ミスや失敗を気にしない教育 | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

中学生や高校生と接していると、彼らが間違えることを酷く恐れていることがよくわかる。


別に、これは今の中学生や高校生に始まったことではなく、基本的には、日本の教育では「間違い」はダメであり、「ひとつの正解」をみんなで目指すものだ。


そうなれば、いつもミスや失敗は「間違い」であり、それを恐れるマインドが育って行くからであろう。



「答え」がたくさんある、、、、

これもなんだか変で、「答え」ではなく「考え」だろうとも思うが、やはりどうしても「正しい」「間違い」に分類しがちだ。


今年のクリティカルシンキング講座の第一弾は、


「写真を見て課題を見出し、さらに解決策を考える」


写真は何気ない街の日常であり、各自が見出す課題は多様であり、さらにその課題に「間違い」などはひとつもない。

ただみんなで相談するため、大切なことは他者からの「支持」であり、その「支持」を得るためには、ミスや失敗を気にしない他者への説明が大切だ。


さらに「支持」された課題について、みんなで解決策を模索して、最後に発表してもらう。


日本社会はミスや失敗に厳しい。

それは製品の安全管理、鉄道の運行、さらに接客などのサービスにおいてとても大切な思考だ。


ただ学ぶ時に、あまりにそのマインドが強くなり、内申点を気にして忖度したりしてれば、ミスや失敗を恐れてチャレンジしなくなってしまう。

近年はスポーツ界は、このミスや失敗をポジティブに捉える思考も広がっているが、残念ながら学校教育、特に勉強ではそうではない。


だいたい人の人生は、ミスや失敗の連続であり、「正解」なんてあっても時代とともに変化していくものだし、全員が同じ「正解」にする社会なんてまるで全体主義だ。


織田信長は越前で敗退し、西郷隆盛は島流に合い、源頼朝は伊豆に追放され、徳川家康は三方ヶ原で逃げた。

みんなよくミスって失敗している。


昔からいうではないか、


「失敗は成功の母」


至極、名言である。