
ちなみに
いま母はもう天国で、わたしは母のことが大好き。
くすっと笑えるのよね、同じ女性としての母のユニークさを。
素朴な料理は母譲り。それに私の好きなエスニック風味を足すのが好き。
母の娘である自分と、オリジナルな感性をミックスしたのが今の私。
自分とは、「先祖プラスアルファ」。
心屋カウンセラー、ピアニスト、古谷ちずの
ノラ道
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