8月10日と「時」 | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

1675年8月10日、つまり今から348年前の今日、ロンドン郊外で1つの建物の工事が始まった。

グリニッジ天文台である。


これは現在も残されている、その当時の建物だ。



この建物のある場所が、グリニッジ標準時、つまり世界の時計の基準となったのである。


現在、世界には様々なスタンダードあるが、「時」の基準ほど普遍的でわかりやすいものはないのではないか。

現在、戦争をしているロシアとウクライナだって、政治的また領土的な主張は異なっていても、同じ「時」の基準を用いている。


そのような「時」の基準が生まれた348年前の8月10日という「時」も、現代世界で共有できる。


さて、348年前、つまり1675年頃の日本は、どのような社会だったのであろうか。


1672年には、百貨店の松坂屋が開店し、翌年には、三井高利が日本橋に越後屋呉服店を開店、後の三越となる。

意外に、現代の日本につながるようなビジネスが始まっていた時期でもある。


一方、1830年の旧暦ではあるが8月10日、鹿児島県に1人の男の子が生まれる。

今度は8月10日の話だ。

この男の子は、貧しい家庭に育ちながらも、近所に、3歳年上の良き友人に恵まれ、勉学に励み、謹厳実直な人柄の人物として育っていく。


後の大久保利通である。

もちろん、3歳年上の良き友人とは西郷隆盛だ。

その2人が成し遂げた最大の偉業とは1868年の明治維新であろう。


その1868年に愛媛県の伊予松山にふたりの男の子が生まれる。

そういえば、グリニッジ天文台が着工した1875年、伊予松山藩は深刻な飢饉に見舞われていたが、それから100年近い治世の中で、安定した穏やかな日々を送れる土地柄となっていた。


その土地に生まれた1人の男の子とは、のちに日本海海戦の作戦を担当した秋山真之のことである。

もう1人は、明治時代に俳句の改革を起こした正岡子規である。

そんなことで、9月になったら、秋山真之と正岡子規に会うために伊予松山に行こう。


その地で、見たままの伊代松山ではなく、グリニッジ天文台を想像できるような、そんな1人「青空歴史教室」をやろう。


そんな予定を立てるのも「時」の基準が大切だ。


おかしなことだと思われるかもしれないけど、私の小論文の個別指導と言うのはこんな話もする。

良きかな。