これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

対話とは相手を説得するディベートとは異なる。

もちろん、授業中に先生が質問して、生徒が正解を答えるのも対話ではない。


若者のコミュニケーション能力を低くない。

ただ、小さい頃からの教育で「間違い」を恐れて、「正解」ばかりを求める。

考えると称しても、ほとんどが最初から「正解」があり、その上を歩いて行かなければならない。

だから、会話と対話の区別がつかなくなる。




対話とは疑問の連続であり、他の人が見えることがない世界を発見し、それを解決することで、また新しい疑問を見つける。

これがクリティカルな世界である。


クリティカルはあんまり効率性は良くないし、目の前の暗記型のテストには役に立たないかもしれない。


でも多様な人と共感(エンパシー)の可能性は高くなる。

小論文を書く上で、このクリティカルを学ばなければ、小論文に書く内容は「正解」はばかりになり、「コツ」なんてものが、考えになってしまう。


対話は学びの楽しさであり、未知である。

今日は千と千尋の神隠しがテレビで放映されていた。



主人公のせんはとってもクリティカルだ。

絶望や恐怖を、絶望や恐怖として受け入れるのではなく、希望や愛として考える。


私たちの世界は、何かで間違えれば、せんの両親のような選択をしてしまう。

目の前のおいしそうな食事を、何の疑問もなく食べ続ける。

それは、何だか違うような気がする。

そこで立ち止まって、考えることができれば、正解とは違うものを見ることができる。

そんな疑問を育てていくのが対話である。


去年、中学受験の指導をされている方から、中学受験にクリティカルは必要ないと教えていただいた。

さらに中学受験をする保護者の方は、クリティカルよりもわかりやすい偏差値を重視していると教えていただいた。

そうなんだろうと思う。


確かにそれなら対話が必要がない。

小論文でも、対話をしない添削指導だけ、それも決して少なくない。


だから

もしかすると、クリティカルカルな対話は、社会で必要とされてないのかもしれないし、ましてや教育とは逆行してるのかもしれない。 


昔はそれと対立していたけど、今は、それも1つの選択肢だと思う。

選択肢がある社会は良い社会だからだ。


千と千尋の神隠し

こんな物語をどうやって考えるだろうか?

たくさん暗記したからだろうか?



それともみんなで対話をして、クリティカルに見えない世界を見たからだろうか?

科学の世界の文学の世界のアニメの世界も、みんなクリティカルだ。


戦前に軍部の力が強くなり、戦争に正義がある時代に、反戦を唱えることが命の危険が大きくなったとき、政治家の斎藤隆夫は、最後まで、その節を負けず、当時としては、夢物語であり、お花畑であり、非国民だと思われる平和を希求した。

選択肢のない世界に平和を考え続けた。

そういうすごいなと思う。

そんな彼は、国会で演説をする。

それはきっと対話であろう。


その先に、きっと明るい未来があるような気がしてたまらないのである。

だから今年もたくさん対話をしようと思う。




大学を卒業し日本史教員となって、気がつけば32年も日本史教員をした。

大学を卒業するときに亡き父から言われた。


「ソニーでもトヨタでも紹介してやるぞ」


父は大学教授であり、そんな立場にあり、そんなことができた時代だった。

もしあの時にその提案を受け入れていたら、また全く違った人生があったであろう。

もちろん、いろんな苦労もあって、いろんな楽しみもあって、それはそれできっと良かったと思う。

でも、その道を選ばずに教員になった。


教員の世界が悪いわけではないが、教員の世界は、ずいぶん自分にとっては窮屈だった。

どんな世界にも常識当たり前がある。

それに疑問を持つことがとっても好きだった。

それだけではなく、その疑問を問題だと考えて解決しようとしてしまう。

きっと、今の時代だったら、学校でも企業でも評価されるかもしれない。

でも、少なくとも自分がいた学校の世界はそうではなく、それはそれは煙たがれる存在になってしまう。

そういった当たり前に馴染んだり、大人の対応できなかった自分がもちろん悪い。


ただ、自分らしい生き方であったかと言われれば、とてもじゃないけど、そうではない。


教員生活最後の6年間は、名古屋市内の私立高校に勤めた。

そこでは疑問があっても、口に出すことなく穏やかに過ごした。

幸いにも、学校の先生たちも、中年の新ししい先生を優しく迎えてくれて、ちゃんと立ててくれたので、それはそれで居心地が良かった。

ただ、これもあんまり自分らしくなかった。


この学校で、教員生活最後の授業をした。

高校3年生の12月、日本史の授業だったので、受験対策をしなければならなかったと思うけど、32年間の最後なので、わがままに50分も自分の好きなことを話させてもらった。


話す前に黒板に書いた。

「自分らしく生きる」

「る」だけが写っている。


その授業で、生徒さんがとってくれた写真だ。


自分らしくってなんだろうかと気をつけば32年も考えてた気がする。


日本史の授業を極めること

受験指導のプロフェッショナルになること

進路指導で日本一になること

こんな目標を持ったこともある。

でも、なんだか違う。


教えることってなんだろうか?

