あの生徒はやる気がない | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

職員室などでとてもよく耳にした先生方の言葉だ。

 

確かに、先生方から見れば、授業中に居眠りをして、ノートもまともに取らず、話を聞こうともしない生徒は、間違いなく「やる気がない」であろう。

例外な先生を除いて、先生の授業の準備は大変であり、私などから見れば極めて計画的で準備周到な授業準備をされている先生も少なくはない。

 

しかし、それでも「やる気のない」生徒は、授業を聞かないし、居眠りをする。

さらにその居眠りを一生懸命に起こしている先生も少なくなく、なんともご苦労なことだと思う。

 

ただ、生徒側にも少なからず言い分がある。

 

確かにすべての授業で居眠りをしているような生徒もいるが、授業によっては熱心に取り組み、授業によっては居眠りなんて生徒もいる。

そんな科目の好き嫌いなんて言い訳でしかないと思われるかもしれないが、もっと微妙なのは、同じ日本史でも先生が別の方であれば、楽しそうに授業に参加している生徒もすくなくない。しかもその生徒は、また別の先生の日本史になれば居眠りをする「やる気のない」生徒になる。

 

居眠りをする。

 

居眠りをさせてしまう。

 

現実はどちらなのだろうか?

 

自分の授業に絶対の自信を持ち、自分に正義があると考えることは、必ずしも悪くない。

しかし、それだかでは、授業内容の進歩が無くなるのではないだろうか。

 

居眠りが起きてしまう状況について、「生徒がやる気ない」だけに原因を求めてしまえば、悪いのはすべて生徒になる。

しかし、もしかしたら「自分が居眠りをさせてしまっているのではないだろうか?」と少しでも考えれば、そこから授業の改善が始まる。

 

4月とは、新学期である。

多くの生徒はまた先生も、気持ちを新たにする季節であり、年間でもっとも生徒のモチベーションの高い季節でもある。

その最初の授業で、きっと1年間、楽しくわかりやすく、学力を伸ばしてくれる授業だろうと生徒に評価されるか、それとも「やる気のない生徒」ばかりだと1年間、生徒の悪口を言い続けるのか、その分岐点がこの4月だ。

 

新学期は生徒も保護者も、新しい先生との出会いにきっと期待をしている。

 

去年とは違う先生に出会えるのでは、

今年の先生はわかってくれるのでは、

新しい先生はきっとわかりやすい楽しい授業をしてくれるのでは、

 

そんな期待が満ち溢れる季節である。

 

だからこそ、「あの生徒はやる気がない」なんてさみしい結論にせず、生徒や保護者の期待に応える授業とはどのようなものか、それは過去の経験のなかにあるのか、それとも生み出さなければならないのか、常識やマニュアルの中に答えがあるのか、それとも自分が新しく誰にもまねできない世界を構築するのか・・・・

 

そんな模索をする4月であって欲しい。