これでも元私立高校教員

これでも元私立高校教員

30年以上の教員指導を通じて、未来を担う子供たち、また大人の思考などをテーマに書き綴っています。
日本史と小論文の塾を主宰し、小学生から大学生、院生、保護者の指導をしています。

2017年12月1日 日本テレビ「スッキリ」

5月も後半になり、小論文を使って大学入試に挑む高校生たちは、小論文への取り組みに、日々頑張っていることであろう。

小論文とは、綺麗な文章を書くことが目的ではない。

もちろん、誤字脱字がなかったり、正しい接続詞やわかりやすい表現を使うこと、字が綺麗であることも大切であろう。

一般的な添削は、ほとんどこのことに力を注ぐ。

見た目は良くなるし、それ自体は悪いことではない。


しかし、それだけでは、良い小論文にはならない。

自分の考え(仮説)を証明していくための、知見も大切だ。

もちろん、それは、本を読んだりニュース見たりすれば良いのかもしれない。

だから

「ニュースを見ろ」

と言われる。

もちろん、それもおかしいわけではない。


これは先日の中日新聞の朝刊の社説である。

新聞を読むことは、とても良いことなのだが、現代では新聞を取っていない家庭も増え、学校の図書館に行けば新聞はあるのだが、高校生にとっては、とても遠い存在だ。

「新聞を読め」

だからこの指導はなかなか届かない。


そこで私の場合は、こんな指導をしている。


このこの社説に、例えば、こんなネット上の特集を添えてグループLINEに送るのである。

そうすることによって、ニュースや新聞の記事を読む確率を少しでも上げていこうと考えている。


様々な学部や学科を志望する生徒に送るためにその分野は多様であり、送る新聞記事やネットニュースも多くの分野をカバーしなければならない。


文学部もいれば、総合政策学部もいるし、生命科学部もあれば、医学部もあるし、獣医学部もあれば、経営学部もいて、ときには、健康スポーツ学部もある。

そうなると、そもそも、自分自身が新聞やニュースをよく見なければ、なかなかそれは難しい。

それだけではなく、そこで選択して送ったニュースや記事の内容を、対話の小論文指導のなかで取り入れていく、それもとても大切だ。


それを高校2年生の集団講座でも取り上げ、新聞記事を使った仮説の証明の取り組みを行う。

「書き方」を目的とせず、「考え方」を学び知見を広げ仮説を証明し論文化していく練習だ。

これはとても楽しい。


もちろん、これは受験のためだけではない。

AI時代が本格化する中で、いかに批判的能力を身に付けていくのか、問題を発見し、解決する能力を身に付けていくのか、そのために今日もせっせとLINEで情報を送る。

読者の皆さんが思ってる以上に高校生は読んでくれるのである。




ほんの10年前とは、大学受験も大きく変わった。

特に総合型選抜や学校推薦型で大学を受ける人が年々確実に増加している。

そうすると高校でも、そういった入試での指導が行われるようになる。

これは先生方にとって本当に大変だ。


「私は大学受験で小論文をやったので指導できる」


こんなふうに言う人がいるけど、ならば、一般入試で受験した人は、全員受験指導ができることになる。

事はそんなに簡単ではない。


学校の先生は、一般的には教員になっても何十年経ってもずっと教材研究をしているし、授業についての探求をしている。

誰でも普通のことだ。

前の年度と同じ授業を繰り返すなんて、いつもそれではダメと考えているのが普通だ

確かに、高校生にとっては、満足のいかない授業をする先生もいるであろう。

でも、ほとんどの先生は必死になって教材研究をしている。


小論文や志望理由書の指導をすることは、英語や数学と同じように、その指導の研究を何年も何年もずっと繰り返さなければ、指導するレベルにはならない。

ちょっと本を買って参考にするとか、ネットで見たやつを指導で使うなんて言うレベルだったら、それはどんな素人でもできる。

だから本当に一生懸命に勉強しないと小論文や志望理由書の指導っていうのはできない。


先日、ある総合型選抜のオンライン塾に勤めていた先生に聞いた。

マニュアルがあって、1ヵ月ぐらいそれで研修すると、もう指導担当になるそうだ。

そうでなければ、多くの生徒に対応できず、ビジネス的に困るからだろう。

その先生は、とてもとても心が痛んだ。

そんな適当で、いい加減な指導はできない、だからやめたそうだ。

真面目に考えている人は、学校でも塾でもみんなそうだ。


指導するって、どんな分野でも本当に大変だ。

