夢をかなえる | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

昨日、昨年の9月から執筆をスタートした、4月に学研から出版する日本史の参考書の第1稿が完成した。

長年の日本史の「勉強法」の成果をまとめたもので、完成した瞬間はなんとも感無量であった。

 

このような出版をさせていただくなんて6年前は夢にも思っていなかったし、出版程度は世の中ではよくあることなのかもしれないが、夢がひとつ実現した。

このあとは、他社から「思考力のために日本史問題集」の出版、さらには新しい「歴史から考える力を育てる」(仮)の提案を出版社にしていく。

 

子どもの頃から、ずっと夢があった。

それは、ずうずうしくも司馬遼太郎のような「作家」になりたいと思っていた。

 

しかし、その夢はいつしか夢になり、夢に向けての努力などしなくなっていた。

 

11年前にこのブログをはじめ、勝手な思ったことを自由に書いてきた。

それは愚痴であり、嘆きであり、喜びであり、感動であり、感謝でもあり、特に目的があったわけではなく、自分の思っていたことを書き綴ってきた。

 

そうしているうちに、たくさんたくさん不思議なことが起こるようになった。

確かに、学校教員としては失敗に終わったが、自分の世界が思わぬところで広がり、教員をしたままであったら知り合うはずもない方に出会い、あり得ないような経験もできるようになった。

昨日も、東京外国大学大学の名誉教授の先生が塾まで来ていただき、教育に関して談義を2時間もさせていただいた。

高校の指導者が思い込んでいる推薦入試の小論文や面接の「常識」、学校の授業の「常識」をふたりで笑い飛ばす、そんな愉快な時間だった。

むろん、悪口ではない。

楽しかった。

 

その日々のなかで自分の夢を実現するために何かをしようと想い、どちらかといえばうまくいかない期間も長かったが、それでも「自分らしく生きる」とは何か、「自分の居場所はどこか」という問いにずっと向き合って努力をした。

 

私の亡父は、何冊かの学術書を書き、多数の雑誌や新聞に原稿を依頼されていた。

スイスに住む姉は、もうすでに何冊もエッセイを出版し、さらにアクティブに活動をしている。

広島で大学教員をしている弟も学術書を出している。

 

参考書ではあるが、ようやく私も夢の一歩を踏み出せた。

 

夢を叶えることは、実は自分次第であり、それが困難か容易かの問題ではない。

そのための努力とは結構楽しく、それほど苦ではない。

ようは、夢を信じること、夢を大切にすればよい。

 

あと2週間で56歳になる。

子どものころ、明治生まれの祖母から、

 

「お前は大器晩成だね」

 

などと言われ、小さいながら最初に覚えた四字熟語は大器晩成だった。

 

夢の基準なんて人それぞれで、その内容だって、そもそも人が推し量れるものではなく、おおよそは変であり、だからこそ夢である。

そんな自分なりの夢のある人生は、結構楽しくなんとも「自分らしく生きる」ことができるものである。

 

画一的に、みんなで同じように、横並びに、「常識」に疑いを持たず生きていくのは、私には結構な苦痛で、最近は「自由」になれた。

そうすると夢は叶うようになる。

 

これこそが真理かもしれない。