そもそも勉強ってなんだろうか?


中学校高校大学でまともに勉強しなかったので、よくわからなかった。

一生懸命勉強するようになったのは35歳位から。

取り戻すのはとても大変だったけど、意外と楽しかった。


最初は指導で勝つためや、生徒の偏差値を上げるために勉強していたけど、だんだんとそういったことではなくて、もしかしたら勉強って楽しいんじゃないかと思うようになってきた。


昔、父が言った言葉を思い出す

「勉強は競争のためにするものじゃない」


もしかしたら勉強って、良い人を育てたり、良い社会を作るためにあるのではないか。


教員をしている間はずっと窮屈だった。

でも辞める頃、つまり7年前の春くらいから

「教えることをやめてはダメだ」

そんなふうに思えるようになって、それが人生の目標になる。


すると、いろんな人に出会えたり、いろんな話を聞いたり、同時に、自分が学んだり経験できるようになる。

窮屈だった世界が変わって「希望が有る」世界と出会えるようになった。


自分らしく生きるとはなんだろうか?

それは、きっと「希望が有る」世界を作っていくことではないか。

なんだかとっても抽象的だけど、私にとっては、これが1番具体的だ。


毎年のように、高校3年生の指導が終わるとお別れの季節になる。

でも、そんな高校3年生の中には、10年前に青空歴史教室に参加してくれて、それから、ずっと受験的では無いけど、クリティカルシンキング講座に通ってくれたりして、人生の半分以上を付き合ってくれた生徒が毎年いる。

もちろん高校3年生になってから出会う生徒もたくさんいる。

26年間、勤めた学校の現役の高校生や、最後の6年間、勤めた学校の高校生の皆さんも来てくれるし、気がつけば、47都道府県のうち31県の生徒さんと出会えた。


もちろん、中には良い関わりを作ることができなかった人もいる。

それは私の心の狭さだ。


それでも自分らしく生きることが最近はちょっとだけできるようになっている。


「希望が有る」世界は居心地がいいし、いつも「足りない」を感じて向上できる。


5年前に人に請われて詩を書いたことがある。

「足りない」をどう見つけて、それを満たし、「希望が有る」世界を夢見る、そんなことを書いた。


2025年が終わる。

あんな酷い人間が、少しは良い人間になれただろうか。

笑顔で手を振ってもらえる人間になっただろうか。

いまは教えることが生き甲斐であり、僅かでも必要とされる事が嬉しい。


トヨタやソニーに行かなくてよかった。

無論トヨタやソニーもこんなやつがきたら迷惑だったろう。

そう思うと、あの時、教員を選んだのはなかなか良い。


自分らしく生きる

良いかな


皆さん

本人どうもありがとうございました。


「希望が有る」良いお年を



クリティカルシンキング講座を始めてもう何人になるだろうか。

昨日は、そのクリティカルシンキング講座(小論文講座)の今年度の高校3年生の最終授業だった。

3年生の講座は、例年は6月位に解散になる。

それは、それぞれの進路に応じて、全員が個別指導に変わっていくからだ。


ただ、去年は個別指導と並行しながら、また、受験に小論文が必要でなくても、参加をし続けてくれて、11月まで続いた。

そして今年は12月が最終となった。


すでに推薦入試で合格している生徒、また、受験では小論文が必要がない生徒も含めて、こんな時期まで続いた。


「クリティカルシンキングの塾なんて人が集まるわけない」

6年前、男性の名古屋市議さんは、薄笑いを浮かべながら、そういった。

この方は、ジェンダーは男性への逆差別になるし、女は生意気だなんて言うおじさんだった。

一方で、ある女性の名古屋市議さんは、クリティカルシンキングに共感していただき、塾までお話を聞きにいらしてくださった。

この方は、女性の味方であり、弱い人の味方であり、子供たちの味方である立派な人だ。


私は、クリティカルシンキング講座を通じて、受験によって道を開く高校生を育てたい。

しかし、それ以上に、クリティカルな思考を学ぶことによって、社会の様々なことに疑問を持って課題を発見し、その問題を解決することによって、社会に貢献できるような、そんな若い人たちを育てたいとずっと思っている。


