これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

今年も7月、8月に日本史夏期講習を開催します。

テーマは

「近現代史の征服」

誰でも、どこからでも参加することができます。

14日間も続きますが、都合の悪い時は録画視聴も可能です。

よろしければ、ご参加ください

 

 

2020年3月

コロナ禍によって学校が一斉休校になった。

これから高校3年生、つまり受験生になる生徒にとっては、学校も塾も全部休みになって、きっと、受験への焦りも大きいだろうと考えて、休校期間、3ヶ月間オンラインで無料の日本史講座をやった。


1番多い時で、全国から50人の生徒が参加してくれて、その時の皆さんは、もう社会人だ。

もちろん、そんな余分なことをするなといった厳しいお叱りを、現職の先生からもいただいた。

中には偽善なんて言う言葉もあった。

なるほどなと思う。




石川県で震災があった。

この時は、お正月だったので、ますます受験は近い。

この時も石川県の生徒限定に、日本史のボランティア授業をした。

私の編集しているテーマ別日本史解説集をプレゼントして、参加者は3名だけだったけど、なんだか石川県が身近になった。

これだってある意味、偽善かもしれない。


今年の7月9日

その石川県金沢市に行く。

震災の後ずっと行きたかったのだが、なかなか機会がなかったので、こんなに時間が経ってしまった。

あの時の高校生たちも、きっと今は就職活動している。


こういった行為は、確かにちょっとした偽善かもしれない。

でも、もしかしたら何かの役に立ったかもしれない。

参加してくれた若い人たちがどう感じたかわからないけど、やってよかったなって思う。

もちろん、こういった講座の中では、受験の話ばかりをするわけではなくて、歴史の素晴らしさや、その壮大さ、さらには、歴史から未来への教訓をどう学んでいくか、そんなお話もたくさんした。


7月9日

金沢に行って、金沢らしい何かを食べて、金沢でお金を使ってこよう。

もしかしたら、何かの支援になるかもしれないし、でも、また偽善と言われるかもしれない。


歌手の杉良太郎さんは、長い間、刑務所の慰問活動を続けていた。

「偽善と言われても全然大丈夫」

そう言いながらずっと続けていた。


人の捉え方がいろいろだし、考え方もいろいろだ。

その多様性を尊重するからこそ、社会は良いものになる気がする。

本気で考えるんであれば、みんなを画一的にするなんて、なんだかとっても気持ちが悪い。

それであったら、私は変な比較だけど、偽善を選ぶ。


金沢が楽しみだな

6月に入って、体験や説明を希望する高校3年生が増えている。
総合型選抜や学校推薦型を受験を考えている生徒たちだ。

 

 

もちろん既に学校等でも小論文や志望理由書の説明を受けているし、実際に書いている生徒たちもやってくる。
 
そこで、学校の指導と長坂塾の指導が、どう違うかを説明をする。
もちろん、どちらかが正解と言うわけでもなく、ただただ大きな違いがあるだけの話だ。
 
話を聞いてくれる人たちの中には、やはりみんなと一緒を目指すテンプレートが良いと考える人たちもいる。
そのほうが安心だし学校の指導とも一致するからだ。
そう考えると、長坂塾に来る事はなくなる。
でもテンプレートばかりの世の中で、選択肢を提案できたことは良かったと勝手に思う。
 
長坂塾に通ってくれる高校生とは、
 
自分だけの志望理由書を書きたい
他の人と同じでは嫌だ
自分の考えをちゃんと論理的に文章にしたい
自分だけの広い視野や考えを持ちたい
志望校は決まってないけど、それを探したい
 
そんな生徒が最終的に長坂塾を選択する。
選択しなかった生徒が間違っているなんて事は無い。
それぞれの人生があるし、それぞれの価値観があって、それを尊重し合うのが良い社会だ。
 
どんな受験であっても勉強である事は変わりはない。
ただ、その勉強は、そもそも面白いものだし、その面白さを伝えるのは指導者の役割だし、さらに言えば、最終的には競争のために勉強はするものではない。
 
自分自身が学問に向き合って、考えることの楽しさを知り、未知と出会って、そこに新しい興味関心が生まれる。
それこそが学ぶ意味であろう。
 
私は小学生の国語も指導する。
でも、それは解答を得るためだけではない。
いろいろな文章の向こうに広がる世界を語り、その広い世界のさらに見えない部分を想像して考える。
だから、しばしば話が脱線してしまう。
でも、そうした対話の中から、きっと心に残ることがあって、その心に残ることが、未来の扉を開いていくと信じている。
 
最近は青空歴史教室への申し込みがほとんどなくなった。
それでも、先日、大人の方が、名古屋城に行くときは、声をかけてくださいなんて嬉しいことを言ってくれることがあった。
そうした学びたい気持ちに触れる機会が、私にとっては幸せな時間となる。
そんな時間があったら、一緒に未来の扉を叩きたい。
 
