世界史
[1]
問1
ギリシア演劇を代表する喜劇はアリストファネスの『女の議会』。男子に限定のアテナイの民会に、女性たちが男装して参加して女性に有利な決定をしていくという内容。『女の平和』の方が有名だけれど、消去法を使えば解ける。
問2
『ガリア戦記』と『ゲルマニア』は並べられるのだけれど、成立年代が異なる。スペインはポエニ戦争の結果、ガリア遠征の時点ですでにローマ文化がもたらされていた。「カエサルはガリア遠征について書いた『ガリア戦記』にゲルマン人やケルト人の習俗を記録した」が完全なる正文であるが、迷いだすと意外と迷いそう。
問3
アウグスティヌスとマニ教の関係を知っていれば問題ない。誤文がわかりやすいから落としてはダメな問題。
問4
他が曖昧でもラヴェンナにあるサン=ヴィターレ聖堂にはユスティニアヌス大帝と皇帝テオドラを中心とした人物群を描いたモザイク壁画が描かれており、明らかにビザンツ様式だとわかる。
問5
セルバンテスはレパントの海戦でオスマン軍の砲撃を受けて左腕の自由を失った。こういうのは世界史の先生が文化史のところで拾ってくれるかどうかで差がつきそう。レパントの海戦に従軍したスペインを代表する作家だったら標準問題なのだけれど、この出題の仕方は難しいと思う。
問6
正文はa「ボッカチオが活躍したトスカナ地方の口語は、後にイタリアの標準語となった」なのだけれど、b「ルターはヴィッテンベルク大学で聖書をドイツ語に翻訳し、近代ドイツ語の確立を促した」は紛らわしい。「ヴィッテンベルク大学の教授だったルター派聖書をドイツ語に翻訳し、近代ドイツ語の確立を促した」ならば正文になる。
問7
自分の中で「ルーベンス=『フランダースの犬』=アントワープが舞台」という公式(?)が頭の中にあったため、「イギリスの宮廷画家」ではないと分かった。ただしWikipediaによれば「ルーベンスは画家としてだけではなく、古典的知識を持つ人文主義学者、美術品収集家でもあり、さらに七ヶ国語を話し、外交官としても活躍してスペイン王フェリペ4世とイングランド王チャールズ1世からナイト爵位を受けている」とのこと。文化史に欠落が多いので、ワトーの名前は知らなかったが、「シテール島への巡礼」がロココ美術だということは分かったので正解に辿り着いた。
問8
これは「トルストイ→『戦争と平和』→アウステルリッツの三帝会戦」で決まり。他の選択肢も正しい組み合わせにして覚えておきたい。
問9
教学社の赤本は難問認定しているのだが、シケイロスは山川の『詳説世界史B』に掲載されているので然程難しくはないと思う。
問10(❌)
社会変革を時代順に並び替える問題。なぜかプラハの春とハンガリー動乱が一緒になってしまっていて、間違えた。しかし、それにしてもひどい。ハンガリー動乱は1956年でキューバ革命は1958年だから、絶対に(c)にはならない。自分はこういうパターンの間違いが多い。
[2]
問1
a「メコン川下流域に建国された扶南の港オケオからは、ローマ貨幣やインドの神像が出土している」は完全な正文。アンコールワットはヒンドゥー教寺院→上座部仏教寺院、ボロブドゥールは大乗仏教寺院、モン人が現在のタイのチャオプラヤ川流域に建国したドヴァーラヴァティーでは上座部仏教が主流。予備校が作る模試の問題のように、受験生が苦手な所を突いてくる良い問題だと思う。
問2
モンゴルの侵攻を撃退したのはベトナムの陳朝。クディリ朝はジャワ島に存在し、ヒンドゥー教が優勢であったため、『マハーバーラタ』もジャワ語に翻訳され、ジャワ独特の影絵芝居ワヤン=クリが成立した。ワヤン=クリは時々出るイメージあり。「王都マラッカが鄭和の南海遠征の補給基地となった」が正解。鄭和の南海遠征に関する出題は「鄭和」と書かせるオーソドックスな短答か、鄭和の寄港地を地図上で確認させる問題が多い。しかし、たとえば、パレンバンの皇位継承に鄭和が介入したという事例もある。有名なトピックは少し深堀りしておいても良いのかもしれない。
問3
グロティウスの主著は『戦争と平和の法』であり、『海洋自由論』の内容まで押さえている受験生はそれほど多くない気がする。消去法で他の三つが消せるのだけれど、自信をもってグロティウスの選択肢を選べる受験生は実力者だと思う。『海洋自由論』は東インドとの通商がすべての人に自由であるために、オランダ人もまたその通商に参加する権利を有しているという内容である。若き日のグロティウスが愛国心によって衝動的に書いた面もあると言われ、オランダや東インド会社のプロパガンダとして機能したとも言える。
