パニック障害になった大学1年生を振り返って

いると、なんか泣けました。



だって、早く治そうと必死だったから。




何軒も病院に行って、病状を説明して

薬もらって、肩を落として歩いて帰る。



そんな19歳の私が目に浮かびました。




なぜ早く治したかったのかと考えると、

もちろん毎日症状が辛かったというのが

あります。




どんな時も息が苦しくて、どこに行くのも

不安と恐怖と戦わなくてはならなくて、

いつどこにいても気が休まらなかったです。


ずっと神経が張り詰めている感じでした。



一刻も早くこの状況から抜け出したいと

思っていました。




それと、大学に行っていない自分を許せ

なかったんだと思います。




大学生であることが、自分の唯一の価値だと

信じていました。



なぜそんな風に思い込んでいたのだろうと

考えると、やはり母への愛情自分自身が

作り出した思い込みがありました。






意味がない





という言葉は母が小さい頃から私に言い

続けた言葉です。




きっと本人に言っても覚えていません。





どれだけ頑張って、


勉強して優秀な成績をとっても、


バレエでセンターで踊り続けても、


リレーの選手に選ばれても、


作文コンクールで表彰されても、


何をしても…




母は、何もできない兄を守るために、

私が評価されたことに

意味がない

と言い続けました。




頑張った自分でさえ、受け入れてもらえない

のに、できていないダメな自分なんて

絶対に見せてはいけないと思っていました。




寂しいとか嫉妬とか怒りとか悲しみとか

そんな負の感情を母に話すことができなく

なりました。




いつも取り繕った良い子の私でいなければ

ならない。



そうじゃないと、愛されないといつのまにか

強く強く思い込んでいたんだろうと思います。




パニック障害になっているダメな自分を


母に知られるわけにはいかない!


早く治さなければならない!


と考えていたのでしょう。




だからあんなに必死だったんでしょう。

そう思うと泣けました。





私が不登校やパニック障害になったのには、

色々な要因はありますが、その1つが




私は寂しい!もっと愛されたい!

兄が憎らしい!

兄ばかり愛されているなんて許せない!

なんで褒めてくれないの?

なんでできていない兄ばかり大切にするの?




私の話を聞いてよ。

本当の気持ちを聞いてよ。

悪い部分も知ってよ。




どんな私でも許して認めて愛して欲しい。





この欲求を隠しながら頑張り続けるのに

限界がきた時、私が出したSOSだった

のかなと思います。



ずっと、母に向けて出したのだと思って

いましたが、最近はそうじゃないのかも

しれないと考えるようになりました。




私が私にだしていたのかもしれないと。





もう十分に頑張ったよ。


私が望む愛を母は与えてはくれない。


母は私の全てを受け入れられない。


私が悪いわけではないから、自分を責める

のをやめたい。


これ以上、良い子を演じるのをやめたい。




これが、私の真の声だったのかもしれません。




長くなりましたので、また明日に続くかも

しれませんし、続かないかもしれません笑




まとまりのない文章でしたが、読んでいただき

まして、ありがとうございました。




あくまでも私の場合についてです。

ご了承ください。