ポジティブに頼りすぎてはいけない | 探求

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日々の身体と心の動きを観察する日記です

わりと本人的には辛い経験をしてきた子の自己開示を聞く機会があって、私も含めて何人かからのフィードバックを受けて、今までネガティブに捉えていたのをポジティブに捉えられるようになりました、という風な感想を言っていました。

今日、また会う機会があるので、備忘のためにここに書いておくんですが、これ、結構危険なんですね。ネガティブな感情で生きてきた人は、そこが克服されれば、反対のポジティブになれると勘違いしがちなんですが、そういうのは結果的になるのはいいけど、そこを目指して行くのは、やめた方がいい。なぜかというと、ツラい経験を浄化して行く過程って、一種の好転反応的なことが起こるから、どうしてもまたネガティブな感情が引き起こることがあるわけです。それを強引にポジティブに捉えようとすると、そこで歪みが生じるので、無理が起こるんですね。だから、あるがまま、起こるがまま受け入れるのがいい。

それから、この自己開示は人を選んでやった方が良いです。下手に自分のことを整理できてない人にすると、余計なフィードバック、その人がこうであってほしいという歪んだ願望を含めた思いが返ってきて、気持ちをフルオープンにしてる状態で、そんなもんを受け取ってしまうと、いらないシンドさを引き受けてしまうのです。こうであってほしいという願望はその人も潜在意識下であるだけなので、まったく悪意なく行われるんですね、このプロセス。そこが厄介なところです。そして、自己受容してないことに気付きたくない人は、それを下手に指摘されたら、怒り出したりするからね。面倒くさいわけです。

ここまでは良いんですけど、私もまだこの自己受容を完璧にはできてないので、自分が救われたいために、人を救おうとして、その相手を傷つける人にはあまり寛容になれないんですね。特に男性だと、一見正しい正義論とかかざしたりするので、すごくコントロールしてますけど、ときどき、面倒くさいから、やっつけちゃうかという衝動に駆られます。

でも、そういう衝動に駆られること自体、そこに私自身の傷もあるんだろうなということも分かってます。癒されるより、戦場で戦ってる方が落ち着くみたいな、因果な人生がいくつもあったんだろうな。

まあ、そういうわけで?(全然まとまってないけど)自己受容を手伝ってもらうときは、ちゃんと安心をくれる人の力を借りて、無理せずにやったらいいですよ。