将来就きたい仕事を書かせ(それは絶対にサララーマンではなく)、大学で学びたいことを大学のパンフから見つけさせ(特色のある留学制度や講座がお約束)、あとはそれを綺麗な文章(むろん先生の添削)にまとめる・・・
大学の推薦入試の、まさにマニュアル通りの指導法です。
つくづく思うのは、こうした金太郎飴のような内容に差のない志望理由書を、受験生の数だけ読まなければならない大学の先生の苦痛です。
志望理由書に定型文のようなマニュアルがあること自体がそもそもおかしいのです。
その大学に行きたい理由とは、皆が異なるはずであり、マニュアルで書けるはずもないからです。
多くの高校生は、将来の就きたい仕事は漠然であり、さらには大学の特色だけで志望校を決定しているわけではありません。
普通に考えれば、偏差値から目標とできる大学が絞り込まれ、その候補の中から受験を決めていきます。
むろん、大学入学などは、人生の通過点に過ぎませんが、同時に大学選びが人生を大きく左右することも事実です。
もし生徒が志望理由書に、
「偏差値が高いから志望しました」
と書けば、多くの教員は、その内容を直させるでしょう。
しかし、冷静に考えれば、その正直さこそ、人生を冷静に考えた読むに値する志望理由書かもしれません。
つまり、志望理由書に、「将来の就きたい職業」「大学で学びたいこと」がまったく登場しなくたって構わないのです。
言いたいことは、志望理由書にマニュアルはなく、定型文もないのです。
人間を18年もやっていれば、すべての人には独特の個性があり、それぞれの感性があります。
言い換えれば、大学選びの基準なんて人それぞれであり、なにも「将来の仕事」から決める人ばかりではないということです(当たり前ですが)。
世にマニュアル通り、定型文の志望理由書ほどつまらないものはありません。
人とは違った価値観が書かれてこそ、その人らしい志望理由書といえるのです。
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