料理だってそうだ。

料理の本を読んで、ネットで調べて、料理の専門家になることなどができない。

スポーツの指導する人が、ちょっとネットで調べて、スポーツの本を読んで指導者にはなれない。

もしそれで指導する立場になったら、それは良心がなく、単なるビジネスだろう。


それだけではない。

高校生たちの、進路をそれを本気で応援する教育がいつも大切だ。

大学附属の高校が、大学の定員を確保するために、内部進学を優先して、内部進学を優先しないなら、そうじゃなきゃ進学実績を稼がせると言う考え方だ。

もちろん、高校生のためではなく、高校のためだ。

なんだかどう考えても、高校生ファーストだとか、その高校生の人生を応援してるようにちょっと見えない。


新しいことが広がると、それに向けて指導するために、何年も何年も研鑽をしなければならず、それでもいつまでたっても、自分自身が満足できる指導にたどり着くことができない。

学校でも、塾でも授業料があり、指導の対価が発生する。

それは事実だ。

塾のなかには、偏差値の低そうな、進路実績をあまり上げることができなそうな生徒は拒否する塾もある。

さらには、そうした生徒の指導を、大学生の講師に押し付けるなんていう塾もある。

ビジネスにならないと考えるのであろう。

残念だなぁって思う。


だからこそ、やっぱり高校生ファーストがなければいけないと思う。



高校生の皆さんが、新しい受験に挑戦する。

それを多くの学校の先生方が真摯にサポートする。

その背景には、とてつもない努力や学びがたくさんあり、高校生はそれに感謝し、教える側が、いつも高校生ファーストで一生懸命、だからこそ、高校生の良き未来が開けていくのではないだろうか。

日本の世界遺産は26箇所。

その中で、6番目に、世界遺産に登録されたのが岐阜県の白川郷だ。

5月の13日。

その白川郷を訪ねた。


周囲を山々に囲まれ閉鎖された地区に広がる広大な村に、かやぶき屋根の巨大な家がいくつもある。


こうした世界遺産は、中学受験や高校受験でもしばしば出題され、同時に、その文化的価値は非常に高い。

こうした場所を訪れるだけではなく、その見えない世界をどう見ていくか、それがこうした場所への訪問の大きな目的だ。


駐車場に着き、最初に驚いたのは、整備が行き届いていることだ。

あらゆる場所が、多くの人をお出迎えするための準備をしている。

入ったトイレは驚きだった。

中はまるで旅館のよう。


まずは昼食。

白川郷の郷土料理である「すったて鍋」をいただく。

大豆をすりつぶした鍋の中に飛騨牛が入っていて、とてもおいしい。

駐車場から橋を渡り、村内に入る


この橋もとても綺麗で渡りやすい。

村内に入ると、急勾配のかやぶき屋根が特徴的な合掌造り家屋が現れる。



見た目が美しいだけではなく、日本の厳しい自然環境を生き抜くための知恵と工夫が凝縮されている。

豪雪地帯で助け合いながら暮らしてきた「結」という互助制度がこの建物を支えている。

この合掌造りは、江戸時代、初期から明治時代にかけて建てられ、その名の通り、手を合わせて合掌したときの腕の形に由来している。

屋根などは金物を一切使わず、木材同士を組み合わせて作られている。



屋根は茅は、主にすすきの仲間のカリヤスが使われている。

40年から60年に1度の吹き替えは、互助制度によって行われる。

囲炉裏の煙が、スノコ状の天井を通り抜け、屋根裏に行き渡ることで、蚕の飼育に適した温度が保たれている。



住まいでありながら、生産の場であることも合掌造りの特徴だ。


白川郷の家屋は、屋根の正面を風の流れに沿った南北方向に建てられら、強い季節風を受け流しつつ、屋根の日照量を調節することで、夏を涼しく過ごすことができる。


白川郷ん巡ること3時間。
最後においしいサイダーで癒された。

こうした学びをまた小学生から高校生までに伝えていきたいいきたい。

暗記するだけの歴史は、歴史ではない。

奥深い背景を学び、様々な知見を得ていくこと、そして、それを未来につなげていくことが、歴史の学びだ。


白川郷は、今日も人々が生活する場所。

帰りには、家路を急ぐ小学生を見かけた。

観光地でありながら、同時に、今日も人々の気遣いを感じる、そんなことを感じた学びとなった。



長坂塾は、名古屋市千種区の本山にある。

この街はとても良いところ。

学生さんも多いが皆さんお行儀がいいし、外国人の方も多いがトラブルなんて見たことも聞いたこともない。

つまりは平和だ。

 