今回の高校3年生のクリティカルシンキング講座の参加者は、早い時期からだと、中学生の頃から、また高校1年生からずっと参加してくれている。

いわゆる学習塾と違って、学校の評定に直結するわけでもないし、偏差値が上がるわけでもない。

それでもほとんどの生徒がずっと辞めることなく継続して通ってくれる。

クリティカルシンキングを笑った男性の名古屋市議さんには、わからない世界だ。


でも、ちゃんと理解をしてくれる高校生や保護者の方がいらっしゃり、関心を持ってくださる名古屋市議さんもいらっしゃる。


最後の授業の時、公立高校の男の子はこんなお土産を持ってきてくれた。


これをみんなでいただきとってもおいしかった。

保護者の方からも、温かいメッセージもいただいた。

そして、最後まで、クリティカルな学びを続けた。


クリティカルシンキング講座は、小論文の学びだけではなく、

オリジナルの教材を通じてブランディングに挑戦したり、

トランプ大統領について考えてみたり、

自民党の総裁選挙を予想してみたり、

災害対策はどうすべきかを話し合ってみたり、

ジェスチャーで人に何かを伝えてみたり、紙とハサミだけでタワーを作ってみたり、クリティカルな蜘蛛の巣に挑戦してみたり、動画を見てストーリーを考えたり、

ダイバーシティ運動会を企画したりする。

なんだか不思議な世界だけど、その学びはいつも楽しい。


勉強とは競争のためにすることではない。

自分自身が成長し、良い社会を作っていくために勉強は存在する。


大人が思ってるほど高校生はダメではない。

むしろ大人が思っている何倍もいろんなことを考えているし、環境問題やジェンダー、格差や戦争についての意識も高いし、差別的な大人への否定感も強い。


先程の男性の名古屋市議さんが、もし塾に来たら、高校生からきっと笑われる。


もう1人の女性の市議さんが、いつか高校生とお話をしてくれることをいつも楽しみにしてるし、高校生たちと、きっとたくさんの共感を得ることができる。


クリティカルな学びについて、いつも高校生や保護者は、こう語ってくれる

「ずっと将来にわたって役立つ学びです」


また、来年も、クリティカルな学びをどう伝えることができるか工夫して、何ができるかを考えながら、高校生と一緒に未来を語っていこう。


楽しい本当に時間をありがとう。

昨日は高校1年生、年内最後の小論文講座。

良き小論文を書くための絶対の条件である「メモ」についての授業を行った。

「メモ」において、最も必要な事は2つ。


視認性

再現性


この2つの意味について、時間をかけて説明し実際にメモをしてもらった。

もちろんこれは小論文だけではなく、一般的な授業でも使えるので、学力の向上にも大いに役立つ。

特に再現性は重要で、こうした小さな積み重ねが小論文への道となる。





また、今回は特に

「とりあえず書いてこい。添削してやる。」

この言葉が小論文には何にも役に立たないことを説明した。

つまり、何の指導もなく書かせても意味がないし、さらには文通的な添削が綺麗な文章を書く以外に役立たないことを納得してもらった。

ちなみに、この場合の添削とは、書いたものを提出させ、1週間後、遅いと1ヵ月後に赤でいろいろ書いてあって、返却されること。


このように小論文を高校1年生の冬から取り組み、PBLの取り組みによって教養の幅を広げていく。

そのための基盤となるものが「メモ」だ。


もちろん、正解的なものを書いて、添削をしてもらえれば、表面的でも綺麗な文章は一応完成する。

ただ、本質的な思考力や、問題発展に至るマインドセットや、それを証明していく論理性が育っていかない。


どのような学びを選んでいくかは、本人の自由だ。

もちろん、指導者が指導しているふり、つまり、形だけ、テンプレートマニュアルで添削をするのは良くないけど、それを選択するのも、高校生や中学生の自由だ。


ただ思うことがある。

大学受験までの間、英語は6年間ほど学び、受験勉強に大学にもよるけど、1年間ほどの時間を費やす。

なぜ小論文が1ヵ月や2ヶ月で何とかなると思うのだろうか?

