これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

もうすぐパリオリンピック。
スポーツは素晴らしい。
観戦するのだってたくさんの感動をもらえる。
趣味としても素晴らしいし教育活動としても意義深い。

そんなことを前提で思う

「日本の夏にスポーツはもう無理だ」

もちろん、エアコンが完備された体育館であるとか、プールなどは良いかもしれない。
でも少なくとも、炎天下の屋外でのスポーツ、ましてやそれを昼間にやるなど、単なる虐待ではないだろうか。

先日ある部活動をしている高校生から聞いた。

「相手高校も暑い中で頑張ってる。暑さに慣れて乗りこえないと勝てないぞ」

顧問の先生は、そう言って部員たちを鼓舞したそうだ。
なんだかとても無理があるような気がする。

前の東京オリンピックがあった1964年の年間の最高気温は35度。



しかも、8月に1日だけだ。
もちろん7月に35度を超える日などは1日もない。

いまの中学生や高校生は大変だなと思う。
1964年の中学生高校生を今年に連れてきてスポーツをさせたらきっと全員倒れる?

昔の運動部は
「水を飲むな」
なんて指導されたが、今の気温の中でスポーツをするのは同じようなことでないだろうか。

最近、「インクルーシブ」という言葉をよく耳にする。

一般的には「包括的」というような意味になるが、これをSDGs的に意訳すれば「誰も取り残さない」といったことになる。

例えば、「インクルーシブ教育」などというが、世界中で質の高い教育がすべてのひとが受けることができる、そうした教育の実現ということになる。

 

この考えの実現はとても大切であり、小論文講座の背景的なテーマとして、取り上げることが多い。

もちろん、正答があるわけではないので、そこに至る「思考の過程」が重要視される。

 

さて、この「インクルーシブ」を医療に置き換えると、日本の医療とは世界的に見ても十分に「インクルーシブ」である。

もちろんこれは医療関係者の努力に負うところが大きいが、国民皆保険制度など法的にも整備されている。

例えば、私が癌になっても、普通に治療を受けることができるし、さらに収入が少なければそれに応じて治療費の補助も行われる。

さらには、その治療法も十分に信頼できる最先端であり、精神的なケアを整っている。

 

さらに治療において医療者による「アセスメント」の重要性もいうまでもない。

「アセスメント」というと、環境調査の意味を思い浮かべる人も多いと思うが、医療的には以下のような行為をさす。

 

 

利用者の課題分析をする為に、何を求めているのかを正しく知るために行われる評価や査定

 

これを大きく意訳すれば、ようは「寄り添う」ことであろう。

 

これは教育者にも言えることだが、医療者には控えめに言っても傲慢な人、無礼な人が少なくない。

とてもじゃないが、患者の気持ちや立場になって「アセスメント」しているとは思えない場面にしばしば出くわす。

 

よく私たちは「共感」という言葉を使うが、この共有(エンパシー)とは自然に得られるものではない。

「自分と違う価値観や理念を持っている人が何を考えるかを想像する力」であり、自然に備わるものではない。

私は、これを信州大学の先生のFacebookから学び、小論文講座で高校生や中学生に「共感」の意味を考えてもらう。

 

話が脱線しているように思われるかもしれないが、このように思考していくことが「考える力」であり、本質にアプローチすることではないだろうか。

 

「インクルーシブ」「アセスメント」「エンパシー」・・・・。

こうした一つ一つの考え方は、その本質において密接なかかわりを持ち、その思考の過程で多くの知識を調べ学ぶことになる。

私は、教育がこのような形で行われるになることを日々願いながら、いま自分の目の前にいる生徒に、すこしでも画一的な暗記ばかりでなく、考えること、つまり批判的思考によって当たり前や常識に「疑問」を学びをしてもらっている。

むろん、学校の先生や保護者の方からは、

 

「知識が先になかったら考えることはできない」

「そんなことは受験に役立たない」

「それよりも偏差値や学歴に直結しなければ意味がない」

 

そんなお叱りを受けるし、そうしたお考えも多様性のひとつであろう。

でも、私は自分が癌になれば、こんなことを考えながら治療と向き合いたいし、そうした学びを高校生は暗記の何倍も求めていることを知っている。

 

上記の信州大学の先生のFacebookにはこのようにも書かれていた。

 

目の前の人が望んでいること、夢見ることは何か?

