坂の上の雲と伊予松山 | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

中学1年の時、秋山好古、秋山真之、そして正岡子規に出会った。

むろん、司馬遼太郎の『坂の上の雲』の中である。



幼少から本を読むのが大好きだったが、中学1年生の時に出会った『坂の上の雲』は衝撃的だった。

ハードカバーの分厚い本が合計6巻。

この全6巻の物語を読破するには、いかに読書好きな中学1年生であったとしても.とても困難であった。

ましてや登場人物が多彩であり、ロシア人の名前等は容易に理解できるものでもなく、初めて読むのにざっと3ヶ月かかった。


しかしこの時は、残念ながらその物語の全貌を理解できず、何が何だかよくわからなかった。

そこで読み終わった後にもう一度最初から1ヶ月かけて読んだ。


そうすると前よりは、秋山好古、秋山真之、正岡子規が知り合いになった。


この表現は曖昧である。

本の中の登場人物を知り合いと考えるなんて少し変だ。

しかし私にとって本の中の登場人物と自分が所属する学校のクラスの友人は大きな差はなく、双方ともにリアルなのである。


そこで3回目の読書となる。

感覚的に言うと友達と遊ぶ回数が徐々に増えてきたといったような感じで、この3人と慣れ親しむようになってきた。


そして4回目、5回目、6回目と続き、おそらく人生で少なく見積もって坂の上の雲は50回を読んた。

そうなればこの3人はもう親友だ。

つまり中学生の頃に知り合った3人が、生涯の友となったのである。


私にとってこれ以上長い付き合いの友人はいない。

気がつけば伊予松山は、私にとって故郷のようなものだし、小さい頃、何やらこの3人と松山で遊んだような気もするし、明治時代の東京を共に過ごしたような気がするし、何より人生を共にしてきたような気がする。

そうするとこの3人が色々と人生で導いてくれる。

日本史の教員の端くれになったのも、この3人との出会いがあったからだ。

また、十数年前のことだが、伊予松山出身の元テニスプレイヤーと知り合ったことがある。

あの有名な伊達公子さんの同世代のテニスプレイヤーであり、月のような人で、人生のヒントをたくさんくれた。

こうしたのもあの3人が導いてくれたのであろう。


3人の中で1番年上の秋山好古は


「死ぬまで働け」


がモットーである。

なるほど今の私にとってそれはとてもわかりやすい。


秋山真之は頭脳明晰、私などとは大違いであるが、ある時、先輩からこのようにアドバイスを受けた。


「君は頭脳を休める訓練をせよ」


私はその数年後に、偶然にも父親から同じアドバイスを受ける。


正岡子規は俳句の世界において、過去の常識を大きく覆す、そんな孤独な戦いをした。

もしかするとそれは今、私が孤独でも日本の教育を変えたいという志の道しるべだったに違いない。


この3人と出会ったことで、人生は大きくかわり、また様々な人に出会えた。

あの元テニスプレイヤーといつか伊予松山を訪れたいものである。

そして、こんなふうに3人に挨拶する


「久しぶり!、元気だったか?」