問4
16世紀には倭寇が沈静化したため海禁政策を緩和した。
問5
世界史の中の日本史は意外に細かいところまで出題されることがある。「日本貿易船のみでなく外国船にも渡航許可証である朱印状を与えた」は結構悩むところ。平戸と長崎の違いや琉球支配の方法について知らないと対応できない。
問6
タイの立憲革命を知っていれば正解できる。これはラーマ7世の時の話。ラーマ5世は立憲政治を否定し絶対王政を強く推進した。
問7(❌)
正文は「イスラーム同盟は、民族独立や社会主義を掲げて1910年代の民族運動を主導した」だが、1920年代からのような気がして、これを消してしまった。bを「インドネシア共産党が1926年に武装蜂起を起こしたが植民地政庁に鎮圧された」だと思い、こちらを選んだ。東南アジアの問題の演習が不足しているのだと思う。イスラーム同盟とインドネシア共産党の関係も曖昧だった。サレカット=イスラーム(イスラーム同盟)は、オランダ植民地政庁による弾圧を受け、1920年代にイスラーム近代主義の性格を強めると、インドネシア共産党とも対立するようになって勢力が弱まった。
問8
フィリピンの独立の年号は第二次世界大戦後だから簡単。
問9
ベトナムの独立運動に関する年代の並び替え。ベトナム独立同盟会(ベトミン)と書いていないところに出題者の底意地の悪さを感じる。「ベトナム共産党の結成→ベトミンの結成」だけ分かっていれば解ける問題。ホーチミンがコミンテルンの指示によってモスクワから広東に渡り、1925年広東でベトナム青年革命同志会を組織したことも知っていれば、さらに楽になる問題でもある。
問10
これ、日本史選択者でも結構間違うと思う。選択肢を見ると最後が①→④と④→①で分かれている。明治憲法は欽定憲法だから発布されてから帝国議会開催なのは容易に想像できる。あとは日清修好条規が近代日本にとって最初の対等条約だから、③が最初だと判明。
[3]
問1
(c)のプルードンがバクーニンというのが分からなかった。(a)に間違いが見えなかったから正解には辿り着いたが、微妙なところを突いてくる。カール=マルクスの論敵であり、ルイ=ナポレオンによって危険視され追放されたのがプルードン(1809~1865)。ロシアの貴族の家に生まれたエリートでありながら、ベルリンでドイツ哲学を学び社会の不正義への怒りからプルードンのアナーキズムの思想に触発されたのがバクーニン(1814~1876)。バクーニンは1848年ドイツの三月革命に連座してシベリア流刑となっている。
問2
インドシナ出兵開始以外は年号を知っていたので問題なし。1861年はアメリカで南北戦争開始、ロシアで農奴解放令、フランスでメキシコ出兵があった重要年号。
問3
消去法で(c)を選ぶ。Wikipediaによると「地下鉄の歴史は19世紀のイギリスのロンドンから始まった。1863年1月10日にメトロポリタン鉄道のパディントン駅からファリンドン駅の間、約6kmが開通した」とのこと。パリ開通は1900年らしい。ベルリン開通は1902年。知らなかった。勉強になった。
問4(❌)
第三共和政に関する出題。政教分離法=ライシテ自体が世界史的にはマイナー。ドレフュス事件後のフランス第三共和政は、ブルジョワの支持するクレマンソーら急進社会党と、ジャン=ジョレスが指導する社会主義政党のフランス社会党の二大勢力が台頭し、カトリック教会による国家支配を否定する政教分離法へと至る。ただ、これは難しいと思う。
分からなかったのは大統領選出法。世界史の窓によると「臨時政府の首班となったティエールは、同年のパリ=コミューンを弾圧して、ドイツとの講和を成立させ、1871年8月には議会から大統領に選出されたが、パリ=コミューンを鎮圧した体験から、労働者や社会主義者の力を一定程度吸収できる国家システムとしては共和政をとるしかないと考えるようになった」とのこと。だから、第三共和国憲法の下、フランス大統領は議会両院での選挙で選出されるようになったのである。自分の甘さを認識する。
問5
社学でもドレフュス事件でゾラを選ばせる問題が出るんだと謎の感動。
問6
パクストンの水晶宮は知っていたから正解できたが、他の選択肢の間違いがそれぞれ微妙。紛れもなく難問だと思う。
問7
オリンピアの位置は難しい。(a)がアテネ、(b)がスパルタまでは分かった。(d)はデルフォイなのか。知らなかった。
問8
