教育とは | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

「総合型選抜に合格するコツを教えます」
「高いレベルの大学に簡単に受かるチャンスです」

こういうキャッチコピーって本当に嫌だなぁって思う。

受験であったとしても、教育である。
いかにも総合型選抜はおいしいみたいな、ちょっとしたコツで何とかなるみたいな、そんなことを宣伝するのは、単なるビジネスに過ぎず教育ではない。
もちろんビジネスだって理念があって、そこには志がある。
これは金儲けだろう。

もう一つは、小論文を書いたり、志望理由書を書いたり、面接を受けたりというのは、未来を語ると言うことだ。
英語とか数学を勉強することはとても大切で、大きな努力だって求められる。
それと同じことで小論文を書くことだってとても大切で大きな努力が求められる。
両者に共通する事は、未来のために自分が何をなすべきかであろう。
それを導き、その学びの楽しさを伝えることを教育と言う。
偏差値や合格のためだけのために教育があるのではない。



勉強することや学ぶ事は、本来絶対的に楽しい。
興味関心があるから楽しいのではなく、本質的に楽しいのである。

その楽しさを伝えることが、教育の最大の楽しさであり、喜びでなければならない。
それは学校であろうと塾であろうとなんら変わるものではないはずた。
もちろん、企業の中で社員を教育するのだってみんな同じだし、家庭の中で子育てをするのだってみんな同じだと思う。

だからこそ、教育者は先生と呼ばれる。
「そんな大げさな」
と思われる人もいるかもしれないけど、私にとっては大切なことだ。

朝4時半に目が覚めた。
学ぶことの楽しさを伝えることに失敗した悪夢を見た。
そのプレッシャーは、とても大きなもので、それはしばしば悪夢となる。
だからこそ、
「とても授業が楽しかったです」
そんな一言は、合格の報告の何倍も嬉しい。