まずテストを受けて、さらに一般的な「直し」をしても点数は上がらない。
そんなことを書くと、
「そんなことはない、直しは大切」
と、先生方から反論されそうだが、どれだけ検証しても「直し」だけで点数はあがらない。
上がらないのである。
ためしてみるといい。
マークの問題でもよい。
例えばテストで50点だった生徒が、解説を見ながら「直し」をした。
そな2日後に,同じ問題のテストをしたら100点になるか?
絶対にならない。
よくて70点程度。
わずか2日後の同じマークの問題である。
つまり、「直しをしておけ」とは、少なくとも日本史に関しては残念なほど無責任な指導だ。
もちろん、模試の前に過去問と解説を配布して、
「やっておけ」
を実際にやっても、無意味だ。
断言できる。
「覚えない日本史」の最後のハードルはこれだった。
このハードルを超えるには、どうしても「日程」と「手順」を確立する必要があり、それが極めて困難だった。
つまり、
「テスト①」
↓
「直し」
(情報収集)
↓
「テスト②」
(同じ問題)
↓
「テスト③」
↓
「テスト④」
この「日程」をスケジューリングする。
さらに「手順」。
同じテストでも、いつも全問やる。
世の中の常識は間違えた問題だけやり直すが、スポーツならそれはあり得ない。
上手くできたプレーをなん度もやるではないか!
正解した問題もやり直すのである。
そのほかにも、テストの仕方の細かいルールを作った。
すると、恐るべき偏差値の上昇が起こった。
同じ40人で、数学や英語の全員の偏差値平均を出す。
その数字と同じ模試の日本史の偏差値の平均を比較すると、このトレーニングをした場合、常に10から15ポイントは上になるのである。
しかも「情報収集」と「テスト」のトレーニングをするだけで、「暗記」をしていない。
ついに仮説が実現した。
これは最後の勤務校の教えていたクラスの場合、全ての模試でクラスの偏差値平均は愛知県1位だったことで、確信に変わった。
こうなれば、
「覚えるしかない」
「教科書を読め」
「漫画を読めば?」
「流れを掴め」
こういう言葉が、いかにいい加減で根拠なく、失礼だが、情けないほどの素人発言かわかる。
そうなるとあとは「授業」と「教材」である。