先日、近所のスタバにコーヒーを買いに行くために、本山の街を歩いていると、

「長坂先生!」

突然、ひとりの妙齢のご婦人にお声がけいただく。

 

さて、こうした場合はなかなか微妙で、どなたかわからない。

すると、ちゃんと察して自己紹介していただく。

「先生がお勤めだった高校の卒業の母親です」

聞けば、お子さんはもう31歳、つまりは13年前の卒業生。

 

それは、26年間務めた学校を退職した年だ。

校内でも存在価値がなく、静かに時がたった1年間で、卒業式の記憶もほとんどない。

それでも、その時の保護者の方が私を記憶していて、しかも13年後に本山の歩道でお声がけいただいた。

 

少しだけお話をする。

卒業生はすでに結婚し、保護者の方は地域貢献活動に熱心だ。

今日は、保護者の方が卒業された中学校の同級生と楽しくランチをしてきたとのこと。

そして、この本山の街に長年住み、本山の話をすることができた。

なんともアクティブで前向きな印象だ。

13年前の私にどんな印象があるかわからないが、なぜかそんな方に覚えていていただき、しかもお声がけいただいた。

 

そして昨日。

やはりスタバに向かう。

今日は、スタバのアンケートが当選したので、無料のフラペチーノが目的だ。



すると、自転車に乗った外国人が話しかけてくる。

よくあるキリスト教系の方だ。

「私はカトリックですよ」

そんな風に笑って答えると、嬉しそうだ。

彼に聞くと、アメリカのアリゾナの出身の19歳で、世界を転々として、本山には、岐阜県の高山から来たそうだ。

しつこくもなく、普通にアメリカの話で盛り上がった。

わずかな時間であったが、彼は楽しそうで、スタバの前で握手してお別れした。

 

幼少からコミュ力が低く、友達もほとんどない。

それでも、こうやって少しだけ人と関わることがある。

それが本山の良さかもしれない。

愛知県には、島がある。

知多半島と渥美半島の間に広がる三河湾、

その中の日間賀島、篠島などだ。



同じような島は、日本全国にたくさんあって、おそらく人口減少や産業の衰退が懸念される。

こうした離島は、どのような状況なのだろうか?


見に行ってみよう。

知多半島の先端、師崎港から船で篠島に向かう。

10分ほどで篠島に到着。

島を散策した。

対象に民家はたくさんあり、漁港には、漁船が数を多く停泊している。

篠島は、しらす漁が日本一だそうで、おいしいしらす丼を食べさせてくれるお店も数多くあった。

一方、廃墟となった旅館や民家も数多くあり、うまくいっている部分とどうしようもない部分が同居している光景だ。


通り掛かった小学校中学校は、およそ生徒数は、学年で10名ずつ位。

少子化は避けることができない。

若い漁師さんを、何人も見かけたので、様々な可能性は感じるが、人口減少は大都会の比ではないであろう。

一方で、島の各地には、祠や地蔵がおかれ、曹洞宗の寺院をいくつも見かけた。

古くからの信仰が今も息づいている。

この篠島は、お隣の日間賀島と比較すると観光規模は小さく、綺麗な砂浜も広がっているが、多くの観光客が来たとしても、もてなすためのお店やホテルは決して多くない。

実際に、こうした光景を見ると、観光資源を有効に生かしていくことの難しさを感じる。

篠島はとても良いところだ。

島内を3時間ほど歩いたが、穏やかな空気が流れ、素晴らしい景色が広がっていた。

こうした状況をフィールドワークし、また、小論文指導に活かしていくことができればと思う。

帰りには、師崎の有名な、まるは食堂に立ち寄った。


この店には、多くの観光客が美味しそうに名物のエビフライを食べている。

まるは食堂は、名古屋市内も出店するほど繁盛し、ここにも格差の実態があるが、やり方によっては新しい可能性がある。

そんなことも高校生と一緒に考えてみよう。

今回は初めて篠島を訪問したが、愛知県にこのような良い場所があることを知った。

こうした場所が、まだまだたくさん隠されていて、それを高校生と共有し、小論文や志望理由書の中に埋め込んでいければと思う。