障害者雇用とインクルージョン | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

「特例子会社」という制度がある。

障害者の雇用に特別な配慮をした子会社で、雇用される障害者が5人以上、全従業員に占める割合が20%以上、などの一定の要件を満たした場合に、厚生労働相が認定する。

この子会社で雇用した障害者は、親会社の雇用とみなして雇用率に合算でき、2022年6月1日現在で全国に579社あり、約4万4千人の障害者が雇用されている。


この障害者雇用の中で、劇的に数を増やしているのが精神的な障害を持った方々だ。


身体的な障害者雇用や知的な障害者雇用も増加しているが、精神的な障害者雇用は15年前はほとんどゼロだったことを思えば、劇的に増えている。



「自閉スペクトラム症の可能性が高い」


幼少の頃から、人とうまく関わることができず、


「変わってるね」

「どうしてもっと仲良くならないの?」


などと言われるたびに、ますます心が萎縮していた。

ある28歳の青年は、話してくれた。

中学校や高校は、親の仕事の関係でアメリカで過ごしたが、やはりそこでも同じような変な人扱いだった。

帰国した後、英語ができたので東京の難関私立大学に進学した。

しかし、就職の時期になると、人との関わりが苦手なことがネックとなり、就職から逃れるように大学院に進んだ。

しかし、大学院のゼミの中では、コミニケーション能力が重要視されるため、むしろ孤立化が進んでしまった。


結局、大学院を卒業した後も就職することももならず、自分のことをいろいろ調べてるうちに、ふと思い当たったのが、発達障害だった。

大きなショックだった。


それから、2年間クリニックに通い、出会ったのが「特例子会社」制度であった。

変わった人という扱いではなく、精神的に障害を持っていることを前提として雇用された。

そこではその個性が尊重され、無理をしなくてもいいよ、ゆっくりやればいいんだと周囲は暖かく見守ってくれた。

そのうちに、翻訳の仕事や、外国と関わる仕事を任されるようになり、すると900点台のTOEIC や、英検一級の力が発揮できるようになった。

あるほど人との関わりがうまくいかず、自己肯定感が低かったことが嘘のように、徐々に徐々に自分に対する自信が持てるようになり、余暇にサイクリングに挑戦したり、旅行を楽しめるようになった。


もちろん「自閉スペクトラム症」であることに変わりは無い。

周囲の環境が変わり、彼の存在を認め、受け入れることができる社会に変化してきたことが、彼の自己肯定感を高めたのである。


私が若い頃の社会は、こうした社会ではなかった。

何らかの精神的な障害を持ち、社会に適合できなければ、それは社会の中で自己肯定感を高めていくことができなかった。

みなと同じようにできなければ、変わってるねぐらいだったら良い方で、現実には仲間外れにされた。


インクルージョン(全ての人を受け入れる)な社会とは、多様なたちが自分らしく、生きる社会を実現することである。

障害のある人や、妊婦さんや、LG BTの人や、多様なルーツを持つ人などが、それを理由に仲間に入ることができないとか、社会の中で皆が享受できることを自分だけできないといったことがなくなり、皆が機会やチャンスがある社会を実現することである。


それは確かに、今までの歴史や文化、さらには伝統の否定になるかもしれない。

でも、そもそも、歴史や文化や伝統は可変的なものであり、常に変化しながら、新しいものを積み上げていって、歴史や文化や伝統になるのである。


ただただ、


古いものはそのままが良い

昔はそうじゃなかった


などと言っていては、歴史や文化は生まれないのである。


この28歳の青年がもし30年前に生まれて私と同年代であれば、今の時代の何倍も何倍も辛く、窮屈な人生を送らなければならない。


しかし、この青年は今日を自分らしく生きている。

私たちが住む社会は、私が若かった頃よりも何倍も良い方向に向かっている。

良き事かな、、、