中学生や高校生と接していると、彼らが間違えることを酷く恐れていることがよくわかる。
別に、これは今の中学生や高校生に始まったことではなく、基本的には、日本の教育では「間違い」はダメであり、「ひとつの正解」をみんなで目指すものだ。
そうなれば、いつもミスや失敗は「間違い」であり、それを恐れるマインドが育って行くからであろう。
「答え」がたくさんある、、、、
これもなんだか変で、「答え」ではなく「考え」だろうとも思うが、やはりどうしても「正しい」「間違い」に分類しがちだ。
今年のクリティカルシンキング講座の第一弾は、
「写真を見て課題を見出し、さらに解決策を考える」
写真は何気ない街の日常であり、各自が見出す課題は多様であり、さらにその課題に「間違い」などはひとつもない。
ただみんなで相談するため、大切なことは他者からの「支持」であり、その「支持」を得るためには、ミスや失敗を気にしない他者への説明が大切だ。
さらに「支持」された課題について、みんなで解決策を模索して、最後に発表してもらう。
日本社会はミスや失敗に厳しい。
それは製品の安全管理、鉄道の運行、さらに接客などのサービスにおいてとても大切な思考だ。
ただ学ぶ時に、あまりにそのマインドが強くなり、内申点を気にして忖度したりしてれば、ミスや失敗を恐れてチャレンジしなくなってしまう。
近年はスポーツ界は、このミスや失敗をポジティブに捉える思考も広がっているが、残念ながら学校教育、特に勉強ではそうではない。
だいたい人の人生は、ミスや失敗の連続であり、「正解」なんてあっても時代とともに変化していくものだし、全員が同じ「正解」にする社会なんてまるで全体主義だ。
織田信長は越前で敗退し、西郷隆盛は島流に合い、源頼朝は伊豆に追放され、徳川家康は三方ヶ原で逃げた。
みんなよくミスって失敗している。
昔からいうではないか、
「失敗は成功の母」
至極、名言である。