ミケーネの遺跡を発掘したのはシュリーマン。エヴァンズはクレタ島のクノッソス遺跡の発掘。
問9
「オスマン帝国がエジプトに派兵を要請すると」「英露仏がギリシア支持を表明」した。最近、世界史でも因果のウソで正誤文問題をつくる傾向がある気がする。ギリシアの独立が国際的に承認されたのがロンドン条約。ここまで押さえておいて当たり前なのが早稲田レベルなのだと感じる。
問10
(c)フランスの社会民主党ではなくドイツの社会民主党が正解。今回は気付いたけれど、自分はこういう「そもそも」の選択肢に引っかかりやすい。
[4]
問1
(a)綿輸入が×。(b)乾隆帝が×。(c)イギリス人宣教師が×。(d)両戦争にまたがる時代が×。きれいな出題ミス💀
問2
頻出問題。「北京条約でロシアは沿海州を獲得し、ムラヴィヨフの指揮のもと極東政策の拠点となるウラジヴォストークを建設した」が正文。他の選択肢の判別が容易。
問3
難問。(a)(b)そもそもの発端となった琉球漂流民殺害事件は、日清修好条規の結ばれた1871年、宮古船が台湾近海で遭難し、数名が溺死し、台湾山中で残る生存者が台湾原住民(生蕃)によって殺害された事件である。1872年に琉球藩設置。1874年に台湾出兵。その後、1879年に沖縄県設置に至る。ここは日本史学習者でもしっかり勉強していないと対応しにくいところ。(c)洪景来の出自に関しては知らないのが普通だから、消去法を使うべき問題だが、日清関係に関する詳細な知識がないと対応できない。やはり難問だと思う。
問4
(a)太平天国の乱と知識が混じると、東学が何だったのかが分からなくなりやすい。朝鮮半島はテーマ史として演習しておく必要があると感じる。(b)(d)は中学校の社会の知識で外せる。ただ(c)「日清戦争の結果、清は開港場での日本の企業設立権および朝鮮の独立を認めた」の企業設立権が、知識がないと×に見えてしまうかもしれない。
問5
地名と地図上の範囲が対応していないと正解できない問題だが、満州とロシアの組み合わせは当然なので、事実上、二択。フランスがインドシナ半島に植民地を築いたことからも長江流域がイギリスで雲南がフランスという予想が可能。
問6
(a)洋務運動では軽工業の近代化は行われている。1870年代に李鴻章によって多額の国家資金が貸与され、官僚参画型の経営が展開された。湖北織布局や蘭州製造局などが代表例であるが、洋務運動は軍事工場・海軍建設のイメージが強いから、これを〇にしたくなる。
この問題は(d)「義和団事件後、西太后政権の下で、科挙の廃止や、日本の明治憲法を模範とする憲法大綱の制定など、光緒新政と呼ばれる改革が試みられた」という一文に対し、自信をもって正解とできるかを見ているのだと思われる。
問7(❌)
紛れもなく難問。義和団についての知識の深さが問われている。(b)の「清王朝は義和団の鎮圧を当初試みたが失敗し」は明確に×だとわかったが、それ以外が分からなかった。(c)殺害されたのがドイツと日本の外交官だったということは知らなかった。(d)を選んだが、ロシアが東北三省に進出したことは知っていたから、これを選んだが、駐留権は得ていなかったというオチ。義和団がキリスト教の教会を破壊したというのも微妙な気がしたから、ここは完全に実力不足。
問8
(a)立憲民主制ではなく共和制というのが定着していない受験生は意外と多いかもしれない。(c)「アジア最初の共和国」が何となく不安になる部分で、(d)中華革命党の成立時期をしっかり押さえていないと(c)に自信を持ちにくい。「中国同盟会→国民党→中華革命党→中国国民党」を覚えていれば他大学であれば十分だと思うが、こういうところが早稲田の早稲田たるところか。
問9
これは塩の行進がなぜ行われたかを知っていれば、確実に正解できる。
問10
④張作霖爆殺事件→➂張学良が国民政府に帰順は難しくないから、ここで二択に絞れる。上海クーデターで第一次国共合作が崩壊して「南京国民政府」が成立したということを知っていれば、「広州国民政府」が分裂前の国民政府のことだろうと察しがつく。「広州国民政府」というのはあまり聞き覚えのないタームだったので意識して覚えておこうと思う。
まとめ
さすが早稲田の世界史の中でも最難関と目される「社会科学部」の問題だと思う。世界史に多少自信はあったが、それでもギリギリ9割を確保するのが精一杯だった。でも、この作問は教科書を上手く使い分けて微妙なラインを狙っている感じもする。今後は少しずつ、そのあたりも検討してみたい。