今週も何人か体験にやってくる。
その体験が、出会いの最後になる人もいるかもしれない。
でもせっかく来てくれるのだから、何かの糧になるお土産を持って帰ってもらえたらと思っている。
それが高校生であっても、保護者の方であっても、せっかくの体験が楽しい時間であって、学びの時間であってくれたら、それだけでも十分だ。
その時間だかでも、一緒に未来の扉を叩ける。

このブログも気がつけば17年

もうずいぶんと長い時間が経った

最近は、アクセス数もずいぶん減って、1日にほんの数人

それでも読んでいただける方には、感謝なのだが、それと同じ位、お叱りのメッセージやコメントをいただく。

たいていは、教員の方から、、、

いつも酷く傷つく


そんな中、ついこないだあまりに内容がひどかったので、初めてブロックした


こんなブログなので、もうそろそろ終わりが近づいて気が気がする。


長い時間

いろんな自分の思いを綴ったり

愚痴を述べたり

反省を書き散らしたり

夢を語ったり

楽しかったなと思う


今後は

同じ読者がいないのであれば

noteに書いていったほうが、広告なのかがなくて良い気もする。

そしたら、いろいろな厳しいコメントを見る機会もなくなって良い気がする。


楽しかったな

6月に入り、総合型選抜の出願の開始まで4か月となる。

総合型選抜で大学受験を考えてる高校3年生は、小論文への取り組みが始まっているであろう。

 

小論文への取り組みは、なかなか難しい。

表面的な綺麗な文章を書くのが目的ではなく、論理的な文章を書かねばならず、その論理を構築するための仮説を導き出す「マインドセット」(考え方)も学ばなければならない。

 

今日の指導では、マインドセットのなかの比較法を用いることで、仮説を構築した。

「SNSの良い影響と悪い影響を論ぜよ」

早稲田大学の出題だ。

 

こうした問題に対し、ダイレクトに回答すれば、他者との違いのない「正解」のようなものになりがちだ。

そのために、SNSと従来のメディアの比較一覧を作成した。

 

例えば、

 

SNS

「情報は双方向」

「誰でも発信できる」

「受信者がさらに発信できる」

「自分に価値のある情報が重視される」

「即時性が高い」

「いつでもどこでも情報を得られる」

 

従来メディアは

「単方向に発信」

「マスコミだけが発信者」

「情報は受信者で留まる」

「多様な情報が不特定多数に発信される」

「吟味された情報」

「放送時間内に情報を得られる」

 

こんな感じだ。

この両者の比較をすることで、SNS拡大の本質的な要因のなかのひとつを導き出した。

それは、2025年の国勢調査結果の中の「世帯数の増加」との接続だ。

 

2025年の国勢調査の「世帯数」は約5700万、史上最高数だ。

人口は大きく減少しているが、世帯数は増え続けている。

つまり、独居者が飛躍的に増えていることになる。

 

今回の仮説では、SNSは、こうした独居者の生活に大きな影響を及ぼしているのではないか、そんな内容で考察することにした。

指導では、こうした示唆を高校生に与えるのだが、それは対話がどうしても必要であり、目の前で、問題への取り組みを一緒に行うことで、「考える過程」を学ぶ必要があると考える。

それを共有することが、次の問題練習の際に活かされていくのである。

 

小論文とは、「正解」を書くことが目的ではなく、「きれいな文章」(誤字脱字がなく、表現に間違いない」を書くことも目的ではない。

ましてや、「8割書け」とか、「コツ」と呼ばれる、都市伝説のようなテンプレートを使えば、みんな同じになってしまうし、コツを大学は本当に求めているのだろうかと疑問を持つことのほうが、よほど思考的だ。

 

もちろん、仮説を論理的に証明するための知見は重要であり、毎日のように、グループLINEで厳選したニュースやコラムを送り続けてる。

それは、これからの4か月も変わらず続き、その蓄積はとてつもなく大きい。

その知見を、また対話での使用で用いる。

今回の「世帯数」もLINEで送ったニュースの一つであり、そのニュースと早稲田大学の問題を接続した。

 

これを対話という、つまりは「目の前」で、小論文の問題が私にとって初見であっても、実践するのである。

 

受験生の小論文の取り組みは様々だ。

どれが正しいとかではなく、自分の意志で選択した方法で取り組んでほしい。

受け身ではなく、イニシアティブを発揮してほしい。

書いてこいと言われ、チャッピーに書かせている、それはいったい何のためだろうか?

 



小論文の取り組みは、楽しい。

さらには、大学入学後、もう実現しつつあるAI社会でも間違いなく役立つスキルであり、もっと言えば「人生の友」にもなる。

コツでAIを越えるスキルは身につかないし、本気で疑問を持ち思考することは、本当に楽しい。

そんな素晴らしさに気が付いてもらえる小論文指導を、これからもしていこうと思う。