21世紀型教育を謳っても | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

近年、「21世紀型教育」の必要性が求められている。

むろん、それは自発的に学び、考え、行動するかであるが、その本質的背景としていつくつか必要なものがる。

 

それは、生徒も教師も、その学校が

「楽しい」

と感じていることであり、同時に友人に自分の学校を勧めることができるかであろう。

 

そもそも、「考える力」に繋がる「思考」とは、楽しいことが絶対条件である(小論文指導や志望理由書と同じである)。

 

「21世紀型教育」を謳ってていながら、生徒は自分の学校を楽しいと思っていない、教師は不満たらたら、

「うちも生徒はダメだ」

「うちの学校は遅れている」

ばかり。

 

そんな残念な状況の学校は、いくらパンフレットに「21世紀型教育」などと書いても、それは単なる宣伝にすぎない。

 

私の知る限り、本当の意味で「21世紀型教育」に取り組んでいる学校の生徒は、学校が大好きであり、なにより「学問」(勉強ではない)が楽しくて仕方がない

小論文指導や志望理由書と同じである)。

 

むろん、教師に対しての不満は小さい(校則などの問題ではない)。

さらには、偏差値に関係なく、教師は自分の学校の生徒が自慢であり、なにより授業の準備が楽しくて仕方がなく、外部に生徒を自慢する。(小論文指導や志望理由書と同じである)。

 

 

様々な技法はあろう。

しかし、そもそもその本質を大切にしていない学校に「21世紀型教育」は無理であり、結局は「あきらめの教育」か「力による教育」となる。

 

「21世紀型教育」は、間違いなく楽しく、それは学校の宣伝のためでも、教師の自己満足や逃避や言い訳のためでもなく、なにより生徒のモチベーションを上昇させ、自発的な行動や発言に100%繋がる。

 

その手ごたえを感じたとき、教師はまさに「冥利」に尽きる