 

そんなことを「共感」できる人間を私は育てていきたい。

2年半前。
その前の1年間はいろんなことがあって、辛い1年だった。
そんなある日、ストレスから夜中に寝ながら歯を食いしばり、自分の歯を割ってしまった。

小論文をした生徒のお父様が歯医者さんで親身になって治療してくれた。
歯医者さんは、愛知県西春市のパンダ歯科さん。
1本歯がなくなり歯は27本になり、その時の歯の状態は本当にひどいものだった。

それから歯医者さんや歯科衛生士さんに指導していただき、口腔ケアに気をつけてきた。



今日は、院長先生から、


「こんな素晴らしい状態の歯の人はなかなかいませんよ」

今日、そんなふうに褒めてもらえた。
こんなにひどかった歯の状態が、表の見た目でわかるほど改善できた。
歯医者さんと歯科衛生士さんには心から感謝。

いくつになっても努力して褒めてもらえる事は本当に本当に嬉しい☺️
昨日は、
小論文
面接理由書
面接
の対策体験講座だった。

対面で1人、オンラインで三重県から1人、福岡県から1人、合計3人が参加してくれた。
その他の参加者もあったが、前倒しで、個別の体験をしてくれた。

いつものように仮説と証明を基盤とした小論文を説明し、作文との違いを明確にした。
確かに、学校などで学ぶものと、あまりに内容が違いすぎるので、衝撃も大きいが、納得も大きい。

志望理由書についてはテンプレートを排除した書き方、さらには実際に合格した生徒のものを見てもらうことによって、テンプレートの志望理由書と著しい差を納得してもらった。
ただ、合格した志望理由書を、学校の先生には、ダメ出しをされることも多いので、これはなかなか難しいところだ。

さらには面接は、マナー練習の無意味さや、先輩が聞かれた質問を調べて回答を作るといった面接対策の無意味さを、具体的な例を挙げながら説明し、同じように納得してもらった。

もちろん、お手本を真似して書くような小論文を書いたり、ただただテンプレートに従って志望理由書を書いたり、入試の1週間前に形だけの面接練習をするのも本人の選択であろう。



しかし、個性や人間性を重視する総合型選抜などを受験するのであれば、形だけ、テンプレートといったものはあまり良いものではない。

だれしもが「正解」が欲しくなる。
小論文や志望理由書ですら「正解」で何とかしようとする。
しかしそのような取り組みで、未来社会に生きていく糧になるのであろうか。



選択するのはいつも自分自身だ。
「正解」や「最適解」ではなく、自分だけの「納得解」を見つけ、それを論理的に人に伝え「いいね」の支持を得ていく、そんな小論文や志望理由書、面接になればと思う。

「難関大学に簡単に入れます」

こんな詐欺のような言葉間違っても言わないけど、少なくとも常識や当たり前を疑うことができてこそ小論文だと思う。
今日はNHK文化センター名古屋教室での「やり直しの日本史」の講師をしてきた。

今日のテーマは、沖縄戦当時の沖縄県知事であった島田叡氏についてである。



昨今、政治家や役人の不祥事が続いている。
最近では、海上自衛隊が、まるで戦前のシーメンス事件のような汚職事件を起こしている。
しかも今の時代、政治家や官僚がそうした問題を起こしても、国民はあまり驚かなくなっている。
嘆かわしいことである。

沖縄県知事だった島田氏は、

卑怯な振る舞いをしない
己の欲のために行動しない

そんな知事だった。
だから、もうあれから79年の月日が流れても、今なお沖縄の人たちから尊敬の念を集める。

先日、東京都知事選があったが、誰が当選しようとも79年後も尊敬されるような知事はいるのだろうか。

私は特に政治家には知り合いがほとんどいないが、1人だけ心から尊敬できる政治家がいる。
無論、現役の政治家だ。

選挙区が違うので投票することができないが、もし社会問題に一緒に取り組みたい政治家がいるとしたら、この方と一緒に取り組みをしたい。
日本の教育を変革したいと志すのであれば、この方と一緒にその取り組みをしたい。

ただ、現実には、そんな事は夢かもしれない。

戦前のまた戦争中の特殊な状況下の政治家と、現代の政治家を比較するのはおかしいのかもしれない。

それでも79年後に語り継がれるような、79年後も尊敬を集めるような、そんな政治家に現れてもらいたい。
自分自身がそんなことができたら良いのだが、人柄や人間性を考えても、私などが政治家を志してはならない。

私が一緒に仕事をしたいと思う政治家の方は、何より人として尊敬できる。
そして図々しく言えば日本を少しでも良くしたい、日本の教育を変えていきたい、日本のジェンダーギャップを解消したい、、、
そんな思いだけは共有できる。

今日はそんなことを何度も何度も思い出しながら、NHKで話をさせていただいた。

よき1日だった。