総合型選抜の出願まで「あと8ヶ月」。

これをもし現高校2年生の来年の共通テストに置き換えれば、今は高校3年生の夏休みだ。


高校2年生にとってはのんびり構えている時期ではない。

もちろん、高校1年生にとっても、英語や数学と違って、小論文は今まで取り組んできたわけではない。

月に1回で2回でも良いので、小論文に取り組みそれを継続させることが未来への選択肢を増やす。

もちろん、英語や数学も頑張るのは言うまでもない。


高校生の一人ひとりに、個性があって、受験にも多様な選択肢がある時代だ。

どの受験方法が上とか下とか大変だとか大変じゃないとかではなく、自分が頑張れること、取り組みやすいこと、楽しそうに感じることを選択しながら、自分の人生を切り開いていってもらいたい。


「総合型はお勧めしません」

「指定校推薦はダメだ」

などといった選択肢を規制するような進路指導は、人権侵害だと思うし、まるでファシズムだ。


どんな受験方法だって大変だし、努力がいつも必要だ。

それを一生懸命に応援してこそ教育だと思う。

とりとめもないことばかり書いているか、高校1年生に小論文指導しているとこんなことを考える。




小論文を指導する上で、指導する側のフィールドワークは極めて大切だ。

文章の書き方などではなく、幅広い知識や本質を見抜く力、それを育んでいくのがフィールドワークだ。


そこで今回は静岡県静岡市の日本平

有名な観光地であり、日本平から望む富士山の景色は素晴らしい。

こういった地域がどのようにその観光資源を活かしながら、新たな開発に取り組んでいるのか、さらには自然の日本平、歴史の久能山東照宮、そして産業都市である静岡市の3つがどのような関わりがあるかを考えてみたかった。


日本の3大都市銀行は、横浜銀行、千葉銀行、そして、静岡銀行だ。

こう言っては失礼だが、横浜や千葉に比べて、静岡は、経済的にも人口的にも決して希望は大きくない。

その本質的な要因を風土や歴史から考えてみよう。

まずは静岡市の気候条件の素晴らしさだ。気候は温暖で冬はとても過ごしやすい。

静岡市の前に広がる駿河湾は水深2500メートルと日本の湾では最も深く、海洋深層水を採取できるほどであり、魚介類にも恵まれ、この季節にはいよいよ桜海老だ。


また古くから東海道に面しており、晩年の徳川家康が、駿府を居城としたことも、こうした諸条件が、大きな要因であろう。


そう考えると、その過ごしやすさや交通の便の良さ、また恵まれた食などを考えると、静岡市の魅力は大きい。


さて宿泊したのが日本平ホテル。

12月のこんな季節であり、観光客は少ない。

立地は標高250mより富士山・駿河湾を望む日本百景の一つ日本平だ。

80室の客室、5つの宴会場、4つの料飲施設、挙式場、SPA等から成る。

ライトウェル、クールヒートトレンチ、4万平方メートルを超える緑化保全、ゲストエリアのLED化、オール電化厨房の採用等によりCASBEE静岡Sランクを取得。

「日本平公園整備計画」に則った宿泊・コンベンション機能の位置付けとして国内初となる「民間拠点施設整備事業」の国土交通大臣認定を受けた。

つまり、単なるホテルではなく、静岡県や静岡市とともに整備事業計画を実施している。

窓からは、富士山が一望だ。

到着直後の部屋からの夜景は素晴らしかった。


あいにくこの日は雲がかかり、あまり富士山がよく見えなかったが、日本平からの富士山と駿河湾の眺めは絶景だ。

ホテルのロビーは、クリスマス。

飾り付けのストーリーを、ホテルのスタッフの女性の方が丁寧に説明してくれた。



また麓に降りてくれば、そこには三保の松原。

松の並木道と美しい海岸。そしてその背後にそびえる富士山。

これが観光資源にならないはずがない。


さらには、久能山東照宮は、平成の時代に大修復を行い、創建統治の鮮やかさを我々に見せてくれる。



全国にある東照宮の本山であり、日本平に車を止めるとロープウェーで一気に下って5分だ。


それぞれの場所は、昔からの観光地でもあり、いわゆる昔ながらの古い施設もあったであろう。

しかし、それらは一新され、とても美しく整備されどこも清潔だ。

食べ物も美味しくまた人々もとても親切なところである。


夜ご飯は静岡市内で小さなイタリアンレストラン「Salepepe」にお邪魔した


古くなった旅館をリノベした可愛らしいイタリアンレストランで、ご夫婦で営業されていた

これまた絶品。

草薙駅のすぐ近くと言う場所も良さもあって、皆さんに紹介したくなるお店だ。


短い期間であったが、多くの学びがあった。

こうした学びを小論文指導に活かしていくことがとても大切であろう。

今回はニューヨークから帰国したバンカーである妹にも同行してもらい、その視点も交えた時間となった。

この日は、たまたま日銀が政策金利を0.75%に利上げした日であり、自民党と国民民主党が1,780,000円までの所得税控除に合意した。

こうしたことが、静岡市の今後の未来にどのような影響を及ぼすのか、さらには、教育制度や働き方にどのような影響を及ぼすのか、そんなことをまた高校生と一緒に考えていきたいと思う。