受験指導とはなんのためにするのか? | これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

今の時代、教員には必ず受験指導力が求められ、その指導力に自己満足で済む時代は過ぎ、あくまで客観的な結果をだすことが要求される。
そうなると、教員は様々な手法を必死に研究し、少しでも結果に結びつくような努力をする。
教員にとっては大変な時代になったものだ。

さて、今日、ふらりと近所の本屋に立ち寄ったところ、こんなフェアをやっていた。

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大人が、もう一度、高校の教科書レベルの日本史や世界史、倫理や政経を学ぼうというのである。
なかなかいい企画だと思った。

私の周囲には、教員の方はもちろん、兄弟も含め、受験の勝利者が多い(むろん私を除く)。
必然的に、高校時代に各教科の内容をしっかり把握し、理解も深いはずの人が多い。

さらにいえば、こうした本を購入する方は、本屋さんの話によると(そんなことを聞くのもどうかと思うが)、意外にも高学歴の方が多いという。
つまりは、かつて必死に勉強をしたものをもう一度、やり直そうということであろう。
これまた素晴らしいことだ。

そもそも受験指導とはなんのためにするのか?
むろん、大学に合格させるためではあるが、それはひとつの手段にすぎない。
少なくとも、私の場合は違う。

日本史で受験をする以上は、日本史で高得点を得てもらい、なおかつ志望校に合格してほしいが、もしそうしたことが実現すれ、きっと日本史に対し肯定的になる。
仮にもともとは苦手でも、つまりは日本史を好きになってくれる。

受験指導の究極の目的とは、その科目を好きになってもらうことであろう。

偏差値を上げること、合格させることは手段であり、決して人生の目的ではない。
しかし、歴史を好きになることは、素晴らしき人生の目的となり、好きになった分だけ人生を豊かにしてくれるように思う。
もちろん成績があがれば、本人の自信や誇りになることも、人として成長する糧となる。

日ごろの定期考査であっても。、数がよくなれば自然に勉強も楽しくなり、そこに新たな興味関心が生まれ、なにより勉強が好きになるかもしれない。
もちろん、興味関心が最初から高ければいいのだが、さらには興味を引くような内容ばかりの授業をしていても、その場だけの興味はともかく、そもそも歴史を好きな生徒がどんどん増えるわけでもなく、さらには学び合いをおこなってもそれは容易ではない。
しかし、点数が良くなると状況が激変するケースは非常に多く、さらには歴史好きが学問に昇華していくケースも少なくない。
おまけで言えば、そうした高校生が一人でも歴史学科に進学してくれたら、もうそれで万々歳だ。

今日の本屋さんでのフェア。
いうまでもなく、過去にかかりなく、大人になり新たに関心を持ったりチャレンジしてみようというケースだってたくさんある。
それは素晴らしいことだ。
同時にそれを若い頃、つまりは中学生や高校生の頃にできれば、それにこしたことはない。
受験指導とはそのためにある。

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